投稿日 : 2021.09.02 更新日 : 2022.03.28

「日本のジャズ」この20年で何が起きたのか─ 定型に執着しない現代のミュージシャンたち

撮影/宮坂則世

村井康司

“新世代”と呼ばれる、日本の若きジャズ・ミュージシャンたちが、かつてないほどユニークな作風で本邦ジャズ史を更新し続けている。

彼らは一体どんなマインドで創作をおこなっているのか。また、現在の日本のジャズ環境や、ミュージシャンの養成システムはどんな状況にあるのか。音楽大学のジャズコースで教員も務める、評論家の村井康司氏に話を聞いた。

挾間美帆のポテンシャル

――今回は「いま活躍している日本のジャズミュージシャン」についてお聞きしたいのですが、その前にひとつ。70〜80年代って、日本のジャズミュージシャンが今よりも “大衆的” な存在だったと思いませんか?

村井 そう思いますよ。たとえば渡辺貞夫や日野皓正といったジャズマンが、よくテレビCMに出ていましたからね。車やバイク、アルコール飲料、男性化粧品などいろいろありましたが、いずれもCM音楽とセットで起用されていましたよね。

――当時、音楽なんて何も知らない小学生の私でさえ「あの人(渡辺貞夫)はサックスのおじさん」と認識していましたからね。

村井 あと、当時は大規模なジャズフェスが日本各地で開催されていて、これも広く認知されてましたよね。有名企業がスポンサーに付いて、テレビ放送までやってた。あの盛り上がりは一体何だったんですかね(笑)。

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――90年代のはじめ頃までそんな空気が残っていましたが、以降は完全に消えました。

村井 そうですね。

村井康司
村井 康司/音楽評論家、編集者。1958年北海道函館生まれ。著書『あなたの聴き方を変えるジャズ史』『ページをめくるとジャズが聞こえる』(シンコーミュージック)、『JAZZ 100の扉』『現代ジャズのレッスン』(アルテスパブリッシング)ほか。尚美学園大学音楽表現学科講師(ジャズ史)。

――その原因についてはいろんな分析ができると思いますけど、タイミングとしてはバブル経済の崩壊とともに流れ去った。その後、大衆的な認知を得たジャズミュージシャンって誰だろう? と考えると、私は小曽根真、上原ひろみの顔が浮かびます。

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村井 確かにその二人はテレビCMの露出もありましたね。ごく最近だと、上原ひろみは「東京オリンピック2020」の開会式に登場しました。あと、2020年のグラミー賞候補に挾間美帆がノミネートされたときは、一般メディアも取り上げましたね。

――グラミー候補の日本人として、多くの人が挾間美帆の存在を知ったし、あの開会式で多くの人が上原ひろみの演奏シーンを見た。でも、彼女たちの音楽がどう凄いのか、についてはほとんど知られていませんね。

村井 たとえばこの10年で、新しい流れを感じさせるジャズ奏者が続々と登場していますが、その中でも挾間美帆のポテンシャルは突出していると思いますよ。

挾間美帆『ダンサー・イン・ノーホエア』
挾間美帆『ダンサー・イン・ノーホエア』(2018)

ビッグバンドやオーケストラのアレジメントを書ける人はほかにもいるけど、それだけではなく、彼女はセルフプロデュース能力も優れている。それが嫌味にならないし、それにちゃんと釣り合うだけの能力を持っているんですね。「自分が一番輝くようなところに行って、それを輝かせるためにはどうすればいいか」といったことが、ちゃんとわかっている人だと思います。

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「ニューヨークで活動」の武器

――そうした新世代の日本人ジャズ奏者たちが近年、続々とユニークな表現を打ち出していますが、この流れはどこから始まっているのでしょうか?

