投稿日 : 2020.03.27
無冠の怪傑バンド「コロムビア・シンフォネット」の正体を探る
文/村尾泰郎
コロムビア・シンフォネットという楽団を知る人は少ないだろう。少なくて当然。ほとんどの人が(彼らのレコードを持っている人でさえ)気に留めないし、たくさんのレコードを出していても、売り場に彼らのコーナーが作られることはまずない。それでもコロムビア・シンフォネットが奏でた音楽は、日本のポピュラー・ミュージックの歴史においてじつに興味深い。
コロムビア・シンフォネットは誰なのか
コロムビア・シンフォネットの土台になったのは、1929年にレコード会社の日本コロムビアがレコーディング用に結成したジャズ・バンド「コロムビア・ダンス・オーケストラ」だった。やがて音楽産業の広がりとともに彼らの活動範囲も広がり、歌手の伴奏や宣伝音楽などさまざまな分野で活躍。時代や作品ごとに編成を変えて、その都度、「日本コロムビア管弦楽団」「コロムビア・ポップスオーケストラ」「コロムビア・ジャズバンド」などさまざまな名称を名乗るようになる。そのひとつが「コロムビア・シンフォネット」だった。
つまり、彼らはレコード会社専属の “なんでも屋” 楽団。例えばマッスル・ショールズ(注1)やレッキング・クルー(注2)など、名盤を支えた伝説的なスタジオ・ミュージシャンがいるが、コロムビア・シンフォネットは伝説とは無縁の職人集団。基本的に、演奏者たちの名は明かされていない。
注1:1969年、米アラバマ州で設立した録音スタジオ「マッスル・ショールズ・サウンドスタジオ」。サザンソウルの名門、フェイム・スタジオに所属していた4名のミュージシャン(ジミー・ジョンソン、バリー・ベケット、デヴィッド・フッド、ロジャー・ホーキンス)が独立して発足。
注2:60〜70年代に米ロサンゼルスを拠点に活動していたスタジオミュージシャン集団。
60〜70年代にかけて活動していたコロムビア・シンフォネットが、おもに手がけていたのは映画音楽のカバー。当時、映画音楽は人気ジャンルのひとつで、歌謡曲に混じって映画のテーマ曲や主題歌がヒットチャートに入るくらい、人々の間で親しまれていた。
匿名の邦人バンドが奏でる「洋楽」
思えば筆者が子供の頃(70年代半ば)、父親が独身時代に買ったステレオセットに興味を持って付属のラックを物色していると、そこに『永遠のスクリーン・ヒッツ』という映画音楽のコンピレーションのレコードが入っていたことがある(ジャケットは『太陽がいっぱい』のアラン・ドロン)。それがオリジナル音源だったのかカバーだったのかは今となってはわからないが、かつて映画音楽はシャレた洋楽として愛されていたのだ。
そんななか、コロムビア・シンフォネットは、オリジナルの雰囲気を大切にしつつ、ストリングスを加えた小編成のバンドで演奏。メロディを引き立てたアレンジで、ストリングスやギターが奏でる旋律が郷愁を誘う。それは、この時期、世界的に流行したイージーリスニングやラウンジ・ミュージックに通じるもの。
ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、フランク・ プウルセルなど、海外の作曲家たちがフルオーケストラで奏でた音楽が “豪華なリムジン” だとしたら、コロムビア・シンフォネットのスモール・コンボの演奏は軽自動車のような人懐っこさがあり、その慎ましさや暖かさは昭和的と言えるかもしれない。そんなコロムビア・シンフォネットの音源の数々が、時を経て甦ることになった。
忘れ去られた音楽遺産を発掘
仕掛け人は、ムーンライダーズのメンバーで映画音楽作曲家としても活躍する鈴木慶一。古い歴史を持つコロムビアが所有している音源に以前から興味を持っていた鈴木は、世に出すためにはパートナーが必要と考え、グラフィックデザイナーで音楽家でもある岡田崇と共に、数多くの音源が眠る倉庫を訪ねてその膨大さに途方にくれたという。
