アフロビートの創世記から活躍した名ドラマー、トニー・アレンが4月30日にフランス・パリで亡くなった。79歳だった。彼のマネージャーの談によると、死因は腹部大動脈瘤によるものだったという。
アフロビートの創始者フェラ・クティとの活動で広く知られるトニー・アレンは、フェラ・クティから「トニーなくしてアフロビートは生まれなかった」と言われるほど同ジャンルの発展に大きく貢献。近年においても精力的な活動で行進たちに多大な影響を与えてきた。
1940年にナイジェリアのラゴスで生まれたトニー・アレンは、18歳でドラムを始め、60年代にフェラ・クティと活動をともにするまで複数のバンドに在籍。アート・ブレイキーやエルヴィン・ジョーンズといった様々なドラマーの演奏を研究し、アフロビートへと繋がる自身のスタイルを確立したという。
フェラ・クティのバンド「フェラ・アンド・アフリカ70」で『Expensive Shit』『Zombie』『Unknown Soldier』などの作品に参加する中、1975年にはソロ作『Jealousy』を発表。
フェラのバンドを離れたのち、「トニー・アレン・アンド・アフロ・メッセンジャーズ」を結成。1980年代には、イギリスに1年半滞在したのちフランス・パリに移住。最初の数年はヘロイン中毒の回復に費やし、90年代はセッション・ドラマーとして活動した。
2000年代〜2010年代においても、キャリアはますます発展し、デーモン・アルバーン(ブラー/ゴリラズ)らのバンド「ザ・グッド、ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン」や、アルバーンとの別バンド「ロケット・ジュース・アンド・ザ・ムーン」に参加。ドラマーとしても、グレイス・ジョーンズ、シャルロット・ゲンズブールといった高名ミュージシャンの録音や、テクノ界のスターDJ=ジェフ・ミルズとのコラボEPも発表。
2019年には、グラミー賞も受賞したアンジェリーク・キジョーのアルバム『Celia』に参加し、今年3月には故・ヒュー・マセケラとの共同アルバム『Rejoice』を発表。ソロとしては、2017年に発表したブルーノート・レコードからのデビュー作『The Source』が最後の作品となった。