投稿日 : 2022.01.27

【インタビュー】清水絵理子─クラシック界で活躍中に突然「やめてやる!」ジャズに転向【Women In JAZZ/#40】

インタビュー/島田奈央子 構成/熊谷美広

清水絵理子

ピアニストの清水絵理子が、約12年ぶりとなるリーダー・アルバム『Aspire』をリリースした。かつてクラシックの世界で将来を嘱望されながら、自由を求めてリセット。ジャズに転向した彼女はいま、どんな音楽を描出しているのか。

たまたまバイト先で出会ったジャズ

──もともとクラシック・ピアノをやってたんですよね。

5歳から17歳ぐらいまでずっとクラシック・ピアノをやっていて、海外で公演をやらせてもらったりもしていたんです。

──十代の半ばで、国内はもちろんフランス、ドイツ、ポーランド、オーストリア、イスラエル、アメリカなどすごいステージに立っていた。

けど、いろいろなことが嫌になってダーンって全部放り投げて。2年くらい音楽から離れましたね。「音楽でやっていこう」というプランを全部ひっくり返して、まったく違うことで生きていこうと思って。それで、さぁどうしようか…と、2年くらいは家にも帰らずバイトとかしていました。模索というよりは、何がやりたいのかもわからない感じで。

──そこから、どんな経緯で再び音楽の世界に戻ってきたのですか?

19歳ぐらいの時にジャズに出会ったんです。“ピアノ奏者募集”というバイトを見つけて、ピアノはそこそこ弾けるから行ってみるかと。

──腕に覚えはあるよ、と(笑)。それで、どんなバイトだったんですか?

僧侶の方が趣味でやっているジャズ・バーみたいなところで、いろいろなジャズ・ミュージシャンやジャズ好きのサラリーマンなどが遊びに来てセッションするような店だったんです。それを身近で聴きながら、時々セッションにも参加させてもらうようになったら、とても楽しくて。

そこではジャズが好きな人間たちがゴチャゴチャ集まって、あぁでもないこうでもないってジャズをやっている。これが私の中でハマったんでしょうね。

──ジャズのフィーリングをつかむのは難しかったのでは?

私が弾くピアノより、ジャズ研出身のお客様の弾くピアノの方がよっぽどカッコ良かったりするんです。なんで私はカッコ悪いんだろ…って愕然としましたね。

ただ、そんな思いとともに、自由で解放されるような感覚も得られて、ジャズに引き込まれて行きました。セッションがない時は有線放送でジャズが流れていたんですけど「これ、誰の演奏?」「この曲は何 !?」って周りの人に聞きながら、どんどんジャズにのめり込んで。

清水絵理子

──聴くよりも先に、弾くことからジャズに入っていった。珍しいパターンかもしれませんね。

もともとピアノは弾けるから、現場で「ブルースっていうのはこういうコード進行だよ」みたいな手ほどきを受けながら、だんだんそれらしく弾けるようになっていきました。それで、ある程度ピアノが弾けることが周りに伝わると、いろいろなところから呼んでいただけるようになって。でもリーダーの人が求める音楽がバンドによって違うから、そこでまたもみくちゃにされたり(笑)。

そんな中で、“誰々ふうで弾いて”って言われることもあって、これに対しては常に疑問を感じていました。その結果が今の形になっていったんだと思います。

──絵理子さんのアプローチの仕方は、いわゆる “どジャズの人”とはちょっと違っていると感じるのですが、そういうバックボーンがあったからなんですね。

当時はファンキー・ジャズみたいなものがすごく好きだったので、逆に今よりもジャズっぽいフィールで弾いていた時期もあったと思います。自分でコピーして勉強していたものも、トミー・フラナガンだったり、フィニアス・ニューボーンJr.だったり。当時はとにかくジャズっぽさを追求していて、クラシックに寄せないようにしていたので、今の方がクラシックなどの要素が出ているかもしれません。

──今のプレイを聴いていると、誰から強い影響を受けたのかというのがわからないです。

若い頃から “どのピアニストが好き?”って聞かれても、その質問の意味がよくわからなかったです。なんでそれを聞くのかなって。とりあえず最初に“いいな”と思ったのがウィントン・ケリーだったから、そう答えていましたけどね。

──でもウィントン・ケリー的な要素も少ないですよね。

私のピアノに根強く残っているわけではないんです。ただ当時は黒人のピアニストのフィーリングというか、その独特のグルーブ感がすごく好きだったので、ジャズじゃなくても、ゴスペルやブルースのピアニストなども聴きました。そのあとにジャズを勉強していって、ビル・エヴァンスやキース・ジャレットが究極の表現の仕方なんだなということがようやくわかっていったという。

アルバム作るなら“このトリオ”でやりたい

──今回のアルバムは全曲オリジナル曲ですけど、作曲はいつ頃から?

清水絵理子『Aspire』(Days of Delight)

作曲は子供の頃からやっていました。引っ越しの時に昔作っていた作品集なんかが出てきて、今見てもビックリするような曲を書いていて、可愛いなって思いました(笑)。だから作曲に対する熱量というのは昔から持っていたと思います。最終的にオーケストラのスコアまで書いて、新日本フィル(注1)に演奏してもらったりもしたんですけどね。

注1:新日本フィルハーモニー交響楽団。1972年に指揮者・小澤征爾のもと、楽員による自主運営のオーケストラとして創立。

──自作の協奏曲を新日本フィルと演奏。そのときの指揮者は、大作曲家ショスタコーヴィッチの息子であるマキシム・ショスタコーヴィッチ。当時、絵理子さんはまだ16歳ですよね。

はい。それをやり終えて、バコーンってちゃぶ台をひっくり返して「やめてやる!」って一旦音楽をやめました。その後、ジャズを始めてからは “スタンダード曲をどれだけ面白く味付けしてお客さんに届けるか”ということに意義を感じていたので、曲を書くことの意味がわからなくなっていたんです。

でも今回、全曲オリジナル曲で行こうという話になって、今のメンバーで私の曲を演奏したらどういう感じになるんだろう、素材としてのオリジナル曲をみんなで料理してどれだけカッコいい演奏ができるんだろうっていうことを考えて、初めて本気でジャズの曲が書けたと感じています。

──カッチリと曲を作るというよりは、モチーフみたいなイメージで書いたという感じですか?

