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今からちょうど100年前。アメリカは「ローリング・トウェンティーズ」と呼ばれる好景気の時代を謳歌していた。その中心地の一つであったシカゴを支配していたのがギャングたちであり、その庇護のもとに育っていった音楽がジャズだった。1920年代から30年代の禁酒法時代のアメリカにおけるジャズを考察する「ヒップの誕生・ジャズとギャング編」を数回にわたってお届けする。
「狂騒の20年代」とアル・カポネ
「ナイト・クラブで演奏するジャズメンたちはカポネのシンジケートにわたりをつけなくてはならなかった。そして、その庇護のもとに、彼らの音楽を完成していったのである。ギャングたちは、熱狂的なジャズのファンでもあった。一九二〇~三〇年代のアメリカ社会で、ジャズは阻害された無法者(アウト・ロー)たちの音楽であった。なべて、庶民社会の芸能は無法の群れ──ヤクザ集団と結びついていく傾向を持つ」
ルポライターの竹中労は、『完本 美空ひばり』でそう書いた。美空ひばりと山口組三代目・田岡一雄との間に深い関係があったのは「必要悪」であり、「ジャズの草創期、ルイ・アームストロングたちがシカゴに進出したときも、同様の事情があったのである」と竹中は言う。芸能者と裏社会とのつながりは、いわば歴史の必然なのだと。
この文章には、ジャズの歴史にまつわる重要なキーワードが散りばめられている。「カポネ」とは、イタリア移民の子としてニューヨークに生まれ、20年代のシカゴを牛耳ったギャング、アルフォンス・カポネ、通称アル・カポネのことである。その人物像については、のちに詳しく掘り下げることになると思う。
「一九二〇~三〇年代のアメリカ社会」とは、未曽有の好景気に沸く社会であり、1920年に施行され33年まで13年間続いた禁酒法によって酒の製造と流通が地下化した社会でもあった。29年に起った大恐慌によってその好景気に終止符が打たれ、「ローリング・トウェンティーズ=狂騒の20年代」と呼ばれた時代は終わった。しばしば誤解されるが、「ローリング」とは「Roaring(叫ぶ)」であって「Rolling(転がる)」ではない。誰もが浮かれ騒ぎをしていた時代ということである。
ジャズが今日知られるジャズとなったのは、まさしくこの時代であった。スコット・フィッツジェラルドは、この時代を「ジャズ・エイジ」と呼んだ。
みんな、うちのナイトクラブの専属さ
「狂騒の20年代」に、アメリカの工業生産の中心地の一つであったシカゴを支配したのがアル・カポネだった。それは文字通りの支配で、影響力は裏社会のみではなく、表のビジネス、市政、警察、司法にまで及んだ。人々は口々にカポネを「影の市長」と呼び、彼の君臨を「パクス・カポネ(カポネによる平和)」と表現した。
20年代のシカゴはまた、南部の黒人を労働力として大量に受け入れた街だった。シカゴに移住した黒人の中には、ニューオリンズで仕事を失ったジャズ・ミュージシャンも含まれていた。彼らは、ギャングが経営するスピークイージー(もぐり酒場)を演奏の場とし、ギャングの庇護のもとで安定的に活動することができたのだった。
西洋を舞台にした歴史小説で知られる佐藤賢一は、アル・カポネとその宿敵であった司法省の役人エリオット・ネスを主人公とした小説『カポネ』で、カポネ自身にこう語らせている。
「ルイ・アームストロング、ジェリー・ロール・モートン、キング・オリヴァー、デューク・エリントン、みんな、うちのナイトクラブの専属さ。しけたニューオーリンズなんかみかぎって、みんな南部から上がってくる。いったんニューヨークに流れても、それからシカゴに鞍替えする手合いだって、最近は少なくないんだぜ」
実際、カポネはジャズ・ミュージシャンを手厚く保護したらしい。デューク・エリントンの自伝には、彼から金をせびろうとするチンピラを、「エリントンには手を出すんじゃねえ」とカポネが黙らせたといった記述がある。ついでに、カポネの本拠であったシカゴのサウス・サイドの当時の様子を語るエリントンの言葉を一つ。
「思うに、シカゴでもっとも印象的だったのはサウス・サイドではみんな一心同体だということだった。そこは、ほんとうにだれのためでもなく、わたしたちが自分たちのためにある社会だった。そこにはニグロの億万長者が一二人いたが、腹を空かしたニグロも不平をいうニグロも悲嘆に暮れるニグロもアンクル・トムのニグロもいない社会だった。また、尊敬し合う男女の社会であり、威厳のある人たち──医者、弁護士、政策決定者、靴磨き、床屋、美容師、バーテンダー、酒場経営者、遅番の店員、タクシー会社の経営者と運転手、屠殺場の労働者、終夜営業店の経営者、密造酒屋──が住んでいた。なんでもあったし、どんなひとたちもいたけれど、ジャンキーはいなかった」(『A列車で行こう デューク・エリントン自伝』)
パクス・カポネが実現した平等社会と言うべきか。それは実際には、暴力によって支配され、殺人が日常茶飯事であった暗黒社会だったのだが──。
カポネとジャズの関係をスルーしてきた映画界
この時代を描いた映画がこれまで数多くつくられてきた。最も初期につくられた映画の一つが『暗黒街の顔役』(1932年)で、主人公のルイ・コステロのモデルがカポネである。カポネ存命中に公開され、カポネも観たと言われている。彼は子分役のジョージ・ラフトをいたく気に入ったらしい。ラフトは26年後の『お熱いのがお好き』でカポネを演じている。
