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【ジェームス・ブラウン】ゴッドファーザー復活のステージ /ライブ盤で聴くモントルー Vol.17

「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

1950年代から70年代初頭にかけて、数々の名曲を放った「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」ジェームス・ブラウン(以下 JB)。しかし、70年代の中盤になって彼の快進撃は失速する。過去の人となりつつあったJBを救ったのは一本の映画だった。その後、JBはモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演し、健在ぶりを聴衆にアピールしたのだった。

ファンクの創始者による熱狂のライブ

1980年に公開された『ブルース・ブラザーズ』は、全編ドリフターズのコントのようなめちゃくちゃな映画だが、B級映画になることをぎりぎり免れているのは、出演するミュージシャンの豪華さによる。孤児院管理人のキャブ・キャロウェイ、ソウル・フード・レストラン店主のアレサ・フランクリン、楽器店主のレイ・チャールズ、聖歌隊メンバーのチャカ・カーン、そして路上ミュージシャンのジョン・リー・フッカー。

さらに、ブルース・ブラザーズのバンド・メンバーとしてブッカー.T&ザ・MGsのスティーヴ・クロッパーとドナルド・ダック・ダンが登場する。なかでも圧倒的な存在感を見せているのが、牧師役のジェームス・ブラウンである。信者たちを前に情熱的な説教を繰り広げているうちにゴスペルの熱唱が始まるというのが彼の出演シーンで、ステージにおけるMCから曲への流れがそのまま再現されているような場面だ。その歌と演奏が主人公ふたりの音楽熱に火を点けることになる。

 

JB自身「出口がまるで見えなかった」と後年語った70年代半ば以降の低迷から脱するきっかけとなったのがこの映画だった。ブルース・ブラザーズの兄役だったコメディ俳優のジョン・ベルーシは、「この映画が出れば、もう通りをまともに歩けなくなるぜ」と撮影後にJBに言ったという。事実はまさにそのとおりとなった。ライブの回数が一気に増え、テレビ番組にたびたび出るようになり、ヨーロッパへの何年かぶりのツアーも実現した。その勢いに乗って彼が最高のパフォーマンスを見せたのが、1981年のモントルー・ジャズ・フェスティバルのステージである。

市販のDVDでは、1曲目のクレジットが「ペイバック」(1974年)となっているが、これは正確には同曲をベースにした新曲「ラップ・ペイバック」で、彼は「このレコードで俺はラップとファンクを混ぜた」と自伝で説明している。復活後の真新しい曲でステージを始めるところにJBの並々ならぬ意気込みがあらわれていて、そのテンションは70分間を通して緩むことがない。

 

「ドゥーイング・イット・トゥ・デス」「パパズ・ガット・ア・ブランド・ニュー・バッグ」「アイ・ガット・ユー」といったファンク・ナンバーの合間に、「トライ・ミー」「イッツ・ア・マンズ・マンズ・マンズ・ワールド」「プリーズ、プリーズ、プリーズ」といったバラード・ナンバーを挟んでいくのは絶頂期の彼のステージのスタイルそのままだが、総勢14人に及ぶバンド・メンバーの中には、ボビー・バードもピー・ウィー・エリスもメイシオ・パーカーもフレッド・ウェズリーもブーツィー・コリンズもすでにいない。

唯一の古株はバンド・マスターを務めるギターのジミー・ノーレンのみである。過去のスター・プレイヤーのほとんどを欠いているにもかかわらずこれほどのグルーヴが生まれているということは、JBのファンクがバック・バンドの力量によってではなく、まさにJB本人によって成立していたことの証であると言っていい。

ステージ中盤のハイライトは「マンズ・ワールド」の途中、彼が愛するミュージシャンたちの名前を次々に挙げていく場面だ。最初のヒットが同時期に出たこともあって生涯同志愛のような感情を抱いていたというエルヴィス・プレスリーから始まり、オーティス・レディング、サム・クック、ジャニス・ジョップリン、リトル・ウィリー・ジョン、ジミ・ヘンドリックスとリストは続く。

