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ビートルズの聖地「キャバーン・クラブ」が存亡の危機

“国宝”を失う危機に市長も痛心

ビートルズが結成間もない1960年代始め、数多くのステージをこなしていたことで知られる英リバプールの老舗ライブハウス「キャバーン・クラブ」が、新型コロナウイルスの影響で存亡の危機を迎えている。英政府の文化復興基金に支援を申請しており、認められなければ廃業となる可能性があるという。

キャバーン・クラブは、ビートルズの故郷リバプールで、彼らの足跡を辿る重要な観光スポットの一つ。世界中から年間約80万人のファンが訪れていたが、新型コロナの影響で営業が困難となっている。経営者の一人によると、赤字は毎週約3万ポンド(約420万円)に上り、最近20人の従業員を解雇し、さらなる解雇も検討しているという。リバプールのジョー・アンダーソン市長は「キャバーンのような『国宝』を失うということは最悪のシナリオだ」とアピール。キャバーン側も政府支援に大きな期待を寄せている。

キャバーン・クラブのステージ。1963年に撮影。店名の「Cavern(洞窟)」は、この形状にちなんで付けられた。

資料によると、「ビートルズの聖地」と呼ばれるオリジナルのキャバーン・クラブは57年1月16日にオープン。第二次大戦時に防空壕として使われていた地下室で、当初はジャズ・クラブだったが、ロニー・ドネガンが火付け役となったとされるスキッフルのブームを受け、数多くのスキッフルバンドが出演。ポール・マッカートニーやジョン・レノンが結成し、ジョージ・ハリスンも加入した伝説のスキッフルバンド「ザ・クオリーメン」も出演していた。その後ロックンロールの流行などを受け、ビート・バンドやブルースのミュージシャンがステージに立った。

1961年2月、キャバーン・クラブのステージに立つビートルズ。左からジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニー、ピート・ベスト、ジョン・レノン。

ビートルズの初めてのステージは61年2月9日で、昼の部でのデビューだった。その後常連となり、最後の出演となった63年8月3日まで、計292回の公演を行った。ビジネスマンだったブライアン・エプスタンが彼らの演奏を初めて観たのもキャバーン・クラブで、61年11月9日の昼の部だった。彼らを気に入ったエプスタインはマネージャーとなり、レコード会社との契約を取り付け、世界の人気バンドに育て上げたこともあり、当時の経営者は「キャバーン・クラブがなければ、ビートルズは存在しなかった」と指摘。これに対し、ジョン・レノンが「違うね。ビートルズがキャバーン・クラブをつくったのさ」とやり返したとの逸話も残っている。

2020年3月24日、英ボリス・ジョンソン首相は厳格なロックダウン措置を敢行。この日からリバプールのキャバーン・クラブも営業を休止した。クラブに面したマシュー通りに人影はなく、ジョン・レノン像だけが店の入り口を眺めている。

キャバーン・クラブには、ローリング・ストーンズやキンクス、フー、デヴィッド・ボウイなど数多くのアーティストも出演したが、73年にビル取り壊しのため閉店。ファンらの熱い要望を受けて84年4月に再びオープンし、99年にはポール・マッカートニーが演奏を行った。21世紀に入ってもコロナ禍に見舞われるまでは、歴史的なライブハウスとして営業を続けていた。

キャバーン・クラブは8月27日から9月1日まで「VIRTUALLY INTERNATIONAL BEATLEWEEK FESTIVAL 2020」と題し、様々なバンドが出演するライブをインターネットで有料配信する予定。経営者の一人は「大きな収入にはならないことは分かっているが、我々がここにいることを思い出してもらい、存続につなげたい」と訴えている。

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