投稿日 : 2021.10.22 更新日 : 2022.06.03
挾間美帆の新作と「ラージ・アンサンブルの歴史」を一気に解説 ─おすすめ作品リストも
グラミーから見えるビッグバンド事情
──さて、ここまで1910〜60年代の大まかな流れとハイライトをお聞きしましたが、じつは60年代に入ると、ビッグバンドのトレンドを知るためのわかりやすい指標ができます。
村井 グラミー?
──そうです。先ほども少し話に出ましたが、グラミー賞の「ラージ・アンサンブル」部門が創設されたのは1961年。当時は「ラージ・グループ」という呼称でした。その後、70年代に入った頃に「ビッグ・バンド」となって、90年代の初め頃から「ラージ・ジャズ・アンサンブル」になる。ちなみに最多獲得者は誰だと思います?
村井 やっぱりデューク・エリントンとか、カウント・ベイシーなのかな。
──大正解です。1位はデューク・エリントン楽団で、7回受賞。次いでカウント・ベイシー楽団が5回。
村井 3位は?
──ウディ・ハーマンとマイルス・デイヴィスです。両者は3回獲っていますが、そこにマリア・シュナイダーが今年3回目を獲って並びました。ちなみに、これが獲得作品のリストです。ざっと眺めてみて、何かお気づきの点はありますか?
村井 (過去60年間のリストを見ながら)へぇ〜、いろいろ気になる点があるね(笑)。まず1971年、マイルスが初めてこの部門のグラミーを獲ってるんだけど、作品が『ビッチェズ・ブリュー』なんだね。そうか、あれはラージ・アンサンブルなのか…と。
──面白いですよね。ロックやエレクトリックなイメージが先行する作品なので、「あれはラージ・アンサンブルです」と言われると、虚を衝かれる感じ。
村井 あと、サド・ジョーンズ=メル・ルイスの受賞が1回(79年)というのは意外。その流れを組むヴァンガード・オーケストラでも獲ってる(09年)けど、もっとあるかと思ってた。
──そうですね。獲得数ではなくノミネート数を調べるとまた別の実態が見えるかもしれません。ちなみに、この部門で最初にグラミーを獲得したのは、1961年のヘンリー・マンシーニなんですが、彼も1回だけなんです。ところが、58年から70年にかけていろんな部門で計10回のグラミーを獲得していて、ノミネート数はなんと72回。
村井 ああ、なるほど。マンシーニは『ティファニーで朝食を』(61年)とか『ピンクパンサー』(64年)とか有名な映画で音楽やってたし、普通にヒット曲もつくってたから。
──その通りです。むしろアルバム・オブ・ザ・イヤーとか主要部門で獲りまくってるんです。ビッグバンドやジャズオーケストラという“装置”は、60年代もメインカルチャー側にあったことがよくわかりますよね。
村井 あと、グラミー賞はラテン・ジャズ部門が別にありますよね。あそこでも結構ビッグバンドが顔を出していて、たとえば最近の常連になっているアルトゥーロ・オファリル。彼はメキシコ出身でいまはニューヨークに住んでるんだけど、父親はキューバ出身のチコ・オファリルという有名なアレンジャー。ここ数年、彼のバンドが3回ぐらい連続して獲っているんですね。
ニューヨークにはそういうラテンジャズのビッグバンドがすごくたくさんあって、2020年に(ラージ・アンサンブル部門を)獲ったブライアン・リンチ・ビッグバンド。これもある意味ラテン・ジャズですから、そういう意味ではラテン・ジャズもビッグバンド的には重要。今でもすごく盛んですしね。
──ラテン・グラミー候補者の多くは、ヒスパニック系と呼ばれる(メキシコや南米、カリブ海諸島に出自を持つ)人たちですが、いまやアメリカ国内のヒスパニック人口はアフリカ系を抜いて、マイノリティとしては最大規模ですからね。
村井 そう考えると、いま “ラテン的なもの” の数や質が上がってるのは当然なのかもしれませんね。
──加えて、アメリカでは昔から “非ラテン系”の作曲家たちもオーケストラやビッグバンドでエキゾチックなラテン要素をさかんに採用していて、それらも大衆音楽として親しまれてきました。
村井 いわゆるイージーリスニングやムードミュージックと呼ばれるようなジャンルですよね。あと、70年代以降のソウルミュージックも豪華なストリングスを使った作品は多い。
──そうですね、特にシカゴやフィラデルフィアのソウルに顕著です。たとえばマーヴィン・ゲイのアルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン』(1971年)はソウルの名作として知られていますが、ある意味、見事なラージ・アンサンブル作品だと思いますよ。
村井 うん、そう考えると、アメリカにおけるオーケストラやビッグバンド・アンサンブルって、ポピュラー音楽やダンス、映画、テレビなどと結びついた、非常に大きな存在だったことが分かりますよね。
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