投稿日 : 2020.10.12

伝説のラジオ番組『菊地成孔の粋な夜電波』の書籍シリーズがついに完結!─ラジオを使った総合芸術、その真実に迫る

取材・文/二階堂尚

菊地成孔の粋な夜電波、シーズン13-16 ラストランと♂ティアラ通信篇
音楽家、文筆家、音楽講師である菊地成孔が、2011年から18年にかけてパーソナリティを務めたTBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」。その書籍シリーズが4作目をもってついに完結した。すでに半ば伝説となっているあのラジオ番組の魅力とは何だったのか。そして、それが書籍化されたことの意味は──。
最新刊の発刊を機に、「粋な夜電波」の世界をあらためて掘り下げてみたい。

長期政権なみに続いた人気ラジオ番組

「ラジオでの饒舌がそのまま本になる。なんてすごい男だ」──筒井康隆(『菊地成孔の粋な夜電波 シーズン9-12』帯より)

「なんて豊かな夜中だっただろう! なんて甘美な音楽とトークだっただろう!」──吉本ばなな(『同 シーズン13-16』帯より)

菊地成孔がパーソナリティを務めるTBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」が始まったのは、2011年4月17日だった。番組は日曜夜の1時間枠からスタートし、その後、半年間のシーズンごとに曜日と時間帯を変え、1時間半、2時間、再び1時間と尺も変えながら、2018年12月29日までおよそ7年8か月、16シーズンにわたって続いた(ちなみに、7年8か月という期間は、日本の憲政史上最長を記録した第二次安倍晋三政権の在任期間と同じである)。

ミュージシャンがラジオのパーソナリティを務めることは少しも珍しくはないが、「夜電波」がほかに類例のない番組だったのは、放送作家を起用せず、番組構成と選曲をすべて菊地が担った点にあった。内容は、番組冒頭の「前口上」、散文を朗読する「テキストリーディング」、女子アナウンサーなどのゲストを招いた「コント」、そして「フリートーク」の4つに大別された。その間に、曲が4曲流れるというのが基本構成である(※)。前口上、テキスト、コントはすべて菊地の自作だった。

※選曲補佐として、菊地の音楽講座の教え子である中村ムネユキが関わっている。これ以外にシーズンごとに替わる番組テーマソングがあった。また、紹介する曲の数は回によっては大幅に増える場合もあった。

回ごとに特集テーマが設定される場合もあり、とくにテーマのないフリースタイルで放送されることもあった。テーマは例えば「赤ワインに合う音楽特集」「ボサノヴァ特集」「声とリズム~誰も語らないヒップホップ進化の構造」「アメリカ経済が一発くらった時の音楽特集」といかにも多彩で、音楽ジャンルを限定した「ジャズBAR〈菊〉」「ソウルBAR〈菊〉」「邦楽BAR〈J菊〉」といった回もあった。これらのテーマもすべて菊地主導で決められた。

菊地成孔の写真、粋な夜電波

第4弾で完結した書籍シリーズ

しばしば時間帯聴取率首位となる人気番組であったこの「粋な夜電波」が初めて書籍化されたのは、2017年10月である。サブタイトルは「シーズン1-5 大震災と歌舞伎町篇」。その後、1年半ほどの間に第2弾「シーズン6-8 前口上とコントの爛熟期篇」、第3弾「シーズン9-12 安定期と母の死そして女子力篇」が出版され、これらの書籍もまた、菊地ファン、ラジオ・ファンに熱烈に支持される人気コンテンツとなった。

番組は局の編成上の都合で、第2弾書籍が出版される時点で18年いっぱいをもって終了することが決まっていた。第2弾が出版されたのが番組終了のひと月前、第3弾が出版されたのは番組終了から3か月後である。続く第4弾で書籍シリーズが完結することはかねてアナウンスされていたが、出版の報はなかなか届かなかった。

しかし、ついにと言うべきか、その第4弾にしてシリーズ完結篇となる「シーズン13-16 ラストランと♂ティアラ通信篇」がこの9月25日に出版された。第3弾から1年半ほどの時間が経ってしまった事情は同書の後書きに詳しいが、簡単に言えば出版サイドの都合である。詳細はぜひ書籍を手に取って読んでほしい。

『菊地成孔の粋な夜電波 ―― シーズン13-16 ラストランと♂ティアラ通信篇』 菊地成孔 著 /TBSラジオ 著/草思社 刊 伝説的ラジオ番組の書籍化、完結篇。

音楽に基づいた文学性

さて、第4弾「シーズン13-16 ラストランと♂ティアラ通信篇」の内容は、前3篇同様、前口上、フリートーク、テキストリーディングなどの選択的採録だが、その内容の質の高さにはあらためて感服せざるを得ない。美文名文が連ねられているというわけではもちろんない。「文体」がまさにラジオであり、語りであるということである。

一般に、話し言葉と書き言葉はまったくの別物で、例えば、よどみなく話す有識者の講演でも、それをいわゆるテープ起こししただけでまともな文章になることは100%ない。語られた内容を文法的に正しく整然とした文章にする作業が必ず発生する。言語学ではそのギャップを、パロール(話し言葉)エクリチュール(書き言葉)という術語で説明している。

「夜電波」の書籍シリーズの特徴は、そのギャップがまったくといっていいほど感じられない点にある。前口上にもコントにもあらかじめ用意されたテキストはあったが、菊地はまさにそれを「話すように」書き、一方テキストのないフリートークは、テンポとリズム感に富んだ「文章のように」語る。もちろん、音声起こし後に菊地自身による微細な修正が施されていることは本の後書きに書かれているとおりだが、その修正のプロセスをまったく感じさせないほど、彼の文体はジャズで言う「スポンテイニアス=自然発生的」な語りとなっている。だから読者は、書籍の字面を追いながら、そこには存在しない菊地の声を聴くという稀有な読書体験を得ることができる。

