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「ジャズとエロスの関係とは、現在の私たちが考えるよりももっと根源的なものではないのか」──。前回の最後に掲げたその問いに答えられる表現者として、この人以上の人はいないだろう。音楽家、文筆家、批評家、DJ、料理研究家──。その多彩極まる活動を貫いているのはまさしくエロティークの感覚にほかならない。現代の日本ジャズ界最大の鬼才にして奇才、菊地成孔がジャズと自身のエロスの起源を語る。
今晩、ジャスミンの香りはいかがかしら
ジャスミンの花ことばのひとつが「官能的」であるのは、その濃厚な香りが古くから人々を惹きつけてきたからで、クレオパトラがジャスミンの香油を愛用していたことは有名である。パスカルがクレオパトラの美貌の象徴としたのは鼻の高さだったが、身に纏ったその香りによって翻弄された男たちも多かったようだ。
ジャズの語源のひとつとして「Jass」という性行為の隠語が挙げられることにはすでに触れた。そのさらに語源がジャスミン(Jasmine)であることを教えてくれたのは菊地成孔だった。「最近のジャズエッセイの中では出色」と彼が言う『だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?』には、ジャズの語源の「最も詩的な説」としてこんな話が紹介されている。
「当時のストーリーヴィルの売春婦たちが好んで使っていたフランス製の香水にはジャスミン・オイルが使われており、その香りを指すものとして“jass”という言葉が生まれたらしい。そして彼女たちは、自分に近づいてくる、お客になってくれそうな連中に対し、そそるような声でこんな言葉を放っていたのだ。『Is jass on your mind tonight, honey?(今晩、ジャスミンの香りはいかがかしら、ハニー?)』」
著者はフランスのラジオ局「radio nova」のチーフ・ディレクターだったブリュノ・コストゥマルで、そのエッセイを「フランス人のエスプリに満ちた素晴らしい文章」と菊地は絶賛する。ニューオリンズの売春婦たちが愛用していたジャスミン・オイルが「フランス製」であった──。ここにジャズのエロスの起源を解く重要な鍵があると教えてくれたのもまた菊地である。
ジャズのルーツとしてのドビュッシー
2005年に発表したソロ・アルバム『南米のエリザベス・テイラー』と、そのコンセプトを継承するバンド「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」によって菊地は、それまでの日本のジャズ・シーンには希薄だった濃密なエロスを鮮やかに表現してみせた。ジャズにおける官能の語り部として彼以上のタレントはおそらくいまい。彼は、ジャズのエロスの起源にあるのは「フランス的なもの」であると語る。
「ニューオリンズはもともとフランスの国外県で、“新しいオルレアン”として建設された街でした。公用語もある時期までフランス語だった。この事実を知らないと、ジャズはヨーロッパを起源とするアメリカ的要素とアフリカ的要素をミックスした音楽という単純な理解で終わってしまうし、事実それ以上のことを深く考えない人がジャズ・マニアの中にも多いと思います。しかし、ニューオリンズは端的に言ってフランスだった。この意味はものすごく大きいんです」
ジャズは「アメリカの音楽」であるとされているが、現在のアメリカをつくったのがイギリスやオランダから渡ってきた白人であることを考えれば、アメリカ音楽の起源は欧州にある。そこに黒人奴隷のルーツであるアフリカ文化が加わることで成立したのがジャズとされる。菊地が指摘するのは、その歴史記述の「粗さ」である。
「ヨーロッパ的要素とアフリカ的要素のミックスといっても、ジャズは、ベートーベンとタンザニアの音楽を混ぜ合わせたものではないんです。ジャズのもとにあるのは19世紀後半から20世紀初頭にかけてのフランス近代音楽、すなわちドビュッシーやラヴェルです。ジャズが現在に至るまで、ドリーミーでエッチな感じの音楽であり続けているのは、フランス近代音楽の要素が色濃くあるから──。これは明確に指摘しておくべき事実だと思います」
エレガントなエロティークを備えた音楽
