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松本 茜 ─真摯に実直に “ハッピーなジャズ” を探求【Women In JAZZ/#18】

弱冠20歳でデビューして注目を集めたピアニスト、松本茜。当時はジャズ・アイドル的な見方もされていた彼女だが、その後も真摯な活動を続け、現在では実力派のジャズ・ピアニストとして高い評価を受けている。そんな彼女が自己のトリオでレコーディングしたニュー・アルバムをリリースした。

「鳥取―東京」電話でレッスン

──ジャズの演奏を始めたきっかけは?

私は鳥取県出身で、小学2年生のときに地元の音楽教室でピアノを習い始めました。でも、劣等生で、私だけがいつも居残り練習。母親と「もう辞めちゃおうか」って話していたんです。そんなときに先生の紹介で、北村英治(注1)さんのコンサートに行ったんですね。

注1:ジャズ・クラリネット奏者。1929年4月8日東京出身。第二次世界大戦後にプロとして活動を開始し、日本ジャズの基礎を築いた伝説的ミュージシャン。現在も現役で活動中。

そこでジャズという音楽を初めて聴いて。その2年後に北村英治さんのワークショップに参加したんです。すると10歳の女の子が来てるっていうことで声をかけてくださって、そこから本格的にジャズをやるようになりました。

──10歳の女の子が感じた “ジャズの魅力”って、どんなものだったのでしょう?

「よくわからないけど楽しい」って感覚でしたね。理論的なことは全然わからないけど、みんな笑顔で演奏しているし、すごく楽しかったんです。もちろんクラシックも好きなんですけど、コンサート中にくしゃみとかしたら怒られるじゃないですか(笑)。それが子供心に窮屈だったんだと思います。その頃からハッピーな音楽が好きだったんでしょうね。

──そこからどうやってジャズを勉強していったのですか?

北村英治さんのグループのピアニストの方を紹介していただいて。鳥取と東京で、電話でピアノ・レッスンを受けていたりもしました。だから何を聴けばいいかとか、どういうピアニストがいるかとか、そういう情報はその先生から教えてもらっていましたね。

──鳥取と東京で電話レッスン…。なんか、すごいですね。

ところが、その方法だと “人と合わせる” ことができないんです。これはちょっとヤバいなと思って、高校生のときに、近所のライブハウスで前座演奏させてもらったり、近くの大学のジャズ研究会に行って混ぜてもらったりしてました。

そんな高校時代に「浅草JAZZコンテスト」に出たことがあって。一緒に演奏してくださったプロのミュージシャンの方が「東京でライブやればいいじゃん」って。何回かライブをやらせていただきました。そのライブにレコード会社のプロデューサーの方が観に来られて、東京の大学に進学しないかっていう話をしてくださって。大学4年間で形にならなかったら鳥取に帰ろうって思って東京に出て来ました。

──当時、強く影響を受けたピアニストは?

オスカー・ピーターソンにすごく影響を受けていて、あとジーン・ハリスとか。楽しいジャズがすごく好きです。

──茜さんの世代の女性ピアニストって、ビル・エバンスはもちろん、ミシェル・ペトルチアーニやエンリコ・ピエラヌンジといった、メロディアスなプレイのピアニストが好きな人も多いと思うんですけど。

ヨーロピアンな美しさもすごく好きですけど、ブラックな感じもすごく好きで。ジャズで大事なのはスウィングとブルースだと思っています。

「昔の自分」を反省…

──東京に来て、ジャズ・シーンの印象はいかがでしたか?

当たり前なんですけど、層が厚すぎるなっていうのをすごく感じました。東京に出て来た頃は、ミュージシャンの方を全然知らなかったんですよ。今となっては、あの人は大御所で、あの人は若くて素晴らしいプレイヤーで、とかわかるんですけど、当時はそんなことすら知らない状態で。

──それが原因で怒られるようなことも?

いろんなことで怒られましたよ。でも、そこは基本中の基本というか、マナーの部分なので、怒られて当然。「人前に立つ」とはどういうことなのか、「与えられた曲を予習する」とはどういうことなのか。そのあたりはいろんな方に教えていただきました。

──そんな鍛錬を経て、大学在学中にデビューします。

すごく守られていたし、恵まれていたなって思います。デビュー当時のインタビュー記事とか、今だったら恥ずかしくて見れないくらい、私は何も判っていなかった(笑)。そんなこともあって、現在は事務所から独立して、自分自身でマネージメントなどもやるようになりました。やっぱり自分の足で立ってやっていかないといけない状況になると、意識ってすごく変わるなって。だからそれはいい選択だったと思います。

──ツアーのブッキングも、自分でやっているのですか?