これまで岡田は、レイモンド・スコットをはじめ数々のユニークな音楽を発掘し、細野晴臣のラジオ番組では準レギュラーとして選曲を担当するなど凄腕のリサーチャー。それならばと岡田が持ち出したのが、自身で収集していたコロムビア・シンフォネットのレコードだった。
こうして二人は音楽遺産発掘ユニット、THE DIGGERSを結成。コロムビアの倉庫というお宝の山へと分け入って、大量の音源を丹念に聴いて選曲した。そして完成したのが『The Diggers : Keiichi Suzuki & Takashi Okada loves Sound Archives 01 Spotlight on the Columbia Symphonette 〜鈴木慶一・岡田 崇、コロムビア・シンフォネットを探る〜』だ。
本作のライナーノーツには二人の対談が収録されているが、それによると、当時のコロムビア・シンフォネットは、作曲家/鍵盤奏者の道志郎。作曲家/ギタリストの横内章次らを中心に、作品ごとにメンバーが変化する楽団だったようだ。道は第二次世界大戦が終わったあと、進駐軍のキャンプを回ってジャズを演奏していたが、やがて農林水産省に勤務。役人として働きながら、コロムビア・シンフォネットの曲をアレンジしたり、演奏にも参加している。きっかけは、ラジオのディレクターになった学生時代の友人の頼みで、ラジオ番組用の音楽制作に参加するようになり、その流れでコロムビア・シンフォネットの曲をアレンジをしたり、演奏に参加するようになったという。
ロックが上陸する前の「鑑賞音楽」
軽音楽に耳を傾けながら家でゆったりと過ごす。そんな時代があったのだ。本作『The Diggers〜』には、「第三の男」「ブーベの恋人」「地下室のメロディー」「ぼくの伯父さんの休暇」など名作映画の曲が並んでいるが、ヨーロッパ映画が多いのは、日本人が叙情的なメロディーを好んだからだろう。かつてムーンライダーズがカバーした「太陽の下の18才」も収録されている。
子供の頃にラジオから流れる映画音楽に惹かれていた鈴木は、その叙情的な音楽を“卒業”するきっかけになったのは、ロックの登場だったとライナーノーツで語っている。荒々しいエレキ・ギター、力強いリズムを強調した刺激的な音楽=ロックンロールが生まれたことで、映画音楽やイージーリスニングは次第に時代遅れの音楽となっていった。
そんな時代の移り変わりを感じさせる曲も本作に収録されている。60〜70年代にアメリカのロック・シーンで活躍したシンガー・ソングライター/プロデューサーのジョン・サイモンが手がけた、『ラスト・サマー』のテーマ曲「去年の夏」だ。鈴木はこの曲のアレンジを聴いて、他の収録曲とは違う「ロック登場後的なもの」を感じて強く惹かれたという。
昭和を写すモンド・ミュージック
90年代に「モンド・ミュージック」としてリージー・リスニング/ラウンジ・ミュージックが再評価されたときには、脚光を浴びることがなかったコロムビア・シンフォネット。映画音楽を耳当たり良くアレンジするなかで醸し出される洗練された「和」の要素は、いま聴くとじつに心地良く、最近のポップスに失われた優雅さを感じさせる。そこには無名の職人たちのワザが息づいているのだが、コロムビア・シンフォネットにどんなミュージシャンが参加していたのか、その詳しいデータは残されていない。のちに有名になったミュージシャンが参加している可能性もあり、曲によっては驚くほど技巧的な演奏を楽しめるのも本作の魅力のひとつだ。
海外のイージーリスニングとはひと味違うソフィスティケーション。ストイックな職人技を持ったコロムビア・シンフォネットのサウンドは、洋楽を巧みに消化していった日本のポピュラー・ミュージックの歴史における忘れられた音楽遺産であり、昭和のモンド・ミュージックと言えるかもしれない。The Diggersの発掘の旅はこれからも続くらしく、さらなる発見に期待したい。