投稿日 : 2021.10.13
【インタビュー/キーファー】型破りな“ジャズ奏者”たちが続々とメジャーな活躍─LAの偉才 Kiefer ニューアルバムで新機軸
取材・文/大塚広子
キーファー(Kiefer)は、米ロサンゼルスを拠点に活動するピアニスト。ジャズやファンク、ヒップホップなどを調合した作風で、昨今めざましく活躍している。なかでも最近の “大仕事” は2020年のグラミー受賞作。と言っても、キーファー名義の作品ではない。最優秀R&Bアルバムを受賞したアンダーソン・パークの『Ventura』で、リードシングルを含む2曲を彼がプロデュースしたのである。また、テラス・マーティンやモーゼス・サムニー、マインドデザインといった名手たちのライブや作品にも参加し、名を馳せてきた。
近年、ヒップホップなどの多様な音楽を包括した “コンテンポラリーなジャズ” が、ロサンゼルスを中心に隆盛しているが、彼はそのシーンの中核を担うひとりだ。
人生を変えたピアノレッスン
キーファーがデビュー・アルバムを発表したのは2017年。その5か月後には、人気レーベルのストーンズ・スロー(Stones Throw)と契約して現在に至る。
デビュー前の彼は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で学んだ。名門として知られる同校のジャズ・スタディーズ・プログラムで、ギタリストのケニー・バレル(注1)に師事し、ここでプロへの道筋をつける。幼少期の彼はクラシック音楽を学んでいたが、やがてジャズに惹かれ、15歳の頃にジャズピアノのレッスンを開始。その時に体験した “一流の手ほどき”が、今でも忘れられないという。
注1:Kenny Burrell(1931〜)/米ミシガン州出身のジャズ・ギタリスト。1951年にディジー・ガレスピー楽団に加入しプロ活動を開始。56年に初リーダー作を発表。以降もジャズ史に残る名演を数多く繰り広げている。
彼を指導したのは、ピアニストのジェフリー・キーザー。名匠アート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズの “最後のピアニスト”として知られ、技巧や理論にも長けたエリートだ。そのレッスンは自分にとって大きな学びになった、と語るキーファーがこう続ける。
「当時の僕は15歳。あのレベルのミュージシャンに会うのは初めてだった。正直言って、彼はめちゃくちゃ厳しかったよ。いきなりシューベルトの楽譜を出してきたから、僕は思わず『えっ!? そんなの無理だよ…』と言ってしまった。すると彼は『無理かどうか、やってみないとわからないよ』と返してきたんだ。そうやって、かなり難度の高いエクササイズに挑戦していった」
このハードルをクリアしたことで、彼は強い自信を身につけた。
「その後、大学で教授から難しい要求をされても、あの経験があったから “自分にはできる”という自信が持てた。今だにあのレッスンから学ぶことがあるよ」
演奏者としての鍛錬を積む一方で、彼はビートメイカーとしての手腕も磨き続けた。12歳の頃には、パソコン上でエレクトロニックな楽曲制作を開始し、その才はデビュー以来ずっと作品にも反映させてきた。こうした柔軟性は、家族の影響もあるという。熱心な音楽ファンだった父親は、幼い彼に「ジャズは多様なジャンルの混ざり合いによって変化していくものだ」と教えていた。
その下地があったから、彼はサンプリングやプログラミングで音楽を作ることに躊躇がない。また、サンプリングのループ感やビート感にも抵抗がない。これは “ヒップホップ以降”の演奏者たちに多く見られる共通点でもある。
「サンプリングという手法は、ヒップホップだけではなくアメリカのブラックミュージックの歴史そのものだと言える。たとえば40〜50年代のジャズ奏者は、他のミュージシャンのレコードを聴いて演奏を耳コピしたり、採譜するところから始まった。チック・コリアはバド・パウエルのレコードの同じ箇所を何度も繰り返し聴いて、そこから演奏を学んだ。バド・パウエルの演奏をコピーすることで、それがチック・コリアの演奏法に吸収されたんだ。この手法は音を再解釈するための素晴らしいカルチャーだと思っている」
と語るキーファーだが、最新作では全く逆のことをやってのける。しかも、これが素晴らしい内容なのだ。
初の “バンド形態”でアルバム制作
先述のとおり、これまでの彼の作品はサンプリングやプログラミングを主軸にしており、楽曲のほとんどを自分ひとりで制作していた。ところが先日リリースされた新アルバム『When There’s Love Around』は大勢のミュージシャンを起用。バンドを編成してアルバムを制作するのは、彼にとって初めての試みである。
その起点ともいえる要曲が、アルバムのタイトルにもなった「When There’s Love Around」だ。
