投稿日 : 2020.07.10 更新日 : 2021.01.18

オンライン配信はライブの代替となりうるか─ 小曽根真「ハイブリッド公演」レポート @ブルーノート東京

取材・文/二階堂尚 

6月20日と21日の2日間、ブルーノート東京(東京都港区)でおそらく国内では初となるハイブリッド・ライブが行われた。「会場での観覧」と「オンライン配信による視聴」を同時に実現する試みである。新型コロナウイルスの感染被害が継続し、ライブハウスやホールへの観客動員がままならない中、ハイブリッド型公演はライブ・シーンを支えるソリューションとなりうるのか。2日間の公演の模様をレポートする。

3か月以上の営業自粛を経て

僕個人としては、課金ライブ配信を行うのはまだ早いと思っていました」と、ライブ直前にプレス向けに配布したコメントシートに小曽根真は書いていた。しかし、困難な状況にあるライブハウスを応援するのは大切なことであり、再オープン後最初のライブ出演を依頼されたことに応えねばならないと考えた、と。

3月4日のコリー・ヘンリーのステージを最後に営業自粛を続けてきたブルーノート東京が、無観客の有料ライブ配信を始めたのは6月に入ってからだった。最初の出演者はエリック・ミヤシロ率いるブルーノート東京オールスター・ジャズ・オーケストラ。以後、4組のミュージシャンによる無観客ライブ配信を経て、会場に観客を入れかつ配信も行う「ハイブリッド公演」に乗り出したのが6月20日のことである。そのステージを任されたのが小曽根真だった。

この人しかいない、というブッキングだったと言っていいと思う。新型コロナウイルスによるショックが全世界に広がる中、小曽根が自宅リビングでのピアノ演奏をYouTubeで配信し始めたのは4月9日である。配信はそこから連続53日に及び、演奏時間はときに1時間を超えた。最後は渋谷オーチャードホールのステージからの配信というサプライズも用意されていた。多くのミュージシャンが、自分は何をすべきか、何ができるかと悩む中、最もわかりやすい形で、しかも根気強くやるべきことを続けてきたのが小曽根だった。その彼を、コロナ禍を3か月超にわたって耐え忍んだ店の再スタートに演者として招く。これ以上の演出は考えられなかっただろう。

小曽根真がおこなった自宅からのライブ配信、『Welcome to Our Living Room 』の第1回。

会場の観客数は通常の3割強

公演は6月20日、21日の2デイズ。“Solo” & “with friends” という公演名のとおり、初日にはトランペットの五十嵐一生が、2日目にはトロンボーンの中川英二郎が出演することが事前にアナウンスされていた。会場観覧の料金設定は 8800円から1万3200円、配信観覧は 3500円だった。事後的に確認した内容も含めて、配信に関するファクトを整理しておく。

●配信には、チケット販売とライブ配信のプラットフォーム「ZAIKO」、ぴあ「PIA LIVE STREAM」、イープラス「Streaming+」を使用。
●会場のカメラの台数は計10台。これはこれまでの無観客ライブ配信と同数。
●映像チームは社内外のスタッフの混成。

この公演の初日を「会場」で、2日目を「オンライン」で見せてほしいとブルーノートにお願いしたのは、会場で体験するライブと配信で見るライブの違いを体感し、今後増えていくとみられるオンライン配信の可能性を見極めたいと考えたからである。

20日の19時半過ぎ。スタッフによる検温と手指の消毒を行って会場に入る。スタッフはもちろん全員マスク着用。観客の着用はマストではないらしい。着用率は5割といったところか。担当者によれば、280人のキャパに対して当日の観客は100人。およそ35%まで動員を減らしての開催とのことである。対人距離は十分に確保されている。

通常は客席が並ぶステージ前の空間にグランド・ピアノを設置し、それを客席がコの字に囲むというのがこの日のセッティングだった。ステージには椅子が置かれ花が飾られている。小曽根が取り組んできたリビングからの演奏を意識した演出だろう。酒や食事を楽しみながら演奏を聴くことができるシステムは従来どおりである。

