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パンデミックという逆境を、創作意欲と団結に変換し、傑作をものにする音楽家たちがいる。栗林すみれもそのひとりだ。
ピアニストである彼女は昨年6月、東京都内のスタジオからライブ配信をおこなった。バンドメンバーにマーティ・ホロベック(ベース)、石若駿(ドラム)という精鋭を迎えたこのパフォーマンスは各所で称賛され、音源化を求める声も。これを受けて今夏、ついにアルバム『LIVE at Dede STUDIO TOKYO』として件のライブ音源がリリースされた。
彼女は2014年のデビュー以来、国内外のジャズ奏者とともに数多の快演を繰り広げている。多様なフォームに適応する器用さと、特有の風趣をあわせ持つ音楽家だが、じつは彼女のクリエイティブの根底には “日本の古典音楽” があるという。
ピアノに出会ってしまった…
──デビューのきっかけを教えてください。
ビブラフォン奏者の山本玲子さんと10年くらいデュオをやっているんですけど、そのライブを観たプロデューサーさんが私に関心を持ってくれて。それまでは自分のアルバムを作ろうとは思っていなかったんですけど、締め切りに追われてなんとか頑張って曲を書いて1作目ができました。
自分が考えているよりも上のレベルを要求されて、それにトライしていくうちに自分が少しずつレベルアップしていく。そんな実感がありましたね。
──これまでにも、いろいろなスタイルやフォームで演奏してきましたよね。
もともと音楽に対する興味の幅が広くて、その時々でやりたいこともけっこう変わるんです。ビ・バップ(注1)っぽい演奏や、歌伴もやりましたし、ECM(注2)的なサウンドも好きし。あと、父親が箏の演奏家なので邦楽(注3)も好きでした。
注1:1940年代後半、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーらが中心となって産み出したジャズのスタイル。楽曲のコード進行を元にした即興演奏を基本とした、それまでのスタイルとは一線を画したアプローチで、その後のジャズの歴史を変えた。
注2:1969年にドイツ人プロデューサー、マンフレート・アイヒャーによって設立されたジャズ/現代音楽のレーベル。正式名は“Edition of Contemporary Music”。空間を効果的に活かしたサウンド、透明感のある独特の音色などで、レーベルの固定ファンも多い。またキース・ジャレット、パット・メセニー、ゲイリー・バートンなどをはじめとするアメリカ人アーティストの作品も数多くリリースしている。
注3:ここでは和楽や国楽などの日本の伝統的な民族音楽を指す。
──お父さんから受けた影響は大きい?
父の存在は大きかったと思いますし、いまだに邦楽に対する憧れもあります。幼い時に私が「やりたい」と言い出して、父は「泣かなかったら教えてやる」と。それで始めたんですけど、コテンパンに泣かされて「もうやるなよ」って。父も苦労したので、私にはやらせたくなかったんだと思います。
──そこからピアノを始めたのですか?
はい、ピアノという楽器に出会っちゃったんです。なんていい音なんだろう、なんて素敵な楽器なんだろうと思って。私もその“いい音”を出したい。音楽高校に行けばピアノを思う存分弾けるはず、と思って受験しました。
それまで楽典(注4)もやったことないしソルフェージュ(注5)も習ったことがなくて。譜面もあまり読めなかったけど、試験ギリギリまで受験曲を譜読みしてなんとか合格しました。
注4:がくてん。記譜や読譜に必要な基礎的諸約束の総称。主に音、音名、譜表、音部記号、音符と休符、強弱に関する標号、諸記号、拍子などの記譜法に関するものの他、音程、音階などの解説が含まれる。
注5:solfège。西洋音楽の学習において楽譜を読むことを中心とした基礎訓練のこと。
ジャズは “うるさい”音楽?
──ジャズを演奏し始めたきっかけは?
ジャズのハーモニーっておしゃれで美しいな…と、興味を持ちながら音楽大学に入ったんです。そこで最初に聴いたのはバド・パウエルとかチャーリー・パーカーでした。音源がmp3だったせいか、ピアノがきれいな音がしない。汗くさい泥まみれの音楽という印象でした。18歳の私には、ただうるさい音楽に思えたんです。
その頃、父がキース・ジャレット(注6)を聴かせてくれて。クラシックとジャズの両方のアプローチでハイレベルな演奏をやっていて、しかもほとんどが即興であるということに衝撃を受けて。そこからどんどんジャズの方向に進んでいきましたね。
注6:Keith Jarrett。アメリカのジャズ・ピアニスト。卓越した演奏力による美しい音色とメロディで多くのファンを獲得し、クラシック演奏でも高い評価を受けている。1970年代より完全即興によるソロ・ピアノ・コンサートを開催し、世界の音楽シーンに大きな衝撃を与えた。
──ピアノの「音」にすごくこだわりがあるのですね。
ジャズ・クラブのピアノには調律がひどいものもあって、いいピアノを弾きたくて始めたのに何故こんな思いをしなければならないんだろう…って思っていました。今ではどんな楽器でもその子(ピアノ)の個性が出るようにしてあげたい。そう思えるようになりました。大事にされていないピアノは、すごくかわいそうな音するんです。大切にされて、いい人が弾いてきたピアノは、そんなに高いものじゃなくてもいい音がします。そういう楽器との一期一会も楽しいですね。
──ほとんどの楽器奏者は「自分の楽器」を演奏会場に持ち込みますが、ピアニストは「その会場にあるピアノ」を弾くのが普通ですからね。
初めて会う人と演奏する感じに似ていますね。どうやったらいいところが見れるかな、みたいな。とにかく、その子に対してクローズにならないことが大事だと思います。こういう音が得意なピアノなら、こういう即興をしようとか、ちょっとお転婆だったら、そこを活かしてあげようとか。
──ピアノの個性に応じて演奏内容も変化するわけですね。
そこが面白くて、その楽器によって引き出される即興がすごくあるんです。
楽器の個性を無視して自分の音楽を押し付けて演奏することもできるけど、私はそれをしたくないので、けっこうピアノによって会話の内容が変わります。そこも面白さというか、楽しさのひとつなんです。家のピアノとはこういう話はできないけど、この子とならできる、みたいな。
──すみれさんの音楽って、“間”もすごく印象的だと思います。
楽器の音をすごく綺麗に聴かせたいと思ったら、必然的に “弾き過ぎない”方向になります。邦楽って間がメチャクチャあって、待ちが多いんですけど、そういう間には慣れていますし、やっぱりルーツとして持っているんだと思います。間が好きで、楽器の音を聴かせたいし、自分も楽しみたいという。
イタリア滞在中にロックダウン
──今回、ライブ・アルバムをリリースすることになった経緯は?
