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【サン・ラー】22人の大所帯バンドで展開した豊穣なフリー・ジャズ──ライブ盤で聴くモントルー Vol.30

モントルー・ジャズ・フェスティバル、サン・ラー、Vol.30

「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

最近、自身が脚本、音楽、主演をつとめた映画が、本国での公開から50年近くのときを経て日本で初公開されたサン・ラー。ジャズ界最大の奇才の世界観をそのままパッケージングしたような映画だったが、一方そのSF的世界観とは別に、彼は卓越したピアニストであり、統率力あるバンドリーダーであり、独創性に溢れたソングライターであった。70年代半ばに出演したモントルー・ジャズ・フェスティバルの記録からわかるのは、彼が何よりも優れた「音楽家」であったということである。

「Space is the place」の本意とは

膨大な数に上るサン・ラーのアルバムの中で比較的ポピュラーなのが、クラブ・ジャズやスピリチュアル・ジャズの文脈で再評価された『スペース・イズ・ザ・プレイス』で、LPで言えば片面全部、20分以上にわたって「Space is the place」という歌詞が呪文のように繰り返されて聴き手をトランス状態にするタイトル曲に込められた意味が、先日封切られたサン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイスを見てわかった気がした。

アルバムの方の『スペース・イズ・ザ・プレイス』のジャケットの、脳天に大きな球体をつけたサン・ラーの姿が映画のスチールであることも初めてわかったことで、内ジャケットの写真で彼が着ているのも映画の衣装である。アルバムの録音が1972年で、映画が撮影されたのも同年だから、映画とこのアルバムは姉妹作のようなものだろう。映画のサントラもあるが、その音源とは別の作品として『スペース・イズ・ザ・プレイス』はレコーディングされている。

映画は、「銃声、怒り、いら立ち」の音に満ちた地球に愛想を尽かしたサン・ラーが、宇宙船に乗って別の理想的な惑星を見つけたところから始まる。帰還したサン・ラーは音楽で地球を救済しようとするが、それに失敗して再び宇宙を目指し、白人に支配された地球は爆発して滅びる、というのが大まかな筋で、「地球」「アメリカ」と読み替えれば、当時のアメリカに対する黒人側からの抗議をSFの形で表現した映画という解釈が成り立つ。実際、この作品は、70年代に数多くつくられたブラックスプロイテーション、すなわち、登場人物の多くが黒人で、黒人の生活を描き、観客も黒人を対象とした映画の一つと捉えられている。

「Space is the place」の「the place」とは、意訳すれば「俺たちが生きるべき場所」となることは映画を見れば明らかで、その場合の「俺たち」「黒人」と読めば、例えばカーティス・メイフィールドの『ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ』(アメリカみたいなひどい場所はほかにない)と同種のメッセージをもった作品であることになる。また、そこから今日のブラック・ライヴス・マターへの回路もつながる。

アーティストの世界観という「踏み絵」

サン・ラーとは、エジプトの古代神から取られた名前で、時間的には遥か古代、空間的には広大な宇宙という二重の遠点を自らの世界観の主要な設定としたことは、彼が生きた「今・ここ」の過酷さを逆に証している。彼の故郷は「全米で最も人種隔離がひどかった町」(『サン・ラー伝』ジョン・F・スウェッド)、アラバマ州バーミンガムである。

サン・ラーの音楽表現はしばしば「アフロフューチャリズム」と呼ばれるが、その表現が一見どれだけ現世からかけ離れたものであっても、それはアメリカにおける黒人社会の現実から生まれた一種のユートピア思想であって、ユートピアの彩りが鮮やかであればあるほど、現実世界の陰影は際立つ。

問題は、宇宙や古代をベースにした彼のその世界観に馴染めるかどうかだ。サン・ラーを語る際は、「土星からやって来た」とか「地球での生活を終えて宇宙に帰っていった」といった常套句を大真面目に口にしなければならないことになっていて、そのような設定を受け入れ難いと感じる人は、サン・ラーの音楽からも遠のくことになる。