通常は客席があるスペースがステージとなった。

ほぼ20時ジャストに、銀のシルクのシャツと黒のスラックスという装いの小曽根が手を振りながら笑顔で登場する。マイクを手にして「今日は記念すべき一日、とても大切な一日です」と、ひと言ひと言を確かめるように語り、観客はそれに温かな拍手で応じる。胸に込み上げるものを感じる感動的な瞬間であった。会場の空気が湿っぽくなるのをぎりぎりで食い止めたのは小曽根の明るい人柄で、「あー、緊張する」と笑いながら、その日の朝書き上がったという新曲を弾き始める。

曲の合間のMCに英語を交えているのは、この配信が全世界で視聴可能であることを意識しているからだ。会場のほとんどが日本人であると思われる観客とのコミュニケーションと、カメラを通じての遠隔コミュニケーション。その両方を同時にこなそうとする誠実さもまた、彼の人柄なのだった。

最初の3曲を一人で弾き終えると、自身の発案という若手ミュージシャンとのセッション・コーナー「ライジング・スターズ」で、国立音大の教え子であるベーシストの佐藤潤一を招いて2曲を披露。さらに次の曲からは、この日のゲストである五十嵐一生が加わり4曲を演奏する。アンコールでは、デューク・エリントンの「カム・サンデイ」でBlack Lives Matterムーブメントへの敬意を表した。

1日目のゲストとして登場した若手ベーシストの佐藤潤一。

リアルなライブにマルチ・アングルはない

ブルーノートが用意してくれたのは従来のステージ右手の席で、小曽根が演奏する姿は比較的近くに見えるが、楽しみにしていた五十嵐一生がプレイする様子は、グランド・ピアノの大屋根にさえぎられてほとんど見えなかった。しかしそのことによって、ライブの本質的な「ライブ性」のようなものをあらためて感じることができたのである。

ライブ会場という空間の中で私がいるのは私だけの場所で、そのアングルで演者を見ているのは私一人である。同じように、それぞれの観客が自分だけの場所で演奏を聴き、自分だけの場所から演者を見る。細かなことを言えば、空間に人が一人増えれば、音の伝わり方も微妙に変わるので、観客一人ひとりが音響に関与しているとも言える。その一人ひとりの存在の総体がライブ会場ということであり、観客は会場の一部となることによって、ライブという出来事の一部にもなる。

五十嵐一生の姿は見えなくても、そのプレイの様子を想像しながら、私はあのマイルスのような美しい音を聴いた。それは、私があの場所を与えられたからで、そのただ一つのアングルから見た風景を私は長く忘れることはあるまいと思う。ライブにマルチ・アングルはない。だから経験は唯一のものとなり、記憶は鮮やかなものとなる。

途中からトランペッターの五十嵐一生が演奏に加わった。

「ドキュメント」のクオリティを支えたカメラワーク

さて、翌日のオンライン配信である。久しぶりに生のライブを味わい、大いに感動したあとだったから、配信での観覧が会場観覧に如くはずはあるまいと高を括っていたのである。結論から言えば、オンライン配信の感動は会場でのリアルな観覧をときに凌ぐものであり、これはちょっとした驚きだった。

シチュエーションの作用が大きかったのは確かだ。「ライジング・スターズ」に登場したのはウクレレ奏者のRIO。ゲストは事前のアナウンスのとおり中川英二郎だったが、もう一人最後に、居ても立ってもいられなくなったという体で駆けつけたのがエリック・ミヤシロだった。気心の知れた3人が演奏したのは、ホレス・シルヴァーの「ザ・プリーチャー」。ジャズの魅力をあらためてすべてのオーディエンスと分かち合いたいという思いのこもった素晴らしい演奏だった。

2日目のゲストでトロンボーン奏者の中川英二郎。画像はオンライン視聴時の画面キャプチャー。

小曽根は、途中で調理スタッフを含めたブルーノートの全スタッフを客前に招いて感謝の気持ちを伝え、自宅からの映像配信をサポートしてきたパートナーで女優の神野三鈴を紹介した。オスカー・ピーターソンに捧げた最後の「自由への賛歌」までトータル1時間45分。一篇のドキュメント映画のようなステージであった。

「ドキュメント」のクオリティを支えたのは、卓越したカメラワークである。前述のようにカメラの総数は10台だが、その中には、鍵盤と小曽根の手の動きを捉えるカメラ、表情をズームで映すカメラ、ピアノの真上に設置されたカメラなどが含まれていた。つまり、通常はほぼ見ることができないアングルからの映像を見ることができるということであり、しかもステージの進行に合わせて巧みなスイッチングやパンやズーミングを施して見る人を飽きさせない。