語りと文章を境なく貫くその独自の文体を「音楽に基づいた文学性」と表現するのは、この書籍シリーズの企画発案者で、各巻の前書きや後書きで菊地が「天才編集者」と(笑)つきでしばしば紹介している草思社の渡邉大介である。

「優れた作家の文体には、常に音楽性があります。菊地さんの語りや文章にはまさにそれがあって、その文体に乗ることでどんなテーマでも面白くなる。それが菊地さんの文学性であると僕は考えています」

文体における音楽性とは、リズム、文脈の流れ、語りのトーン、語彙の選択などを意味すると考えればいいだろう。音楽のような律動と旋律と鮮やかなひらめきをもつ文体。それが優れた作家の文体であり、菊地の文体であるということだ。「夜電波」の放送初回からのリスナーであった渡邉は、とりわけ前口上やコントにプロの音楽家ならではの音楽性を常に感じていたという。

「これを書籍にすれば間違いなく一つの文芸作品になると考えました。とくに前口上は、ほとんど詩歌に近いと僕は感じています。詩情があり、巧みな言葉遊びがあり、ナンセンスに飛躍する想像力があり、ギャグがある。そして、その中に自身の生い立ちや過去の難病の経験に基づいた人生への深い造詣がある。このような語り口をもったラジオ番組はこれまでなかったのではないでしょうか」

劇作家の才能を見せつけたラジオ・ドラマ

今回の出版記念のトークショーで菊地自身が「どの回もすべて面白い」と語ったとおり、前口上にもコントにもテキストリーディングにも読者を飽きさせる要素はない。とりわけ最終巻の白眉といえるのが、ラジオ・ドラマ「別荘」である。菊地によれば、当初は前後半30分ずつで、前半はシリアスに、後半はコミカルにする予定だったが、尺を読み違え、結局シリアスなままで1時間を要してしまったという作品だ。

描かれているのは、父母姉妹の4人家族の海辺の別荘でのひとコマで、菊地自身が父の役を演じている。全体に漂う寂寥感と仄かな哀しみとセンス・オブ・ヒューモアは、チェーホフの『三人姉妹』『桜の園』を思わせ、そこに菊地の知性のバックボーンを成すフロイトのスパイスが振りかけられ、さらに本人はおそらく意識していないと思われるが、島尾敏雄の「狂妻もの」の雰囲気もいくぶん含んだ優れた戯曲である。

人生や人の世の暗黒面にしばしば踏み込みながら、最後は必ずふざけてハッピーに落とす、というのが菊地の語りの芸の定型だが、この作品では尺の読み違いによっておふざけが封印されてしまったぶん、はからずもオーソドックスな劇作家としての才能を見せつけることになった。本来ならぜひとも音声で聞きたいところだが、テキストでもその魅力は十分に味わうことができる。

『菊地成孔の粋な夜電波 シーズン13-16 ラストランと♂ティアラ通信篇』、刊行記念イベントでの菊地成孔
2020年9月15日、青山ブックセンター本店でおこなわれた『菊地成孔の粋な夜電波 シーズン13-16 ラストランと♂ティアラ通信篇』刊行記念イベントでの菊地成孔。

書籍として残された「総合芸術」

「粋な夜電波」の放送がスタートしたのは東日本大震災の直後で、放送初期にはその空気感がまだ充満していた。菊地は、アントニオ・カルロス・ジョビンの「三月の水」の歌詞を朗読することで犠牲者たちへの哀悼の意を表した。番組は有事のさなかに始まり、その「代用食」と菊地が表現する書籍は、パンデミックという新たな有事のさなかに完結した。「もしあの番組が続いていたら、菊地成孔は今どんなことを語っただろうか」──。そんな思いを抱えるファンは少なくないと思う。しかし、菊地自身は「もうレギュラーのラジオパースナリティ業は廃業しました」と断言している。8年近くの間もてる力を傾けやり切った、ということなのだろう。

第2弾書籍の後書きで、彼は「もうオレ、ラジオの人で良い。オレ、〈菊地の人生の最高傑作が「粋な夜電波」〉で良いわ」と書いた。音楽家であり、多ジャンルを股にかけた文筆家であり、ユニークな音楽講師である彼が、「人生の最高傑作」と言うほどの思い入れをもって取り組んだのがあの番組だった。

渡邉は、書籍の企画を提案したときに番組のプロデューサーである長谷川裕が、「この番組は菊地成孔の総合芸術です」と話していたことを今も覚えているという。音楽、語り、知性、人生経験のすべてをつぎこんだトータルな芸術なのだと。「あの言葉に感銘を受け、総合芸術の面影を多少なりとも書籍に反映させたいと考えました」と渡邉は話す。

ラジオは、リスナーがパーソナリティとダイレクトにつながる感覚を得られるメディアであり、書籍もまた読者が著者と一対一で向かい合うパーソナルなメディアだ。書籍版「粋な夜電波」がラジオの代用食であることは間違いないが、それはとても「粋な代用食」である。

「音楽が終わってしまえば、それは空中に消えてなくなり、二度と捉えることはできない」(エリック・ドルフィー)

菊地成孔のラジオの語りもまた、過去の霞の中に消えてなくなり、それを捉えることはもはや叶わない。しかし、幸いにも書籍は残された。菊地の「総合芸術」たるあのめくるめく世界をオフィシャルに味わえるのは、この書籍だけである。
(敬称略)