投稿日 : 2021.05.17

【渡辺貞夫】「世界のナベサダ」へのマイルストーンとなったステージ|ライブ盤で聴くモントルー Vol.32

文/二階堂尚

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「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

渡辺貞夫が海外のジャズ・フェスティバルに初めて参加したのは、アメリカ留学中の1965年8月だった。シカゴで開催されていたダウンビート・ジャズ・フェスティバルである。さらにその3年後、彼は現在では世界3大ジャズ祭の一つに数えられているニューポート・ジャズ・フェスティバルに参加している。しかし、いずれも現地ミュージシャンとのセッションによる演奏で、渡辺はほぼゲスト扱いだった。彼が自己のグループを率いて、自分の音楽を初めて本格的に海外の聴衆に披露したのは、1970年の第4回モントルー・ジャズ・フェスティバルにおいてである。ジャズ史の大きな転換期におけるその素晴らしい演奏は、今日『モントルー・ジャズ・フェスティヴァルの渡辺貞夫』で聴くことができる。

1969年の渡辺貞夫

日本人ジャズ・ミュージシャンの初の本格的自伝である『ぼく自身のためのジャズ』が荒地出版社から出版されたのは1969年である。著者は渡辺貞夫、聞き書きを担当したのはジャズ評論家の岩浪洋三氏であった。同書はその後、「プレイボーイ」に掲載されたインタビュー記事を加えた増補改訂版として80年に再刊され、さらに85年には徳間文庫に入った。現在は、日本図書センターの「人間の記録」シリーズ全200巻中の1冊として入手可能である。

『ぼく自身のためのジャズ』著・渡辺貞夫/刊・日本図書センター

半世紀以上前に出版されたジャズ・ミュージシャンの伝記が現在まで出版され続けているのは驚くべきことで、それだけ渡辺貞夫というミュージシャンが日本の音楽界にとって時代を画する傑物だったということだろう。しかし残念なのは、内容が追加のインタビューを除いてアップデートされていないことだ。渡辺貞夫が名実ともに「世界のナベサダ」となったのは、自伝の発刊後であった。

彼の50年代から70年代にかけてのキャリアは、大雑把に整理すれば、ビバップ期、ボサ・ノヴァ期、アフリカ期、フュージョン期に分けられる。69年はちょうどボサ・ノヴァ期とアフリカ期の端境期に当たっていて、この年にレコーディングされたのが、彼の記念碑的名作『パストラル』であった。以下は、同書所収のアルバム・ガイドにおける岩浪氏の解説。

「CBSソニーにおける渡辺貞夫の第一作で、日頃、胸に温めていたアイデアを投入した一代野心作。牧歌的ムードをもった曲や、フォーク・ロック調の曲が新鮮なひびきをもつ。偏見や固定したジャズの概念にとらわれない、自由で自然な渡辺貞夫の音楽性がよく出た演奏である。全曲彼のオリジナル・編曲で、彼の代表作である」

時代はモダン・ジャズ史最大の転換期だった。マイルス・デイヴィスが『イン・ア・サイレント・ウェイ』と『ビッチズ・ブリュー』をリリースして、従来のジャズを一気にオールド・スタイルにしてしまったのが1969年から70年にかけてである。『パストラル』はその時代の変化に迅速に対応した作品だった。ギターを導入するだけでなく、ベースと鍵盤を一部エレキ化し、自身は当時日本に2本しかなかったというソプラニーノ・サックスを吹いている。ウェイン・ショーターがソプラノ・サックスを演奏するようになったのは電気楽器の音色との相性を重視したからだったが、渡辺はさらにそれより音域が1オクターブ高いサックスで時代に勝負をかけたのだった。

渡辺貞夫『PASTORAL』(1969年)

出演するなら自分のグループで

『ぼく自身のためのジャズ』と『パストラル』。その2つのターニング・ポイント作のリリースの翌年、渡辺貞夫はこれも日本人として初めてモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演した。出演の経緯が、戦後日本のジャズ界の最大のパトロンの一人であった医師・内田修氏の評伝『ドクターJazz』に詳しく書かれている。

内田氏は1968年の第2回モントルー・フェスで、ビル・エヴァンス・トリオの演奏を聴いたただ一人の日本人だった。のちにモントルー・ジャズ・フェスティヴァルのビル・エヴァンスとして発売され、このフェスの知名度を世界レベルにすることに一役買ったあの演奏である。

同じ頃にアメリカで開催されていた第15回ニューポート・ジャズ・フェスティバルに参加したのが、渡辺貞夫である。渡辺は単身での参加で、共演者は直前まで決まらなかった。結局、ビリー・テイラーのピアノ・トリオとともにチャーリー・パーカーの曲を2曲演奏したが、渡辺にとってそれは必ずしも満足のいくものではなかった。

「出演してみて感じたことは、出演するなら、自分のコンボを連れていくべきだということである。そうでなければ、自分のやりたいこと、自分のねらいを十分に実現することはできない」(『ぼく自身のためのジャズ』)