村井 それがまさに上原ひろみだと思います。彼女が2003年に最初のアルバムを出したのですが、その辺からいろんなことが始まった気がします。

上原ひろみ『アナザー・マインド』
上原ひろみ『アナザー・マインド』(2003)

彼女は1999年にアメリカのバークリー音楽院に留学して、在学中の22歳のときにテラーク・レコードという、今も所属しているレコード会社と契約をします。プロデューサーもすごい気概ですよね。というのも、テラークというのはジャズレーベルでは名門で、日本のレコード会社のように「この子は若くて、かわいいから」といった売り方はしない。そして、ちゃんと売れました。

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――日本人のジャズミュージシャンというと昔から、ボストンのバークリーで学んだあとにニューヨークを拠点に活動し、たまに日本に帰ってきてライブする。みたいなイメージですよね。もちろん、出身校はバークリーだけでなくマンハッタン音楽院やニュースクールなどいろいろありますが、いずれにしてもニューヨークです。

村井 たとえば挾間美帆が2012年に最初のアルバムを出したときも、「ニューヨーク在住」というのがキャッチコピーのひとつでした。ほかには、2001年に山中千尋が澤野工房というレーベルからデビューアルバムを出しましたが、彼女もニューヨーク在住でしたよね。バークリーに行ったとか、ニューヨークにいたというのは、ひとつのキャッチフレーズになりますね。

山中千尋『リヴィング・ウィズアウト・フライデイ』
山中千尋『リヴィング・ウィズアウト・フライデイ』(2001)

――たしかに「ニューヨークでジャズを生業にしている」って圧倒的な説得力というか、門外漢にもわかりやすい “すごさのバロメーター”ですね。

村井 もちろんその看板に偽りはなくて、ミュージシャン自身の演奏は素晴らしい。たとえば上原ひろみは反射神経と、それを音にしたときの完成度の高さはすごいです。すべての音にちゃんと粒が立っていて、さらに、インプロビゼーションの早さも凄まじい。

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東京藝大が育むジャズのセンス

――「日本人の大物ジャズミュージシャン=海外組」というイメージが強い一方で、昨今、国内では東京藝術大学の出身者たちが注目を集めています。

村井 挾間美帆がデビューした2012年というのは、ロバート・グラスパーの『ブラック・レディオ』が出た年。これは以前にもお話しした通り、ひとつの転換点です。この時期、日本のジャズ界では石若駿というドラマーが東京藝大在学中にデビューして、「なんだ、この天才は!!」と騒がれていました。あの辺でなにかひとつ、日本のジャズ界や日本人ミュージシャンの雰囲気が変わったような気がするんですよ。

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――なるほど。上原ひろみの出現から、ほぼ10年後というタイミングですね。

村井 石若駿はもともとクラシックの打楽器奏者で、在学中に日野皓正のバンドに入るのですが、サイトウ・キネン・オーケストラのオーディションも同時期に受けていて、ジャズかクラシック、どちらにしようか迷っていたらしいですね。

ちなみに、東京藝大の音楽学部にジャズ科はないんですよね。そんな中で、大学で打楽器やピアノや作曲をやっていて、結果的にジャズミュージシャンになった人は昔からいましたけど、石若の世代は特に集中している印象を受けます。

たとえば、小田朋美は藝大の作曲科。彼女はクラシックでもなんでも弾けちゃうんだけど、さらに自分で曲を作り、歌も歌い、ライブもやる。そういう人たちが2014年頃から続々と出てきました。

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――藝大つながりだと、King Gnuの常田大希も。彼のプロジェクト、Millennium Paradeに石若駿が参加していたり、石若自身も多様なプロジェクトを興しています。

村井 そうですね。小田朋美らとやっているCRCK/LCKS(クラックラックス)とか。このグループに井上銘というギタリストがいますが、彼も石若駿と同年代ですね。19歳でジャズギタリストとしてメジャーデビューしたのち、彼らと合流するんですね。

――ジャズの話法やテクニックを備えた上で、ジャズの伝統に固執せず、自分なりのユニークな演奏や録音物を作り上げる。そんな若いミュージシャンが目立っていますね。

村井 最近、純粋に音楽としてすごいと思ったのは、95年生まれのサックス奏者、松丸契。フリーインプロビゼーションの得意なアーティストですけど、ものすごくテクニックがあるし、イマジネーションも素晴らしい。