「この曲はザ・クルセイダーズのカバー。2年前から僕のバンドでよく演奏していて、タイトルどおり会場のオーディエンスとミュージシャンの間に愛のオーラが漂うんだ。そのフィーリングを出すには、僕ひとりではなく、バンドで演奏するしかないと思った。ずっと前からバンドでアルバムをレコーディングしたいと思っていたから、いい機会だしタイミングとしても完璧だった」
ちなみにこの原曲は1974年の作品で、彼が “愛のオーラ”と形容するとおり甘美で官能的。心地よい浮遊感とメロウな趣を湛えている。そうした70年代ジャズ/クロスオーバーの空気感は、今回のアルバム所収曲に共通しており、彼が「ヒーローの中でも別格」と慕うハービー・ハンコックの、70年代の諸作品を想起させるようなフレージングやハーモニーを随所に確認できる。これはまさに、先の発言「バド・パウエルの演奏がチック・コリアに吸収された」状態なのだろう。その一方で、ビート感はきわめて現代的だ。
本作のレコーディングには、ドラムのウィル・ローガンや、ベースのアンディ・マコーリーといった気心の知れた仲間たちが数多く参加した。また、昨今の米西海岸シーンのキーパーソンともいえるパーカッショニスト、カルロス・ニーニョや、ベーシストのサム・ウィルクスといった精鋭たちも加わっている。
「サム・ウィルクスとは同じミュージシャン・コミュニティにいるからよく顔を合わせていて、彼がサム・ゲンデルとやっているプロジェクトで僕の曲をカバーしてくれたこともあるんだ。カルロス・ニーニョは、僕がよく演奏していた会場のブッキングを担当していたから、そこでもよく顔を合わせていたよ」
もうひとりのキーパーソン
さらに本作には、昨年メジャーデビューを果たし快進撃を続けるファンクバンド、ブッチャー・ブラウンのメンバーも参加。同バンドでDJ/サウンド・プロデュースを担当するDJハリソンが、アルバムづくりに大きく貢献したという。
「DJハリソンはどんな楽器も天才的に弾けて、今回はギター、シンセ、ドラムを演奏してくれたよ。彼と初めて会ったのは、DJジャジー・ジェフの自宅だった。ジェフは毎年いろいろなミュージシャンを自宅に呼んで、リトリートを開催しているんだ」
DJジャジー・ジェフはヒップホップのファンにはお馴染みのDJ/プロデューサー。86年に「DJジャジー・ジェフ&ザ・フレッシュ・プリンス」としてデビュー後、多くのヒット曲を手がけてきた。ちなみに相方のラッパー “フレッシュ・プリンス”は、のちにウィル・スミスの名で俳優としてブレイクする。
ジャジー・ジェフが自宅で実施しているリトリート(Retreat:キリスト教における修養会の意)とは、ミュージシャン同士が交流する、いわばワークショップのような場だ。
「ジャジー・ジェフは音楽コミュニティの向上のために様々な活動をしている。ミュージシャン同士をつなげるために、毎年100人くらいを自宅に呼ぶんだ。そこでコラボレーションをしたり、お互いにインスピレーションを与え合うんだよ。そのリトリートを通して、僕は何人ものヒーローに会えたし、同世代のミュージシャンと繋がることもできた。僕の今のキャリアは、ジャジー・ジェフがいなければ達成できなかったと思うよ」
これをきっかけにキーファーとDJハリソンは一緒に演奏する仲になった。そんな彼らのために、導師ジャジー・ジェフは自身のレコーディング・スタジオを提供。今回のアルバム収録曲の一部もそこで収録されたという。
自分自身を理解するために…
キーファーの最新アルバムはバンド演奏を主体としたインストゥルメンタル作品である。しかしながら、まるで歌詞が存在するかのような “具体的な物語”がそれぞれの楽曲に宿っている。
「アルバムの前半は、自分のアイデンティティをテーマにした。たとえば自分の使命について考えたり、子ども時代のことを題材にした曲で構成されている。一方、後半は家族や仲間との絆がテーマになっていて、スピリチュアルな内容だ」
前半部のパーソナルな題材は、いわば “自己との対話”である。そのことについて彼は「自伝的なテーマの曲を通して、自分をもっと理解しようと思った」と語る。また、後半の “他者との絆”をテーマにした楽曲からも、同じような教訓を得たようだ。
「アルバム制作を通して、自分自身について学ぶことができた。そして、この世界の中で自分がどんな位置にいるのか考えさせられた。この3、4年間の自分の人生を刷新するような内容になったよ」
そんな彼のサウンドは、ジャズとヒップホップのカルチャーが共存するロサンゼルスの豊かなシーンを体現するかのよう。彼と仲間たちが創り出す親密な空気が、本作にはたっぷりと詰まっている。
取材・文/大塚広子
【Stones Throw レーベル公式サイト】
https://www.stonesthrow.com/artist/kiefer/