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「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。
1960年代に爆発した英国のポップ・カルチャーの中で、「ストーンズの女」としてマスコミの格好の標的とされたのがマリアンヌ・フェイスフルだった。スウィンギング・ロンドンのアイコンであった彼女は、その後の時代を生き抜き、90年代になってモントルー・ジャズ・フェスティバルに初めて出演したのだった。その記録がシリーズ『The Montreux Years』の最新作として発表された。1995年から2009年に至る5回のステージからセレクトされた14曲に、彼女の人生が見える。
「マゾ」の血統のセックス・シンボル
マリアンヌ・フェイスフルの母親はオーストリア貴族の血統で、旧姓をエヴァ・マゾッホといった。『毛皮を着たヴィーナス』の作者であり、その名がマゾヒズムの語源となったレーオポルト・フォン ザッヘル=マゾッホの眷属(けんぞく)である。1968年の映画『あの胸にもういちど』で、白馬に乗ったマリアンヌがアラン・ドロンに鞭で打たれて身悶えるシーンは、明らかにその事実を意識したものだった。
裸体にレザーのつなぎを着てバイクにまたがる映画の中のマリアンヌの姿は、最もストレートな意味でのセックス・シンボルそのもので、ほぼ全編フェティシズムとセックスのみで構成されたこの作品を見ると、60年代という時代にあって彼女がどういう存在であったかがよくわかる。男たちの欲望を理想的な形で具現化したアイコン。その姿がそのままアニメ版『ルパン三世』の峰不二子のモデルとなったのだった。
1964年にデビューした彼女につきまとったのは「ローリング・ストーンズの3人のメンバーと寝た女」というゴシップで、まもなくそれは「ミック・ジャガーの恋人」というゴシップに取って代わった。「3人」という点を除けばいずれも事実で、マリアンヌ自身、もともと惹かれていたのはキース・リチャーズだったが、セックスの相性が悪かったために、猛烈にアプローチされていたジャガーを選んだこと、ブライアン・ジョーンズとは友人のような関係だったので照れくさくてセックスができなかったことなどをのちのインタビューで語っている。
歌えようが歌えまいが、あのルックスなら売れる
「ルノワールの絵画のような子供時代」を送り、カトリックの修道院の附属学校に入学してからはミルトンやシェークスピアに耽溺していたマリアンヌが、ジャガー=リチャーズ作の「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」でデビューしたのは、あるパーティでストーンズのマネージャーだったアンドリュー・オールダムに目をつけられたからだった。「彼女が歌えようが歌えまいが、知ったこっちゃない。あのルックスなら売れる」とオールダムは語ったという。マリアンヌが17歳の時である。ここが彼女の人生のポイント・オブ・ノー・リターンとなった。
60年代の英国は、それまでの保守的な階級社会の価値観が大きく変わる歴史の転換期にあった。教会の権威が失墜し、性の解放が叫ばれ、ドラッグが若者の間に一気に蔓延した「文化革命」。その転換を音楽の側から先導したのがビートルズとストーンズであり、激動の中心にあったのがショー・ビジネス界だった。その世界に突然投げ込まれたヨーロッパ貴族の血統につらなる清廉な美少女は、自らの身をもって価値転換と革命を実行した。
10代での結婚と出産、マリファナから始まったドラッグ嗜癖、同性との交渉を含むフリーセックス、アルコール、ロックを始めとするアート界との交流、ジャガーとの同棲と妊娠と流産、睡眠薬を大量に飲んでの自殺未遂──。ドラッグ使用はLSD、アンフェタミン(覚醒剤)、コカインと次第にエスカレートし、ほどなくジャンキー仲間も心配するほどの大量のヘロインを血管に注射することが彼女の日常の一部となった。1日1本のジャック・ダニエルズを空にする生活がルーティンになるのは、もう少し後のことである。
半生の物語のように響く14曲
60年代のダークサイドを象徴していたストーンズのメンバーを凌ぐデカダンとなったマリアンヌが音楽上の転機を迎えたのは、70年代末になってからである。当時のロック界を席巻していたパンク~ニュー・ウェーヴの音を巧みに取り入れて制作された『ブロークン・イングリッシュ』(1979年)は、彼女が初めて主導権を握ってつくったアルバムであり、ジャケットのアート・ワークも含め、驚くほどパワフルな作品だった。10代、20代の女性がこの世で体験できるあらゆる地獄を通り抜けてきたマリアンヌは、いわば早すぎたパンクスであった。シド・ヴィシャスなど、彼女にとってはただのいきがった小僧にすぎなかっただろう。
『The Montreux Years』の新作として最近発売されたマリアンヌのライブ・コンピレーションは、これまで発売された『The Montreux Years』同様、過去に出演したモントルー・フェスのベスト・ライブ・テイクを集めたアルバムで、『ブロークン・イングリッシュ』からは5曲が選ばれている。選曲は1995年、99年、2002年、05年、09年の計5回のステージから。これもこれまでの作品同様、すべての曲を一つのステージとして聴けるような編集とミックスが施されていて、1曲目の「マダム・ジョージ」から14曲目の「ホワイ・ジャ・ドゥ・イット」までが、マリアンヌの決して幸福とは言えなかった半生の物語のように響く。彼女の人生と音楽を熟知する卓越した仕事人の編集と見るべきだろう。マリアンヌ48歳から62歳までの記録である。
獄死した女性テロリストに捧げた曲