会場では決して見ることのできない、真上からのアングル。画像はオンライン視聴時の画面キャプチャー。

オンライン配信のメリットとは

この日の体験を踏まえて、オンライン配信ならではのメリットをあらためて整理してみると、以下のようになる。

●リアルなライブでは見られないアングルで演奏が見られる。
●チケット代、飲食代、交通費などを捻出する余裕のないファンでも、低価格で気軽にライブが楽しめる。
●国内外の遠隔地からでもライブが楽しめる。
●チケット販売数に制限がない。

いずれもファンの裾野を一気に拡大できる可能性のある要素と言っていい。この日のライブ映像は、当初は当日限定の配信ということになっていたが、アーティスト側の意向で1日間の「見逃し配信」が実現した。おそらく、今後は期間限定のアーカイブ配信が定着してくだろう。その「アーカイブ性」をオンライン配信のメリットに加えてもいいと思う。

もう一点、オンラインならではの双方向性をメリットとして重視する向きもあるかもしれない。配信プラットフォームの多くには、ライブの途中でコメントを書き込む機能があり、今回のライブでも、寄せられたコメントをタブレット端末を見ながら紹介する場面があった。賛否両論あるだろうが、個人的には演奏のさなかにコメントを書くという行為が推奨されるべきではないと思う。デートの途中でせっせとSNSに書き込みをするようなものだからである。双方向性をメリットと捉えることに異存はないが、その可能性は別な形で追求されるべきではないか。

視聴者の世代もあるのか、ライブチャットへの書き込みは少なかった。

一方、収支面での課題は大きそうだ。今回のチケット代は、ほぼオンライン配信視聴者3人分で会場視聴者1人分という設定になっていたが、ライブレストランやライブハウスの多くは、飲食代で利益を得る構造になっている。オンライン配信の売上に飲食代は当然含まれないので、利幅は極めて小さくなるか、場合によっては赤字になる可能性もあるだろう。

私が視聴していたZAIKOに表示された視聴者数は、最大時で816人だった。ほかの2つのプラットフォームの視聴者数は未確認だが、それぞれほぼ同数だとすると、合計視聴者は1回の配信でおよそ2500人。映像撮影と配信にかかるコストを考えれば、採算をとるにはなかなか厳しい数字なのではないかと推察される。視聴者数をいかに確保できるか。それがオンライン配信の成功の鍵を握るポイントと言えそうだ。

オンラインでは投げ銭システムも用意されていた。

オンラインならではの何を実現するのか

多くのライブハウス、ホール、ミュージシャンが現在取り組んでいるリアルタイムのオンライン配信は「コロナしのぎ」のための窮余の一策と言っていいが、それ自体が一つのコンテンツとしてコロナショック後も定着していく可能性は大いにあると思う。会場観覧と組み合わせたハイブリッド公演も、コスト面での課題さえクリアされれば、音楽興行の一形式となっていくだろう。

しかし、ブルーノートの第一弾ハイブリッド公演を体験した経験を踏まえて言えば、やはりリアルなライブとオンライン配信は別物と考えるべきだと現時点では思う。オンライン配信は、リアルタイムであってもアーカイブであっても、数あるデジタルコンテンツの一つであって、自分を含む空間において一回的な出来事が生起し、自分もその出来事の一部となるリアルなライブとはおのずと異なる。私は小曽根真の2日間の公演に心から感動した。だが、1日目の感動と2日目の感動は、感動の質もしくは種類のようなものが同じではない気がしている。

リアルなライブとオンライン配信が別物ということは、それぞれにクオリティの追求の仕方があるということであって、「ライブ動員の減少を埋め合わせるためにオンライン配信をする」という発想では、多くの視聴者を獲得することはできないと思う。10台のカメラと多くのプロのスタッフを擁して実現したブルーノートのオンライン配信は、スペックとしてはマックスと考えるべきで、これを真似できるライブハウスは多くはあるまい。目下経済的に困窮している事業者が多数ある中にあってはなおさらである。では限られたリソースの中で、オンラインならではの何を実現し、どのような感動を惹起できるのか。ライブシーンにおけるチャレンジをこれからも注視してきたい。