池袋にあるスタジオ “Dedé” のオーナー吉川さんから「ライブ配信をしたい」というお話をいただいて。2020年6月にやったんですけど、メチャクチャいいカメラマンと機材で、音も最高だったので、CDが欲しいという意見がすごく多かったんです。
あと、コロナ禍で演奏する機会が減って、それでもみんな前向きに何かをやりたくて、こうして実行することできた。その思い出を作品としても残したいなっていう気持ちも強かったです。
──そのライブにどんな気持ちで臨んだのか、当時のこと思い出せますか?
ベースのマーティ・ホロベックさん、ドラムの石若駿さんとのトリオは初めてで、一緒に演奏したのも当日のリハーサルだけでした。初めてのトリオで、しかも初めての曲ばかりだったので緊張しましたけど、実際はすごく楽しかったです。
2人ともとにかく“音楽力”がすごい。どんな曲でもすぐに理解できる能力があって、めちゃくちゃ信頼できる人たちなので「私さえ頑張れば必ずいい作品になる」と思いましたね。
──収録曲のほとんどがご自身で書いた曲でしたが、あまり演奏はしていなかった?
ほとんどがコロナ以降に書いた曲なので、ライブで演奏する機会がなかったんです。じつは去年(2020年)の2月から3月にかけてイタリアに行ってたんですけど、現地でロックダウンに遭って。衝撃的でした。その時の体験が楽曲に反映しています。
──具体的にはどんな?
現地でのツアーが中止になっちゃって、ベーシストのジュゼッペ・バッシたちとアーモンド畑を探してドライブしたんです。それが「Look For The Almond Blossoms」という曲になりました。あと「Nobody There」という曲は、誰もいない街や空港の景色に誘発されて作りました。
ずっとツアーをしていたのに、家に引きこもって、今までのことが遠い過去のものになったような感じがして、電車のいちばん後ろの車両で景色が遠ざかっていくようなイメージ。それが「Scenery Behind」という曲になったり、世界中に散らばっている仲間たちとまた会いたいなという思いで「Waiting」を書いたり。
──演奏も、音質も、スタジオ録音アルバムのようなクオリティですよね。
最高のメンバーとスタジオの素晴らしい音質、ライブの熱量が加わってとても良いものになったと思います。緊張した甲斐がありました(笑)。私のライブをやってみたいと思ってくれた吉川さんの熱い気持ちも、快く引き受けてくれたメンバーの心意気もとても嬉しかったです。
──仲間たちの思いも詰まっているわけですね。
こういう時に一緒にやってくれる仲間が居てほんとうによかったなって。それを作品として残せて、いろいろな方に聴いていただけるようになって、すごく嬉しいです。
ライブに行きたいのに行けない人も大勢いらっしゃると思うので、そういう人たちにも楽しんでもらいたい。こういう時だからこそ前向きに自分のため人のために何かしたい、という気持ちが作品を通じて伝わればいいなと思っています。
インタビュー/島田奈央子
構成/熊谷美広
栗林すみれ/くりばやし すみれ(写真左)
埼玉県立芸術総合高等学校音楽科、尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科ジャズ&ポップスコースを卒業。2014年にジャズ・フェスティバル“JAZZAUDITORIA”でオープニング・アクトを飾り、同年『TOYS』でデビュー。2017年に金澤英明(b)との双頭リーダー作『二重奏』をリリース。2018年に総勢11名参加のアンサンブル作品『Pieces of Color』とピアノ・トリオ作品『the Story Behind』を2ヶ月連続リリース。同年イギリス、イタリア、オーストリアでライブを行ない好評を博す。また溝口肇のジャズ・アルバムへの参加や、NHKBSプレミアム『美の壺』でオリジナル曲が使用されるなど、作曲やアレンジの才能も発揮している。
【公式サイト】https://sumirekuribayashi.tumblr.com/
島田奈央子/しまだ なおこ(インタビュアー/写真右)
音楽ライター / プロデューサー。音楽情報誌や日本経済新聞電子版など、ジャズを中心にコラムやインタビュー記事、レビューなどを執筆するほか、CDの解説を数多く手掛ける。自らプロデュースするジャズ・イベント「Something Jazzy」を開催しながら、新しいジャズの聴き方や楽しみ方を提案。2010年の 著書「Something Jazzy女子のための新しいジャズ・ガイド」により、“女子ジャズ”ブームの火付け役となる。その他、イベントの企画やCDの選曲・監修、プロデュース、TV、ラジオ出演など活動は多岐に渡る。