スケジュールはもちろん、交通手段なども考えるので、パズルのピースを埋めていくみたいな感じです。1月のツアーのとき、ドライバーが一人なのに静岡から徳島まで6時間の車移動という日があって、さすがに申し訳なかったです。

──そういう苦労があっても、やっぱりツアーには行きたい?

使命感っていうと大げさですけど、「聴きたい」って言ってくださる方がいる所には行かなきゃなって思います。音楽を聴きたいって言ってもらえることのありがたさを、すごく身に染みて感じるので。

──ジャズ・シーンって、やっぱり男性社会だと思うんです。そういう中で、女性ならではの苦労などはありますか?

人間関係とかの苦労はないんですけど、ツアーって、会場に着いて、リハーサルやって、ホテルにチェックインしてと、けっこう時間がタイトなんですね。でも女性って、メイクや髪を直したりとか、ステージに立つ準備としてやらなきゃいけない身支度がどうしても必要になってくるので、時間の配分がうまく出来ず焦ったことはあります。

最近ではどんな環境でもあまり動じなくなって、本番前に最低限整えるだけでいいようなメイクを出発前にしておいたり、工夫はしています。あるいは車の中でもお化粧したり、そのぐらいの図太さはできましたけど(笑)。

──若い女性だからって、ベテランのライブ・ハウスのマスターや、年配の男性ジャズ・ファンなどから、低く見られたりすることってないですか?

たまにあります。そういう時、何も言えない自分がすごくイヤだったんです。でも私は、いきなり何か言われると固まっちゃう性格なんですね。そのたびに、こんど同じ状況になった時は、その後どう会話するのが正解か? を考えて、携帯のメモに台本を書いてます(笑)。役に立ったことはまだないんですけど(笑)。でも最近は、あまり気にしなくなりましたね。そういう人もいるよね、って感じで。時間がもったいないです。

プレアデス星人に贈る曲?

──最新アルバム『Oh, Lady Be Good』のコンセプトは?

前作と前々作は、私が憧れるニューヨークのミュージシャンとレコーディングしました。その一方で、この7〜8年、日本でのレギュラー・トリオもコンスタントに活動してきたので、そろそろこのトリオで作ってきたバンドサウンドをより多くの方に聞いていただきたいな、と思ったんです。

『Oh, Lady Be Good』(Concept Records)

──スタンダード曲が多めですね。

基本的に私はハッピーなジャズをやりたいという思いがあって、ジャズを知らない人でも楽しい気持ちになってもらうにはどうしたらいいか、を考えて選曲したりアレンジしたりしています。だから今回も聴いてて楽しくなるようなアルバムを作りたいなと考えていました。

 

──「Bye Bye Blackbird」とか、すごく熱い演奏になってますよね。

アルバムではアレンジを施しているのですが、あの曲はアンコールでやることが多くて、もともとライブでは好きなように弾いてました。いつ何度弾いても楽しい気持ちになれる曲の一つです。前作『Night&Day』は落ち着いた雰囲気のアルバムでしたが、今回はこの曲や「I Love You」などアップテンポでアレンジした曲も、トリオのサウンドとともにお楽しみいただけると思います。

──オリジナル曲のイメージはどういうところから得るんですか?

今回のオリジナル曲は、楽しさの部分だけではなく、特にハーモニーの点でまた違った一面が出せたと思います。作曲に使っていたピアノが変わって、これまでになかったイマジネーションが膨らんだのも一つの要因なのかもしれません。また、私は日常的に自然のものから影響されることも多く、例えば今回「A Queen Of The Night」という曲は、植物の名前からタイトルをもらいました。

──「Pleiades」は、ヨーロッパっぽい雰囲気のメロディだなっていう印象を受けます。

プレアデス星団っていう天体の集団があるんです。そこにはプレアデス人という宇宙人がいて、地球を助けるために地球人に生まれ変わっているっていう都市伝説的な話があるんですよ。とても愛情深く、人の心に寄り添ってくれるのが彼らの特徴らしいんですね。その話を聞いて「あれ? 私の周りにもプレアデス星人ぽい人がいるなぁ」と思って(笑)。そんな親切なプレアデス人に感謝を込めた曲なんですけど、そういう話をライブのMCですると、たまにお客さんがポカンとされているので、CDのライナーノートにだけひっそりとそのことを書いてます(笑)。