冒頭から、酒と煙草で喉をつぶした田舎のスナックの老マダムのようなダミ声に驚かされる。彼女の声が天使の歌声と言われたのは遠い昔のことであり、酒と煙草どころか、マリファナとコカインとヘロインと過食症と二度の自殺未遂とで身体をボロボロにしてきた女なのだから、声の劣化は田舎のスナックの婆さんどころの話ではない。しかし、それは「味わい」と受け止められるべきで、トム・ウェイツの曲をトム・ウェイツ以上の頽廃感をもって歌える女性シンガーはマリアンヌ以外にいない。
1曲目の「マダム・ジョージ」は、北アイルランド、ベルファストのバーの女装したマスターを描いたと言われるヴァン・モリソンの曲。彼の最高傑作『アストラル・ウィークス』からの1曲である。
「私のお気に入り」というMCに続いて歌われる2曲目「ブロークン・イングリッシュ」は、先に紹介したアルバムのタイトル・チューンである。歌詞は、ドイツ赤軍の創設者で、獄中で縊死した女性テロリスト、ウルリケ・マインホフに語りかける内容だが、原曲の「あなたは何のために戦っているの?(What are you fighting for?)」というリフレインが、「私たちは何のために戦っているの?(What are we fighting for?)」に変えられている。原曲発表から30年を経て、テロリストへの問いかけは、自身への問いかけに転じた。
ジャガー=リチャーズと共作したドラッグ・ソング
5曲目の「ソング・フォー・ニコ」のニコとは、もちろんヴェルベット・アンダーグラウンドのファースト・アルバムに参加していた女性シンガーのニコである。歌詞には、アンドリュー・オールダム、ブライアン・ジョーンズ、アンディ・ウォーホール、ルー・リード、アラン・ドロンなど、ニコと因縁のあった(そのうちの何人かはマリアンヌとも因縁があった)男たちの名前が出てくる。「昨日は去り、今日だけがあり、明日はない」という歌詞が、マリアンヌの人生のステートメントのように聴こえる。
6曲目「カム・アンド・ステイ・ウィズ・ミー」は彼女が18歳のときの作品で、全英4位とキャリア中最大のヒットを記録した曲である。美しいメロディとコード・ワークを持ったドリーミーなポップ・ソングを52歳のマリアンヌが歌う。過去の自分を笑い飛ばしているようなすがすがしい歌いっぷりが印象的である。
続く「シスター・モーフィン」は、ストーンズ・ファンには『スティッキー・フィンガーズ』の収録曲として知られているナンバーだが、最初のレコーディングはマリアンヌの方が早かった。ジャガー=リチャーズの曲に彼女が歌詞をつけたもので、「モーフィン」とはモルヒネのことである。自身のドラッグ体験をもとに、モルヒネ(精製するとヘロインになる)を姉妹に、コカインを従兄弟に擬人化し、「次はいつ来てくれるの?」と問いかける。最後の「清潔な白いシーツが赤く染まる」という一節は、ドラッグ中毒の果ての自殺を表現したものだろう。
武器は「美貌」ではなく「信念」
アルバムの後半は、自身のオリジナル2曲に続いて、デューク・エリントンの「ソリチュード」(ビリー・ホリディの名唱で知られる)、ジョン・レノンの「ワーキング・クラス・ヒーロー」、レナード・コーエンの「タワー・オブ・ソングス」、トム・ウェイツがマリアンヌのために書き下ろした「ストレンジ・ウェザー」(のちにウェイツもライブ盤『ビッグ・タイム』に収録した)と、カバー曲中心の構成になっている。自作他作を問わずすべてを自身の人生の1ピースのように歌うマリアンヌは、シンガーというよりむしろアクターであり、一流の俳優になるというかつての夢をステージ上で実現しているように見える。
アルバムは『ブロークン・イングリッシュ』からの「ホワイ・ジャ・ドゥ・イット」で締めくくられる。おそらく彼女のキャリア中、最も過激な歌詞を持った曲で、cock、fanny、dick、cunt、my little oyster、pussyと、訳すのがはばかられる単語が次から次に出てくる(ちなみに、すべて性器を意味する言葉である)。こうして、全14曲からなる妥協のない物語がほとんど完璧な流れをもって完結する。選曲、構成、演奏ともに素晴らしいライブ作品と言っていいと思う。
2020年に新型コロナウイルスに感染したマリアンヌは、肺に後遺症を残しながらも無事に生還し、今年に入って英国ロマン派詩人の詩を朗読したアルバム『シー・ウォークス・イン・ビューティ』を発表した。先頃のチャーリー・ワッツの訃報の際には、「彼の愛すべき存在感と友情を失ってしまったことをとても寂しく思う」というメッセージをSNSに寄せている。60年代ともに消え去ると誰もが思っていたポップ・アイコンは、半世紀後のパンデミックを生き抜き、70代半ばにしてなお創造力を失っていない。若き日のマリアンヌは、美貌を意識的に自分の武器にしていると語っていた。しかし今になってみれば、どれほど無様な姿を晒してでも生き延びてみせるという強い信念(Faith)こそが、彼女の最大の武器であったことがわかる。まさしくフェイスフル(Faithfull)な生き様というほかはない。
文/二階堂 尚
※引用は『マリアンヌ・フェイスフル アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』マーク・ハドキンソン著/野間けい子訳(キネマ旬報社)より
『The Montreux Years』
マリアンヌ・フェイスフル
■1.Madame George 2.Broken English 3.Times Square 4.Guilt 5.Song for Nico 6.Come and Stay with Me 7.Sister Morphine 8.She 9.Hold On Hold On 10.Solitude 11.Working Class Hero 12.Tower of Song 13.Strange Weather 14.Why D’Ya Do It
■Marianne Faithful(vo)ほか
■第28回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1995年7月10日ほか