クラシック音楽の通史として評価の高い『西洋音楽史』の中で著者の岡田暁生は、1883年のワーグナー歿後から1914年の第一次世界大戦勃発までの30年あまりを「音楽史上ここまでエキサイティングな時代を、私は他に知らない」と書いている。そして、その時代にあって「最も鮮烈な潮流」がフランス近代音楽である、と。
印象主義とも呼ばれるその音楽の特徴は、「フランス的な『軽さ』」であり、「独特のダンディズムの感覚」であり、「意識的に軽薄さや通俗性を気取る、きわめて洗練された一種のスノビズム」であると岡田は言う。また、「『場末の音楽』とでもいうべきものに対するドビュッシーらの深い愛情」もまた、それまでのドイツ文化圏中心のクラシック音楽には見られないものであった。ダンディズム、通俗性、スノビズム、場末──。それらの要素はすべて、のちにジャズに流れ込むことになる。そして、エロティシズムも。菊地は言う。
「それ以前のロマン派の音楽の調性を拡張しようとしたのが、ドビュッシーやラヴェルでした。その結果、エレガントなエロティークを備えた音楽、白日夢的でいくぶんフェティッシュな音楽が生まれたわけです。それをすなわちフランス的なものと言ってしまっていいと思います。もちろん、ドイツ文化にもエロティークはありました。しかし、それは地下でこっそり嗜むものだった。それに対して、フランス的エロはオーバー・グラウンドの文化、市民権を得た文化です。ドビュッシーの音楽なんか、めちゃくちゃエロいですよ。例えば『牧神の午後への前奏曲』は、いろんなフェティシズムが混ざりあったほとんど変態の音楽と言っていいと思います」
ドビュッシーの代表的な管弦楽曲の一つ『牧神の午後への前奏曲』。1892年から94年にかけて作曲された。この映像は1978年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。巨匠ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮をしている。
クレオールが伝えたフランス文化
だが、そのフランス近代音楽の要素をアフリカ的要素と結びつけたのは、果して誰だったのか。クラシックの基礎を身につけた白人が黒人のミュージシャンとセッションを重ねて、それが次第にジャズという音楽に発展していった──。黒人差別が制度化され、白人と黒人の交わりが厳しく制限されていた当時の米南部にそのような事実があったはずもない。では、異なる文化の融合はどのようにして行われたのか。
異文化融合にあたって大きな役割を果たしたのは「クレオール」であった。そう指摘しているのは、ジャズ評論家の油井正一である。
「フランスの支配期間が長かったニューオリンズに、クリオールが多く生まれ、一般黒人とちがった階級を形成していた事実が、ジャズという音楽を生むのに大きく役立ったのである」(『ジャズの歴史物語』)
クレオール(英語ではクリオールと発音される)は、カリブや中南米などで生まれ育った欧州人を指すと一般的には説明されるが、ニューオリンズにおけるクレオールとは、旧宗主国であるスペインあるいはフランスの白人とアフロ・アメリカンの両方のルーツをもつ人々を意味する。その多くは白人主人と黒人使用人の間に生まれた人々の子孫で、19世紀末までニューオリンズを含むルイジアナ州では、フランス人またはスペイン人を祖先にもつことを証明できる黒人すなわちクレオールは、「白人」としての身分を保証されていた。
「一八五〇年頃クリオールの繁栄は絶頂に達し、子弟をフランスに留学させ、中にはそのままフランスに住みついてしまう者も多かった。日常用語はフランス語。一種のエリート階級で、子供たちにはヴァイオリンやピアノを習わせて、みっちりと音楽教育をほどこす商人などの金持が多く、金を出しあって百人編成の交響楽団まで養成したというから、教育パパと教育ママが揃った階級だったといえよう」(同上)
そのクレオールの身分が一転「黒人に準じる」とされたのは1894年であった。それ以前、1863年の奴隷解放宣言によって奴隷制が撤廃され、黒人の地位は少なくとも制度上は引き上げられていた。フランス音楽の教養を身につけた上で「格下げ」されたクレオールと、リンカーンによって「格上げ」されたアフリカ文化の継承者たる奴隷の子孫たち。彼らはそうして「黒人」としての地位を等しく共有することになった。その「黒人」たちのミックス・バンドから生まれた音楽こそがジャズであったと油井は説明する。