カポネと行政の対決を行政の側から描いたのが『アンタッチャブル』(1987年)だ。司法省の役人エリオット・ネスをケヴィン・コスナーが、彼とチームを組む警察官をショーン・コネリーとアンディ・ガルシアが、カポネをロバート・デ・ニーロが演じている。カポネは若い頃のトラブルで左頬に3つの大きな切り傷があり、「スカーフェイス(傷のある顔)」と呼ばれていた。『暗黒街の顔役』の原題も「Scarface」で主人公は顔に傷があったが、同じくスカーフェイスを再現したデ・ニーロは、ほとんどカポネの生き写しのようで、人好きのする笑みを湛えながら平気で人を殺す残忍さも含め、カポネ在りし日の姿を見事に再現していた。
『シカゴ』(2002年)は、20年代のシカゴを舞台にしたブロードウェイ・ミュージカルを映画化したもので、映画自体も全編ミュージカル仕立てになっているが、監獄の中でも看守を買収し放題だったという設定には時代考証のリアリズムがある。
2020年には、「ブルースの母」マ・レイニーが20年代のシカゴでレコーディングする様子を描いた『マ・レイニーのブラックボトム』がNetflixで公開された。これも舞台を映画化したものであり、物語のほとんどがスタジオと楽屋で進行する一種の対話劇である。
と、カポネ時代のシカゴを舞台にした映画をいくつか挙げてきたが、意外にもこれらの作品の中にジャズとカポネの関係を描いたものは一つもない。『シカゴ』ではナイト・クラブのショーの様子が出てくるものの、カポネの名はセリフに一度だけ登場するだけであり、『マ・レイニーのブラックボトム』にはナイト・クラブもスピークイージーもカポネも登場しない。
カポネを描くに当たって、あるいは20年代のシカゴを描くに当たって、ジャズというアイテムは必ずしも必要ではなかったということか。ひとつ例外的な作品が、2021年に公開された『カポネ』である。脱税で逮捕されたカポネが出所後にフロリダの豪邸で余生を過ごす様子を描いた作品だが、観念過剰な映画マニアがたまたま巨額の予算を得てつくったB級ホラーとでも言うべき映画で、ここで紹介するのもためらわれるほどの駄作であった。
ホラーというのは、梅毒に侵された脳で見るカポネの妄想が現実と入り混じる異様な映像が続くからで、そこに過去の数々の悪事が再現されるという趣向はとても成功しているとは言い難い。その中にあって、フラッシュバックにサッチモ(ルイ・アームストロング)が登場する場面は数少ない見どころの一つだった。カポネが経営するクラブでサッチモが歌うのは「ブルーベリー・ヒル」で、「All of those vows you made were never to be(お前の誓いは何一つ実現しなかった)」という歌詞に晩年のカポネの思いを重ね合わせたといったところだろう。
史実を巧みに織り込んだコメディ映画
20年代のシカゴを描いた映画のほとんどがジャズとカポネの関係に注意を払っていない中、唯一、搦め手とでも言うべき手腕でその関係を描いてみせたのが巨匠ビリー・ワイルダーであった。先にも少し触れた『お熱いのがお好き』(1959年)である。
ジャック・レモン演じるベーシストとトニー・カーティス演じるテナー・サックス奏者が出演しているスピークイージーに警察の手入れが入りそうになるところから物語は始まる。摘発されれば店の営業はできなくなり、ミュージシャンの仕事もなくなる。次の仕事を二人で探している間に、偶然彼らは殺人現場に居合わせてしまう。密造酒倉庫でアイルランド人ギャングと一般人7人がマシンガンで蜂の巣にされた「聖バレンタインデーの虐殺」の現場である。これは実際に1929年に起こった事件で、殺人を指示したのはカポネだと言われている。虐殺の場面を見てしまった二人は、カポネに追われる身となる──。
ここまではかなり史実に基づいたストーリーで、カポネをモデルにしたスパッツ・コロンボを演じているのが『暗黒街の顔役』のジョージ・ラフトであることは先に書いた。しかし、ここから物語はワイルダーが得意とするテンポのいい喜劇へと転調していく。
二人は女性だけのビッグ・バンドの求人を見つけ、女装してそのメンバーとなってフロリダへの演奏旅行に潜り込むことに成功する。このバンドのウクレレ奏者兼ボーカリストがマリリン・モンローである。この後は女装したレモンの怪演が延々と続き、女性だけのビッグ・バンドという当時としてはあり得ない設定も含めて一種のファンタジーの様相を呈するが、ワイルダーの脚本と映像のリズムが観る人を飽きさせない。ワイルダー、モンロー、レモンそれぞれの代表作であり、異色のギャング映画である。
ジャズが誕生した時代
ジャズが今日知られるジャズとなったのは、まさしくこの時代である──。そう書いたのは、「ジャズ」というジャンル名自体が誕生したのが20年代のシカゴだからであり、もし禁酒法がなく、カポネらのギャングがいなければ、また、のちにジャズマンと呼ばれるようになるミュージシャンたちがシカゴに集まらなければ、ジャズという音楽が今日のような姿になっていなかった可能性があるからである。
なぜ禁酒法のような荒唐無稽な法律が成立し、なぜシカゴがジャズの街となったのか。その背景には戦争、すなわち人類最初の総力戦であった第一次世界大戦があった。
(次回に続く)
〈参考文献〉『完本 美空ひばり』竹中労(ちくま文庫)、『カポネ 上・下』佐藤賢一(角川文庫)、『A列車で行こう デューク・エリントン自伝』中上哲夫訳(晶文社)、『ジャズの歴史物語』油井正一(スイング・ジャーナル)
1971年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、フリーの編集・ライターとなる。現在は、ジャズを中心とした音楽コラムやさまざまなジャンルのインタビュー記事のほか、創作民話の執筆にも取り組んでいる。本サイトにて「ライブ・アルバムで聴くモントルー・ジャズ・フェステイバル」を連載中。