メジャーデビュー前の英ロックバンド、ビートルズを撮影したことで知られるドイツ人女性写真家、アスリット・キルヒヘアが4月12日、ハンブルグで死去した。81歳だった。AP通信によると、死因はがん。キルヒャーと表記されることもある。
メンバーの髪をマッシュルーム・カットに
キルヒヘアはアートや写真を学んでいた1960年、地元ハンブルグで、巡業に訪れたビートルズと出会って意気投合。当時のメンバーはジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、スチュアート・サトクリフ、ピート・べストの5人で、革ジャン姿のメンバーを撮影。メンバーの髪をマッシュルーム・カットに切り、ビートルズの初期のイメージ作りに大きく貢献した。
さらに、レノンの親友で「5人目のビートルズ」と呼ばれたサトクリフと恋に落ちて婚約、サトクリフが短い生涯を終えるまで共に過ごした。当時の様子は映画『バックビート(Backbeat)』(1994年)に描かれ、話題に。キルヒヘア役は、米人気シリーズ『ツイン・ピークス』でローラ・パーマー役だったシェリル・リーが演じた。
キルヒヘアは1938年ハンブルグ生まれ。学生時代にデザインや写真撮影などを学び、22歳だった60年10月、当時付き合っていたクラウス・フォアマンらと共に、クラブにビートルズの演奏を見に行った。ビートルズの伝記作家として知られるハンター・デイヴィスの著作によると、キルヒヘアは、レノンとサトクリフがアート・カレッジ出身だったことから親しくなり、メンバーを撮影。リーゼントで革ジャン姿のレノンやマッカートニー、ハリスンらを写真に納めた。
さらにメンバーの顔半分に照明を当てる手法で撮影したモノクロの写真を残し、メジャーデビュー後のビートルズが発表したアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ(With The Beatles)』(63年)のジャケット写真に影響を与えた。
キルヒヘアはサトクリフと恋仲となり、レノンは当時のガール・フレンドで後に妻となるシンシアと共に、サトクリフとキルヒヘアと交流した。もともと画家志望だったサトクリフは音楽活動を辞め、キルヒヘアと過ごすためハンブルグに残ることを決意。だが62年4月に倒れ、脳内出血のため急逝した。亡くなったのは、病院搬送中のキルヒヘアの腕の中だった。
ビートルズのメンバーとの交流はその後も続き、映画『ア・ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day’s Night)』(64年)の撮影に参加したほか、ハリスンのアルバム『不思議の壁(Wonderwall Music)』(68年)の写真などを撮影。だが写真の世界からは引退し、90年代になって初めて自らが撮影したビートルズの姿を集めた写真集を数冊発表、日本など各地で写真展を開いた。
ポール・マッカートニー「僕らは彼女のスタイルに夢中になった」
メジャーデビューと共にビートルズに加入したリンゴ・スターはツイッターで「素晴らしい写真を撮ってくれた。ピース・アンド・ラブ」と追悼、一番気に入っているという彼女が撮ったビートルズの写真も投稿。故ハリスンの妻オリヴィアも追悼メッセージを出した。
One of my all-time favorite photos thank you Astrid peace and love. 😎✌️🌟❤️🎶🎵🥦🦏💖☮️ pic.twitter.com/mVHvVmIaQV
— #RingoStarr (@ringostarrmusic) May 17, 2020
ポール・マッカートニーは4月21日、こんなメッセージで、彼女の死を悼んだ。
「とても悲しい知らせだ。アストリッドはビートルズのハンブルグ時代からの親しい友人だった。彼女の訃報はもう1人の友人のフォアマンが教えてくれて、僕らのハンブルグ時代の日々を思い出させてくれた。
ルックスは独創的で、ブロンドのショートカットヘアー、スリムな黒いレザーの服を着ていた。とても優れたユーモアの持ち主で、クラブや彼女の家、近くの海辺のリゾートで一緒に過ごした楽しい思い出がたくさんある。ウィットに富んだ会話も刺激的で、僕らはアストリッドのスタイルに夢中になった。彼女は僕らの美しい写真を撮ってくれた。モノクロのフィルムを使って、見事な雰囲気を写真に納めてくれた。僕らは皆、彼女の写真が大好きだった」