さらに、このステージの8か月ほど前に射殺されたジョン・レノンの名をジミー・ノーレンが挙げるに至って、これが死者たちに向けたメッセージであることがわかる。最後に唯一現役だったB・B・キングの名を挙げてJBはメッセージを終える。後半のハイライトは、感極まった観客がステージの下からJBにハグを求め、JBがそれを優しく抱きしめる場面だろう。そこからミドル・テンポにアレンジされた「プリーズ、プリーズ、プリーズ」「ジャム」「セックス・マシーン」へと流れ込んでステージは大団円を迎える。

 

一般に、音源と映像の両方でライブの記録が残されている場合、鑑賞に向いているのは音源の方である。ミックスがていねいにおこなわれていることが多いし、何よりほかの情報がないぶん音に集中できる。このJBのライブはCDやダウンロードの公式リリースはないようだが、仮にリリースされたとしても絶対に映像で楽しむべきだ。キャメル・ウォーク、股割りダンス、マント・ショーなどおなじみのパフォーマンスが見られるだけでなく、彼が常に全身全霊をかけてステージに臨んでいた様子がよくわかるからである。

JBは濃褐色の顔を汗でタールのようにギラギラと光らせながら、近代文明に滅ぼされた民族の最後の生き残りのような激しさでステージ上を絶え間なく動き回る。ファンクというジャンルのオリジネイターであった彼は、ファンクとはゴスペルとソウルとジャズをミックスし、かつすべてのパートをリズム楽器と捉えることによって生まれた音楽であると自伝で語っている。しかし、そのような説明を抜きにしても、このステージをひとたび見れば、ファンクとは何かをたちどころに感じられるはずだ。

『ブルース・ブラザーズ』とモントルー・フェスへの出演後、JBはアフリカ・バンバータやフル・フォースといった若いミュージシャンたちとのタッグによって再びシーンの最前線に躍り出る。完全復活を果たすのは、1985年に製作された映画『ロッキー4/炎の友情』への出演ならびにその劇中歌である「リヴィング・イン・アメリカ」の大ヒットによってであった。妻との口論の末に銃を乱射し3年の懲役に服するなど、その後の人生も決して平坦ではなかった彼だが、2006年に没するまで「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」の称号を再び手放すことはなかった。

※引用は『ジェームズ・ブラウン自叙伝 俺がJBだ!』(ジェームズ・ブラウン、ブルース・タッカー著/山形浩生、渡辺佐智江、クイッグリー裕子訳/文春文庫)より


『ライブ・アット・モントルー1981』(DVD)
ジェームス・ブラウン
■1.Rapp Payback(Where Is Moses)、2.It’s Too Funky in Here、3.Gonna Have a Funky Good Time(a.k.a. Doing It To Death)、4.Try Me、5.Get On The Good Foot、6.It’s a Man’s Man’s Man’s World、7.Prisoner Of Love、8.I Got The Feelin’、9.Hustle(Dead On It)、10.Papa’s Got A Brand New Bag、11.I Got You(I Feel Good)、12.Please, Please, Please、13.Jam、14. Sex Machine 【Bonus Track】15.Hot Pants Road、16.Funky Men、17.Honky Tonk Popcorn、18.Living In America、19.Sex Machine
■James Brown(vo)、David Weston(b)、Fred Thomas(b)、Arthur Dixon(ds)、Tony Cook(ds)、James Nolen(g)、Ron Laster(g)、Jerry Poindexter(kb)、St Clair Pickney Jr(sax)、Hollie Farris(tp)、Jaasan Sanford(tp)、Joe Collier(tp)、Ann Beedling(vo)、Kathy Jordan(vo)、Martha McCrady(vo)
■第15回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1981年7月7日

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