ここ数年、入念に書かれた音楽、プロデュースされた音楽に惹かれることが多い。作品のコンセプト設定とそれに合わせたプロデュースが上手いロバート・グラスパーや、徹底的に楽曲を作り込み、演奏にも高い精度を求めるマリア・シュナイダーのようなジャズミュージシャンの音楽が持つ素晴らしさの根拠に幾度となく思いを巡らせたからかもしれない。以下にあげた3作品はそんな自分の志向を反映したからか、ふと気が付くと日常の中で流していたものだ。そして、時折、ハッと気付かされることがあり、聴き流しながら別の作業をしていた僕の手を止めさせた作品でもある。共通しているのは「音楽の情報量がコントロールされている」丁寧な音楽であることとも言えるかもしれない。
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- 林正樹
- Pendulum
このピアニストのテクニックの凄さや、瞬発力、反応の速さなどはもはや誰もが知っている。ただ、ここで聴けるのはそういったものをすべて脱ぎ捨て、ひたすら美しい音色でピアノを鳴らすことに尽くしているピアニストの姿だ。どんなに脱ぎ捨てようが、削ぎ落とそうが、丁寧にメロディーを紡いでいくシンプルな音の中から、スケールの大きさが溢れ出てくる。いや、それは抑制された演奏だからこそ、立ち上ってきたのかもしれない。
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- 中島ノブユキ
- 散りゆく花
日本を代表するマエストロが大正時代に建てられた風変わりな箱でやったコンサートは、今年僕が観たコンサートの中で最も美しいもののひとつだったように思う。「音が重なり、滲み、溶け合い、消えていく」さまが幾重にも連なりながら、なだらかに変化していくのを、耳ではなく肌で感じられたことは稀にみる体験だった。その中で時折、ピアニストが奏でるピアニッシモの美しさに何度もハッと耳を奪われる。あの幻のような時間が忘れられなくて、僕は何度も何度もこのアルバムを聴いた。
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- bird
- Lush
デビュー時、ネオソウルやUKソウル的なサウンドをも聴かせていたbirdが、15年の時を経て、冨田ラボの力を借り、ロバート・グラスパーやクリス・デイブらのポスト・ネオソウル的なサウンドをJ-POPに取り込んでしまったことはうれしい驚きだった。J・ディラを模したジャズドラマーにインスパイアされた“よれたビート”など、個々のパーツを取り出せば異形だが、トータルではしれっとフレンドリーでポップな表情をしている。ポップミュージックの奥深さを再確認した一枚だった。