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――そういうプレイヤーたちもひっくるめて、ここでは便宜上 “ジャズミュージシャン” と呼んでいますけど、彼らにとって「これはジャズか否か」なんて別にどうでもいいことでしょうね。以前に村井さんからお話を聞いた“ざっくりジャズ史”でも挙げましたが、この世代は「すでにフュージョンやロック、ヒップホップ、テクノが存在する世界」に生まれているわけですからね。

村井 そういう機運をうまく掬い取ってくれたのが『Jazz The New Chapter』という本ですよね。あのシリーズが最初に出たのは2014年で、当時、世界各地で興っていた「新しいジャズ」を紹介している。これによってミュージシャンたちのやっていることの意味みたいなものを、みんなわかるようになっていく。それで若い世代のリスナーも増えたし、挾間美帆や黒田卓也、BIGYUKIといったミュージシャンが活躍し始める状況をフォローしてくれた。

村井康司

――黒田卓也、BIGYUKIもいわば海外組で、石若駿よりも上の世代。昨今の日本のジャズを語る上で重要な存在ですね。

村井 彼らの存在は大きい。というのも、彼らがやっていることが、日本のジャズシーンにエコーのように届いてくるんですね。それがここ10年ぐらいの状況。

――確かに、BIGYUKIはアメリカのメジャーなヒップホップやR&B作品にも参加したり、自作でもかなり奔放にクロスオーバーな表現を追求していますね。ちなみに彼もバークリー出身ですが、在学中に上原ひろみもバークリーにいたそうです。当時の彼女はすでにスーパースターとして注目されていて「同じ日本人として自分の不甲斐なさに愕然とした」とインタビューで語っていましたよ。あと「バークリーには、とんでもない天才がいっぱいいた」と。

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バークリーが “日本人だらけ” だった時代

――冒頭でも話に出ましたが、アメリカのバークリー音楽大学で学んでプロになる、というのが今も昔もひとつの王道としてありますよね。最初に行った日本人は穐吉敏子で、1956年。次が渡辺貞夫で1962年。

村井 その後、荒川康男、佐藤允彦と続いて…。

――いまバークリーに通う日本人はどれくらいいるんですかね。

村井 ちなみに、日本人が最も多くバークリーに留学していた時期は1990年代で、これは年間、何百人といった人数です。現在は1年に80人ぐらいなのかな。アジア系だと、いまは韓国人と中国人が多いんですね。つまり、その国の経済的な地位とバークリー入学者の人数は比例しているんです。

――それ面白いデータですね。日本のバブル崩壊とともに、アメリカの音大留学生が減っていった。

村井 だから、世代でいうと今の50代のミュージシャンにバークリー出身者が多いんです。それ以降、たとえば30代になるとかなり減りますよね。フルスカラーシップを獲得して入学金や授業料を免除されるような、超優秀な人はいますけど。

村井康司

――バークリーの学費ってどれくらいかかるんですかね。

村井 いま、1年間バークリーに行くと授業料その他もろもろで7〜800万円くらいかかるんじゃないですかね。そこは為替レートで変わりますが。

――あ、なるほど。90年代は記録的な円高だったから…。

村井 そこも見逃せませんね。まあバークリーに限らず、アメリカの大学の学費は年々上がり続けていて、90年代のバークリーの授業料は1セメスター2700ドルだったそうです。だからこそ大勢の人が行けた、という側面もあったのでしょうね。

そんなわけで、アメリカ帰りのミュージシャンが多かったのは1990年代の後半ぐらい。今の50代の人たちですね。その世代の代表選手が大西順子や大坂昌彦で、彼らはともに54歳です。

――上原ひろみの、ひとつ上の世代。

村井 大ベテランと中堅の間の大物とでもいいますか、あの世代が今の日本のジャズ界の中心にいる感じですよね。

国内“ジャズ教育”の充実度

――先ほど東京藝大の話が出ましたが、日本の音楽大学におけるジャズ教育って、どんな状況なのでしょうか?