「ジャズの創始者」を自ら名乗ったジェリー・ロール・モートンも、そのようなクレオールの一人だった。ストーリーヴィルの最後の姿を描いた映画『プリティ・ベイビー』が彼に捧げられ、劇中にも彼をモデルとする売春宿の専属ピアニストが登場することはすでに書いたとおりである。彼らクレオールの存在がなければ、フランス音楽のエロスがアフリカ・ルーツの音楽と混ざり合うことはなかった。これもまた明確に指摘しておくべき事実だろう。
エロスの向う側にある「愛」
出自がフィーリングを決定する。それは音楽でも人の人生でも同じらしい。ジャズのエロスのフィーリングを形成したのはフランス近代音楽のエッセンスであり、芸術家としての菊地成孔のエロスのフィーリングを形成したのは、故郷である港町・銚子の原風景だった。彼の文筆家としてのデビュー作である『スペインの宇宙食』には、その原風景が鮮やかに記されている。「その後、何度も言ったり書いたりしてきたこと」と断りながら、彼は話す。
「実家が飲食店を経営していて、家の両隣は映画館でした。子どもの頃、僕が泣き始めるとおふくろはいつも映画館に連れていきました。映画を見るとすぐに泣きやむんですよ。僕が好きだったのは、ゴジラよりもヴァンプ女優のダンスシーンでした」
ヴァンプとは妖艶な毒婦を意味する。そんな女性が彼の身のまわりにも数多くいた。近所にストリップ劇場があり、幼い頃の彼はストリッパーたちにずいぶんとかわいがられたという。その「かわいがり」の末に、ある中年のストリッパーに神社の境内で凌辱された経験が、その後の自分の人生に大きく影響していると菊地は語る。
「あれが未遂で済んだからぎりぎり芸術家でとどまっていますが、最後までやられていたら犯罪者になっていたかもしれないと本気で思います。いつまでも子どもの頃のことにこだわるのもどうかとは思いますが、人はそういうところから一生逃れられないんですよ」
ときに過剰に見える彼のエロティシズムの核にはそのような原風景と原体験がある。ジャズのエロティシズムの核にフランス近代音楽があるように──。そう言ってしまえばことは単純だが、エロスをエロスのままに表出することは自己主張ではあっても芸術ではない。
「エロティシズムを徹底的に凝縮していくと、どこかでその向こう側に突き抜けていくんです。それが僕の表現だと思っています。ライブ・ハウスで僕のステージを2時間見てくれた人は、“この人が本当に表現したいのはエロではない”とみんなわかってくれると思います」
「向う側」にあるものとは何か。死にぎりぎりまで迫る危険な水中セックスに耽溺するカップルを描いた小説『あたしを溺れさせて。そして溺れ死ぬ私を見ていて』で、菊地はそれを「愛」と表現した。
「根源的な生きる力のようなものと言ってもいいと思います。僕はそれをみんなに見せたいんですよ」
ジャズを「売春のBGM」から、20世紀中葉の「時代のBGM」へと成長させたもの。そして、ジャズをいまだに「古きよき時代の音楽」ではなく、進化し続ける芸術たらしめているもの。それもまた、その「根源的な力」なのかもしれない。(敬称略)
〈参考文献〉『だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?』ブリュノ・コストゥマル著/鈴木孝弥訳(うから)、『西洋音楽史──「クラシック」の黄昏』岡田暁生(中公新書)、『ジャズの歴史物語』油井正一(角川ソフィア文庫)、『スペインの宇宙食』菊地成孔(小学館文庫)、『あたしを溺れさせて。そして溺れ死ぬ私を見ていて』菊地成孔(東京キララ社)
▶︎Vol.14:誰がジャズにアイビーを持ち込んだのか─ モダン・ジャズのファッションの起源
1971年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、フリーの編集・ライターとなる。現在は、ジャズを中心とした音楽コラムやさまざまなジャンルのインタビュー記事のほか、創作民話の執筆にも取り組んでいる。本サイトにて「ライブ・アルバムで聴くモントルー・ジャズ・フェステイバル」を連載中。