内田氏はモントルー・フェスのあと、イギリスを経由してアメリカに向かい、ニューポートで渡辺の演奏を聴いた。演奏後に渡辺と食事をしながら、内田氏は当時まだあまり知られていなかったモントルー・フェスの様子を渡辺につぶさに語って聞かせた。渡辺は「よーし、そのコンテストに出よう」と俄然目を輝かせたという。「自分のやりたいこと、自分のねらいを十分に実現」できるチャンスと考えたのだろう。そうして翌々年の1970年、自己のグループを率いての初の海外ジャズ・フェス参加が実現したのである。

会場の空気を一変させた激しいプレイ

渡辺貞夫は、ギターを加えたピアノレスのカルテットでモントルーに臨んだ。ギターの増尾好秋とベースの鈴木良雄は『パストラル』のレコーディング・メンバー。ドラムは、この翌年に「メリー・ジェーン」をリリースしてボーカリストとして広く知られるようになる角田ヒロ、現在のつのだ☆ひろであった。

冒頭、いつものようにプロデューサーのクロード・ノブスがバンドを紹介するが、渡辺のことをまったく知らなかったノブスは、「日本のサックス奏者のサデオ・ワナタベ」とやってメンバーを爆笑させた。そのくだりはライブ盤にもしっかり収録されている。削除することもできたはずだが、制作サイドがあえてこれを入れたのはドキュメント性を重視してのことだろう。世界のナベサダにもこんな時代があったのだ、と今となってはむしろ微笑ましい。

しかしその和やかな雰囲気は、ステージが始まるや否や一変する。一曲目は、鈴木のエレキ・ベースの単音弾きがリードする急速調のジャズ・ファンク組曲「ラウンド・トリップ:ゴーイング・アンド・カミング」だ。ジャック・ディジョネットのような激しいドラムと、ジョン・マクラフリンを彷彿とさせるギターがつくる音の塊。その間をソプラニーノの鋭いリフが切り裂く。前半はときにマイルスの『ライヴ・イヴル』を思わせるアグレッシブな演奏で畳みかけ、後半はテンポを落とすものの切れのよさは最後まで維持され弛むことがない。日本のジャズ・ミュージシャンの演奏をおそらく初めて聴いたモントルーのオーディエンスは、大いに度肝を抜かれたに違いない。アナログではこの1曲でA面を占める。

1970年のモントルー・ジャズ・フェスティバルをまとめた公式動画の冒頭で登場する「SADAO WATANABE」

世界のナベサダの快進撃

2曲目はトロンボーンのJ・J・ジョンソンの代表曲「ラメント」。アルトを手にした渡辺がオーソドックスな4ビート・ジャズを聴かせるのはこの1曲のみである。

続く「東京組曲:サンセット」は、『パストラル』にも収録されていたフルートによるナンバー。渡辺貞夫は20代の頃、クラシック音楽家にフルートを習っていたことがあって、「習いはじめてから六、七年間は毎日四、五時間はフルートの練習をしていた」「一時、仕事がなくてどうにもならなくなった時、クラシックに転向しようと思ったこともあった」と自伝で語っている。「東京組曲」はそのフルートのエキゾチックな響きが冴える曲で、牧歌的なテーマ部とスウィング部を行き来しながら演奏はダイナミックに展開していく。ジョン・コルトレーンを始めとする米欧のジャズ・ミュージシャンの東洋趣味に対する東洋側からの回答。そう解釈することも可能だろう。

最後に『パストラル』のタイトル曲をテーマだけ短く演奏して、50分あまりのステージは幕を閉じる。演奏後、オーディエンスは「サデオ・ワナタベ」ならぬ「サダオ・ワタナベ」の名をはっきりと心に刻み込んだのではなかろうか。

渡辺貞夫カルテットは、このあとヨーロッパの数カ所で演奏してから、当時は本田竹彦と名乗っていた本田竹広の合流を得て、クインテット編成でニューポート・ジャズ・フェスティバルのステージに立った。マイルス・バンドに在籍中のチック・コリアとジャック・ディジョネット、ウェザー・リポート結成直前のミロスラフ・ヴィトゥスとともに渡辺がニューヨークでレコーディングを行ったのはその4日後である。『ラウンド・トリップ』と題されたそのアルバムの劈頭を飾ったのは、モントルーで演奏した「ラウンド・トリップ:ゴーイング・アンド・カミング」であった。

文/二階堂 尚

〈参考文献〉『渡辺貞夫 ぼく自身のためのジャズ』渡辺貞夫 (日本図書センター)、『ドクターJAZZ 内田修物語』高木信哉(発行・東京キララ社発行/発売・三一書房)


モントルー・ジャズ・フェスティヴァルの渡辺貞夫のアルバム写真、ライブ盤で聴くモントルー Vol.32

『モントルー・ジャズ・フェスティヴァルの渡辺貞夫』
渡辺貞夫

■1.Round Trip:Going and Coming 2.Lament 3.Tokyo Suite:Sunset 4.Pastral-Theme
■渡辺貞夫(as、fl、Sopranino Sax)、増尾好秋(g)、鈴木良雄(b)、角田ヒロ(dr)
■第4回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1970年6月18日

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