家庭環境、恋人との関係、大人との軋轢や葛藤といった題材を赤裸々に歌い、急激に注目度を高めているシンガー・ソングライター、しなの椰惠。生々しい感情を響かせるボーカル、フォーク・ロックからグランジまでを網羅するサウンドが激しく魅力的だ。1stアルバム『世間知らず』をリリースした彼女に、曲作り、歌うことに対するスタンス、影響を受けた音楽から将来のビジョンまでを語ってもらった。
キツい経験がなければ音楽をやっていなかった
──1stアルバム『世間知らず』がリリースされましたが、リスナーからの反響をどう捉えていますか?
ツイッターとかをよく見てるんですけど、直接知らない人が私の曲を聴いて、「こう思った」みたいなことを書いてくれてるのは、ちょっとヘンな感じですね(笑)。MVを発表したり、CDができたときもそうだしたが、嬉しいんだけど、どこか他人事みたいな感じがあって。
──自分のことじゃないみたい?
はい。もうひとり別の自分がいて、その人が曲を作ったり、歌ったりしてる感じというか。しなの椰惠とプライベートは交差しないほうがいい気がするんです。実際に体験したこと、感じたことを曲にしているんですけど、曲がプライベートまで入り込んでくるのはちょっと困るなって(笑)。
──リアルな体験や感情を歌にすることで、自分自身と切り離せる感覚もある?
そうですね。区切りがつくというか、整理できるというか。ライブで歌うと一瞬で(曲を書いた)その瞬間に戻るんですよ。「16歳」を歌うときは、16歳のときの私が出てきてるというか……。MCでいきなり「おっすー!」みたいなテンションになるから、会場がザワついちゃうんですけど(笑)。
──曲があまりにもリアルで赤裸々ですからね。「すごい人生を送ってきたんだな」って思う人も多いんじゃないですか?
そうかもしれないですね。きついこともたくさんあったけど、それがなければ音楽をやってなかっただろうし。自分の生い立ちに感謝してるわけではないけど、いろいろがんばってきたなとは思います。私、欲張りなんですよ。小さいときから「これをやりたい」「これを食べたい」って口に出すほうだったし、音楽を始めてからも「メジャー・デビューしたい」「あの人と仕事がしたい」と言葉にしてきて。そうすることでサポートしてくれたり、気にかけてくれる人が増えてきて、いろいろなことが実現できました。だから言い続けるって大事だなって思うし、意見をはっきり言うことが近道になるんですよね。
──欲望を肯定するタイプなんですね。早い時期からシンガー・ソングライターになることは決めていたんですか?
本気で思うようになったのは、高校2年のときですね。その前からギターを弾いたり、曲を書いたりはしてたけど、趣味程度だったんです。でも、ライブハウスに通い始めて、「売れたい」「音楽で生活できるようになりたい」と一生懸命にやっている人たちと触れ合うなかで、自分もやってみようと思って。それまでは逃げていたというか、音楽で売れるなんてほんの一握りだってことも理解してたし、大きい声で「音楽がやりたい」とは言えなくて。「そんなのちょっと恥ずかしい」と思ってたんだけど、ライブハウスでがんばっている人たちを見て、「恥ずかしいと思ってた自分が恥ずかしい」と気付いたんです。歌うのは好きでしたからね、小さいときから。
100人のうち1人にしか共感してもらえなくてもいい
──音楽の入り口はどんなアーティストだったんでしょう。以前ARBANのレコード企画に登場してもらったときは、ビリー・ジョエルやサザンオールスターズのレコードを紹介していましたね。70年代の音楽が好きなんですか?
いちばん最初は、お父さんが持っていたCDですね。たくさんCDがあって棚から奪っていたんですけど、尾崎豊さんやRCサクセションを聴いたら、使っている言葉や言い回しに文学的な美しさがあり、私もこういう歌を作ってみたいなと思って。最近の曲と違って、「匂い」があるのもいいんですよ。
──まず歌詞を書くんですか?
曲の作り方はいろいろです。ギターを弾いていて「こんな感じいいな」というときもあるし、フレーズが浮かんでくることも。基本的なメロディと言葉が出てきて、そこから広げることが多いかな。アルバムに入ってる「素晴らしい世界」は、「こういうことを歌いたい」というのが先にありました。
──すぐにカタチにできましたか?