それはとてももったいないことで、例えば、サン・ラーの世界観を一部継承しているジョージ・クリントンのアメリカン・コミック的センスが嫌いだからといってPファンクを聴かないのは音楽的経験の大いなる損失であるし、ジギー・スターダストやシン・ホワイト・デュークといったデヴィッド・ボウイが演じたキャラクターに興味がなくても、『ジギー・スターダスト』『ステイション・トゥ・ステイション』がロック史に残る名盤であることに変わりはない。あるいは、わが国の聖飢魔Ⅱのようなバンドを例に挙げてもいいかもしれない。

要するに、音楽ファンには音楽さえあればいいという態度もありうるということで、そのような態度でサン・ラーの音楽に臨めば、豊穣にしてジャズの歴史に深く根差した音楽であることがよくわかるのである。

あっという間に過ぎる1時間半

『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』が最初に公開された1974年の2年後のモントルー・ジャズ・フェスティバルのステージの記録は、そうやってサン・ラーの音楽にまっすぐに向かい合うことを可能にする作品である。

ダンサーを含めて22人の大所帯。CDでは2枚組で、1枚目はほぼ丸々フリー・フォームの演奏だが、集団即興と個々のプレーヤーの即興が次々に入れ替わる構成は、アフリカン・アメリカンというエスニシティの集団的側面と個人的側面を表現したものであるというのは考えすぎだとしても、巧みな演出であることは間違いない。

モントルー・ジャズフェスティバル(1976年)のサン・ラー

彼がジャズの歴史に深く根差した演奏家であることは、2枚目冒頭のピアノのソロ演奏による素晴らしい「A列車で行こう」を聴けばよくわかる。そこから自然にフル・バンドの演奏となって、デューク・エリントンへの敬意が表現される。2回のアンコールに続く最終曲「ウィ・トラベル・スペースウェイズ」は、「スペース・イズ・ザ・プレイス」に対するセルフ・アンサー・ソングのようなものだろう。収録はされていないが、実際のステージでは「スペース・イズ・ザ・プレイス」も演奏された。

 「私の音楽はもう1つの明日から生まれた。もう1つの言語。“黒さ”が語る言葉。宇宙空間そのもの」(映画の中のサン・ラーの言葉)

アフリカン・アメリカンの「黒さ」を宇宙の「黒さ」に結びつけるセンスは卓越しているとしても、やはり彼の言葉やコンセプトは難解というほかない。それに比べて、彼の音楽は遥かに身体的で、自由で、中毒性がある。トータルで1時間半弱のステージ。目を閉じて彼の音楽のみに耽溺すれば、ときはあっという間に過ぎてしまう。

〈参考文献〉『サン・ラー伝──土星から来た大音楽家』ジョン・F・スウェッド著/湯浅学監修/湯浅恵子訳(河出書房新社)


『ライブ・アット・モントルー』
サン・ラー & ヒズ・アーケストラ

■〈CD1〉1.For the Sunrise 2.Of the Other Tomorrow 3.From Out Where Others Dwell 4.On Sound Infinity Spheres 5.House of Eternal Being 6.Gods of the Thunder Realm 7.Lights On A Satellite 〈CD2〉1.Take the A Train (Interlude)  2.Take the A Train 3.Prelude 4.El Is the Sound of Joy 5.Encore 1 6.Encore 2 7.We Travel The Spaceways
■Sun Ra(p, org, moog synth)、John Gilmore(ts)、Marshall Allen(as, fl)、Danny Davis(as, fl)、Pat Patrick(bs, fl)、James Jackson(ds, bassoon)、Elo Omo(bc)、Danny Thompson(bs, fl)、Reggie Hudgins(ss)、Ahmed Abdullah(tp)、Chris Capers(tp)、Al Evans(tp)、Vincent Chancey(french horn)、Craig Harris(tb)、Stanley Morgan(conga)、Clifford Jarvis(ds)、Larry Bright(ds)、Hayes Burnett(b)、Tony Bunn(b)、June Tyson(vo、dancer)、Judith Holten(dancer)、Cheryl Banks(dancer)
■第10回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1976年7月9日

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