村井 新しい感覚のミュージシャンが続々と登場する一方で、大学のジャズ教育も充実してきています。そこも、この20年で起きた大きな変化の一つです。

現在、国内の音楽大学で専門的なジャズコースを設けているのは、洗足学園音楽大学、国立音楽大学、昭和音楽大学、尚美学園大学の4つ。この中で最初にジャズのコースを作ったのは洗足で、1996年発足です。1期生にはスガダイローがいます。開設当初には山下洋輔が教授を務めていますね。現在はバークリーと提携しています。

その次にできた尚美は、もともと専門学校としてあって、クラシック、ポップス、ジャズを教えていた。81年に短大ができて、それが2000年に四年制大学になってジャズのコースを始めました。開設のときからずっといる先生が坪口昌恭准教授です。

――ちなみに村井さんも尚美学園大学で教えていますよね。

村井 現在はポップス指向の学生が多いんですが、ジャズに関しては、この5年くらいを振り返ると、1年に1〜2人くらいはプロになっている印象ですね。きちんとした先生たちがいっぱいいるので、これからどんどん実を結んでいくと思いますよ。

――国立(くにたち)音大は、有名なジャズミュージシャンを多く輩出している印象ありますが、「ジャズ専修科」ができたのは、わりと最近らしいですね。

村井 そう、2011年だったかな。山下洋輔、本田竹広、中村誠一をはじめ、昔からジャズミュージシャンが多いですよ。ただ、彼らが在学していた当時はジャズのコースがなかったので、みんなクラシックを専攻していたんです。

昭和音大も10年くらい前なので、わりと最近ですね。

バークリー理論は「究極のエコノミー」

――ジャズの教育といえば、さっきのバークリー音大に由来する、通称「バークリー・メソッド」と呼ばれる理論が有名ですね。

村井 すごく簡単にいうと、いろんな人がやったことのエッセンスと要点を抽出して、「近道」を教えてくれるのがバークリー理論。日本の音大でもバークリー出身のいろんな先生が教えていますよ。無駄なく効率的に近道を教えられるので、ある意味「究極のエコノミー」とでもいいますか、経済的なんです。

ただし、この学びによって “ジャズミュージシャンに必要な技量”すべてを得られるかといえば、それはまた別の話で。たとえば「この音とこの音を組み合わせれば、こんな響きになります」というのは教えてくれますが、他方で “変な響き”の良さや悪さは教えられない。さらにいうと、その近道の横にある「無駄」が実は大事なんだけど、そこは教えられない。

――なるほど。そうした理論や発想と連動して、音を奏でるためのテクニックというか、いわば“フィジカルな演奏技術の世界”がありますよね。そこに比重を置くのはジャズミュージシャンとして有効なことだと思いますが、ことさら、そこを“売り”にするタイプのミュージシャンは少なくなってきている印象です。

村井 そうですね、マインドとして、職人的な楽器奏者ではなくなっていますね。凄いテクニックを持っていても、決して「俺はドラムを叩くだけのドラム馬鹿」みたいな感じではないわけですよね。ドラマーでも自分で歌ったりとか、ほかの楽器を弾いたり、作曲したりとか、普通にやるわけです。

ミュージシャンってそうあるべきだと思うんですね、特にドラマーは。たとえば、トニー・ウィリアムスはたくさん曲を作っていたし、ジャック・ディジョネットもドラムだけではなく、ピアノもめちゃくちゃうまい。昔はそういうミュージシャンが日本には少なかったと思うんですよ。

――もちろん“楽器バカ”であることは演奏家として素晴らしいことだし、すごい強みですけどね。

村井 もちろんそう、ただし最近は「音楽家」であるということを強く意識しているミュージシャンが増えているし、そうであるべきだくらいの感じになっている。

こうした状況を踏まえてみても、僕はやっぱり石若駿あたりの世代から、決定的になにかが違うということを感じます。だから、個人的には彼らには、もっと売れてほしいんだ(笑)。たとえばCRCK/LCKSって、石若しかり、井上、小田と、ものすごいテクニシャンが集まったバンドで、しかもポップでしょ。だからオリコンみたいなポップスのチャートで1位とかになってもおかしくないし、実際にそうなれるパワーやポテンシャルはある。これからもみんな、もっといろんなところに露出してほしいですね。

取材・文/楠元伸哉
撮影/宮坂則世

【特集】日本のジャズ