そうです。クラシックのように細部までこうやって欲しいというのはまったく無くて、メンバーたちとインプロビゼーションや会話をしながら演奏できる“素材”ではあるんだけど、自分の作品としても面白いよねと思えるような曲が書けた気がします。いま私が感じていること、表現したいことがこのアルバムに集約できたと思っています。

──今回のアルバム全体のテーマなどはあったのですか?

表現としては、コロナ禍でもあるし、それぞれの考えているものが正解じゃないというか、常に何かに疑問を持っているようなイメージが1曲1曲に込められています。

──リアルな世界とイメージの世界とのギャップということですか?

当たり前だと思っていることが当たり前じゃないという、コロナ禍でみんなの足が止まったということもそうだし、何ひとつとっても当たり前だと思えることってないなという気持ちというか。

──トリオのメンバーとはいつ頃から一緒にやっているのですか?

2人とも 峰厚介(注2)さんのカルテットで一緒だったので、5〜6年ぐらいはやっていますね。峰さんのライブでも峰さんが抜けてトリオで演奏する場面もあって、それが面白くて、他にない感覚もあったので、今回のアルバムのお話しをいただいた時にこのトリオでやりたいなと。

注2:みねこうすけ。1960年代後半から活動し、菊地雅章のグループに参加して一躍注目を集める。1970年代は“ネイティブ・サン”のメンバーとして活躍。以降は日本を代表するテナー・サックス奏者として日本のジャズ・シーンをリードしている。2019年のアルバム『Bamboo Grove』には、今回のトリオ全員が参加している。

左から、須川崇志(ベース)、清水絵理子(ピアノ)、竹村一哲(ドラム)

──このメンバーだったら、絵理子さん自身も自由に演奏できるわけですね。

彼らもすごく柔軟で、“ジャズはこうであるべき”というような形にとらわれないので、その瞬間に合った音をみんなで追求していけるんです。そういう形があったほうが気持ちいい時もあるんですけど、それが自然に発生していないのであれば、やる必要がないと思っているので。

恥をかいて躍進する

──女性としてジャズのフィールドで活動していく上で、苦労したことはありましたか?

大変だったことはそんなになくて……逆に女子だから、あまり上手く弾けないのに呼んでもらえたりすることもありました。でもそこで上手くできなくて、言われた曲もできなかったりして恥をかいて、分からないものは絶対次までには覚えていくとか、そういう努力の方法でしたね。

──そういう環境もバネにしていたわけですね。

中には、女性でちょっと弾けるから呼んでもらっているようなヤツとは一緒にやってられないって、ステージで私が弾き出すと弾かなくなる人もいたり。そんな、すごい試練もありましたけれど、それが私にとっていい修行になりました。

──リーダーとして活動することについてはどうですか?

そこもあまり苦労は感じませんね。男性の中に女性がひとり。そんな状況で長い移動もありますけど、全然辛くないです。みんなと一緒に行動してなんぼみたいなところもありますから。早メシだし(笑)。逆に女性ばかりの楽屋にいると、みんなお化粧とかにすごく時間をかけてやり出したりするので、私はここにいちゃいけないのかな…とか感じて、男性の方の楽屋に行ったりします(笑)。

インタビュー/島田奈央子
構成・文/熊谷美広

清水絵理子/しみずえりこ(写真右)
東京都品川区生まれ。祖母がピアノとエレクトーンの先生をしていた影響で幼少の頃から楽器に親しみ、5歳から本格的にピアノを習い始め、ネム音楽院でクラシックと作曲法を学ぶ。16歳で作曲家ドミートリイ・ショスタコーヴィッチの息子であるマキシム・ショスタコーヴィッチの指揮で、新日本フィルハーモニー交響楽団と自作の協奏曲を演奏。またアメリカ、ヨーロッパなど海外でも演奏する。その後一度音楽から離れるが、19歳の時にアルバイト先の店でジャズと出会い、ジャズを演奏し始める。その後都内のライブ・ハウス“NARU”に毎週出演するようになり、さらに様々なセッションでも演奏するようになって、竹内直(sax)、峰厚介(sax)などのグループに参加。2010年に初リーダー作『SORA』をリリース。

島田奈央子/しまだ なおこ (インタビュアー/写真左)
音楽ライター/プロデューサー。音楽情報誌や日本経済新聞電子版など、ジャズを中心にコラムやインタビュー記事、レビューなどを執筆するほか、CDの解説を数多く手掛ける。自らプロデュースするジャズ・イベント「Something Jazzy」を開催しながら、新しいジャズの聴き方や楽しみ方を提案。2010年の 著書「Something Jazzy女子のための新しいジャズ・ガイド」により、“女子ジャズ”ブームの火付け役となる。その他、イベントの企画やCDの選曲・監修、プロデュース、TV、ラジオ出演など活動は多岐に渡る。

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