いえ、ずっとできなかったんだけど、作りはじめてから1年くらいして、急に「いま書ける!」って感じになって。テーマとしては……テレビのニュースやSNSを見ていて、悲しさや痛みを感じることってあるじゃないですか。でも、それは私には直接関係ないことだし、奥歯が痛いことのほうがリアルだったりして。そういう自分をイヤだなとか、残酷な人間かもしれないと思っていたんだけど、あるとき「そんなふうに考えなくていい」って言ってあげたくなったんです。それは冷たい人間であれということではなくて、自分の手が届く範囲で大事な人と抱きしめ合ったり、支え合えばいいっていう。
──なるほど。複雑な家庭環境を歌った「16歳」、父親への思いを率直に綴った「父の唄」など、しなのさんの実人生に根差した曲もありますが、曲を書いているときは「この体験をどうやって作品にすればいいか?」ということも考えているんですか?
いえ、作ってるときは作品にすることは考えてなくて、思ったことをそのまま歌にしています。自分で「こういう作品にしたい」って考えちゃダメだと思ってるんですよ。歌は聴いてくれる人がいないと成り立たないけど、生み出す瞬間は私だけのものなので。もちろんいろんな人に聴いてほしいし、届いてほしいですけど、“あるある”を歌いたいわけではないですからね。
──リスナーに共感してもらうことが目的ではなく、まずは自分自身を表現する、と。
はい。それが100人のうち1人にしか共感してもらえなくてもいいんですよ。「ぜんぜんわからない」という人がいても当然だし、「分かり合えないけど、お互いがんばろう」みたいな距離感も大事だと思うので。聴いてくれた方とリンクするのもおもしろいですけどね、もちろん。「駄目なあなたのまま」という曲を聴いた人から「元気になった」「がんばろうと思いました」という声をもらうことが多いんですけど、不思議だなって思います。
いずれ、誰かのルーツになりたい
──しなのさんの楽曲は生々しいバンド・サウンドが軸になっていますが、これもご自身の好みですか?
そうですね。ライブハウス育ちだし、生音がドン!とくる感じが好きなので。音楽的な言葉を知らないので、「怒ってるんだけど、冷静でいるような音が欲しいです」みたいな言い方しかできないですけど(笑)、一緒に制作しているメンバーもだんだん私の言うことを理解してくれるようになって、ありがたいです。基本的には「カッコいいかどうか」「好きかどうか」で決めているんですけどね。
──トレンドも意識してないですよね、たぶん。
よく知らないんですよ。音楽を聴くときも、「流行ってるから」「話題になってるか」で選ぶことはなくて、好きなものを聴いているので。私もそういう存在になりたいんですよ。「しなの椰惠がいちばん好き」って言ってもらいたいし、数字やランキングはどうでもいい。私、「誰かのルーツになりたい」って思っていて。
──ルーツになりたい?
はい。私の曲に影響を受けて、自分で音楽を始める人がいるといいなって。その子の曲が売れて、それに影響を受けた人が音楽を始めて……という感じでつながっていけば、しなの椰惠のエッセンスはずっと残るじゃないですか。
──遺伝子が受け継がれるように。
そうそう。曲がヒットするとか、大きい会場でライブできたとしても、それはオマケみたいなもので。音楽の歴史のなかに刻まれたいんですよね。
──すごい目標ですね。2021年はどんな活動になりそうですか?
どうなるかわからないですけど、ライブはやりたいですね。できれば近い距離で歌を届けたいので……。もし大きい場所でやれるようになっても、小さいライブハウスでやり続けたいんです。そうすれば「私もこのステージで歌いたい」と思ってくれる人もいるかもしれないし、ライブハウスの経営的にも良いと思うので。
──ライブハウス愛、ホントに強いですね!
はい(笑)。コロナの影響で、あんなに素晴らしい場所を”悪”って言われるのがすごくきつくて。今は無理だけど、ライブハウスの良さをたくさんの人に伝えていきたいです。
しなの椰惠
1998年生まれ。憤り、孤独、喪失感をギターと唄で表現するようになり活動を開始。実体験を元にした痛いほど赤裸々な歌詞で話題を呼び、2020年5月にはニッポン放送の「ANN0(ZERO)」に初の冠パーソナリティーに選出。生歌唱と独特なトーク展開がリスナーの間で話題になった。この年末にはRADIO CRAZY、COUNTDOWN JAPANへの出演も決定している。
https://www.shinanoyae.com/
リリース情報
UMCK-1680
■発売日:2020年11月18日
■価格:2,970円(税込)
ライブ情報
しなの椰惠2ndワンマンライブ
日程:2021年3月5日(金)
会場:東京・下北沢CLUB Que
開演:19:30~
受付期間 12月17日(木)23:59まで
https://eplus.jp/sy21e/