ジャズ界のためにやるべきこと

──そういえば市原ひかりさんが、ゼンタングル(注2)を茜ちゃんに教えてもらったって言ってました。

注2:ゼンタングル/Zentangleアメリカ在住のリック・ロバーツとマリア・トーマスが考案した、簡単で細かなパターンを繰り返して描いていくアート・メソッド。「禅」と「tangle」(絡まる)を組み合わせた造語で、細かなパターンを描いていくうちに精神統一がなされて、ストレス解消や瞑想的効果などがあるといわれている。

そうなんです。ひかりさんはずっと仲良くさせてもらっています。絵は昔から描いていて「浜崎航 meets 松本茜trio」(注3)のCDジャケットも描かせてもらっています。家で細かい作業をやっているのが好きで、それがけっこうストレス解消になるんです。頭の中が整頓されるっていうか。何も意味なく紙にずっと丸を描いていたりとか。

注3:テナー・サックス奏者の浜崎航(はまさきわたる)と、松本茜トリオによって2013年に結成。同年に『BIG CATCH』、2015年に『Holiday』、2017年に『Prisoner Of Love』をリリースしている。2020年春4thアルバム発売予定。

──衣装へのこだわりはありますか?

基本的には好きな服を着ているんですけど、「ジャズ・ミュージシャンって、なんかカッコ悪いな」という印象を持たれないようにしようと心がけています。ものすごく高額なものを身につけたり、露出があったりしなくてもいいと思うんですけど、ちゃんとしてるな、清潔感があるな、くらいには思ってもらえるように気をつけています。演奏を喜んでいただけても、それ以外の部分で減点されるのは、もったいない。ジャズの魅力を伝えるにはどうしたらいいかな、って考えたときに、いい演奏をするのは当たり前ですけど、それ以外の部分でも気にかけることはたくさんあると思います。

──普段のライブではどういうスタイルが多いんですか?

以前はけっこうヒールの高い靴を履いていたんです。ペダルも根性で踏んで。でも年齢を重ねると共に「無理だ…」ってなってきちゃって(笑)、今はフラットな靴を履いているんですけど、全体のファッションもそこから考えていきますね。

──ファッションって、靴で決まりますもんね。

そうなんですよ。けっこうバランスが難しくて、ヒールがない靴を履いたときに、その上はどうしようかなって。ブーツで、細いパンツを穿いて、上にシャツとかだと、ちょっとボーイッシュになってしまうし、どこで女性らしさを出したらいいかなっていうことは考えたりします。

──ただし “見栄え” が良くなると、ライブ中に写真や動画を撮ってSNSにアップしたりするファンの方も多くなるのでは?

いらっしゃいますね。過度な撮影は他のお客さんにも迷惑がかかりますし、できれば演奏を聴いていただきたいです。以前アンコールの時だけ撮影OKとしたら、お客さんがみんな一斉に写真を撮り始めて。なんか動物園の動物のような気持ちになりました(笑)。撮影可能なお店や、演奏家、それぞれの考え方があると思いますが、私自身、自分の目と耳で体験してきた生演奏がいちばん心に残っているので、カメラ越しではなくて、ぜひご自身の目で生の姿を見ていただけると嬉しいです。

松本 茜/まつもと あかね(写真左)
鳥取県米子市出身。幼少時代に北村英治のコンサートでジャズと出会い、独学でジャズを学ぶ。2002年、第1回倉吉天女音楽祭に出場しグランプリを受賞。2004年、バークリー音楽大学の奨学金オーディション学費全額免除試験に合格。同年第23回浅草ジャズコンテスト・ソロ・プレーヤー部門で金賞受賞し、これをきっかけに東京でのライブ活動も開始。2006年、日本大学芸術学部進学と同時に上京。2008年『フィニアスに恋して』でデビュー。2013年、浜崎航(ts)とのユニット、浜崎航meets松本茜trio”BIG CATCH”のアルバム『BIG CATCH』をリリース。2018年、鳥取県の『とっとりふるさと大使』に任命。現在も自己のトリオを中心に、様々なセッションなどでも活動している。【松本茜 オフィシャルHP】http://www.akanejazz.com/akanejazz/Welcome.html
島田 奈央子/しまだ なおこ (インタビュアー/写真右)音楽ライター / プロデューサー。音楽情報誌や日本経済新聞電子版など、ジャズを中心にコラムやインタビュー記事、レビューなどを執筆するほか、CDの解説を数多く手掛ける。自らプロデュースするジャズ・イベント「Something Jazzy」を開催しながら、新しいジャズの聴き方や楽しみ方を提案。2010年の 著書「Something Jazzy女子のための新しいジャズ・ガイド」により、“女子ジャズ”ブームの火付け役となる。その他、イベントの企画やCDの選曲・監修、プロデュース、TV、ラジオ出演など活動は多岐に渡る。
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