投稿日 : 2022.03.07

【インタビュー 海野雅威】事件後の再起作で実感した “不思議な力”─「心の底から湧き上がるように音が聞こえてきた」

Photo by John Abbott


海野雅威は国際的な活躍で知られるピアニスト。2008年に米ニューヨークに移住し、ジャズ界で地歩を築き上げてきた。これも多くのジャズファンが知るところだが、2016年に米トランペット奏者のロイ・ハーグローヴが自身のバンドに海野を抜擢し、大きな話題になった。そんな殊勲はほんの一例で、これまで数多のトッププレイヤーやレジェンダリーな巨匠たちと共演を繰り広げ、ジャズの国アメリカの聴衆の心を掴める音楽家として認められてきた。

そんな状況が暗転したのは、今から1年半ほど前(2020年9月)。海野はニューヨークの地下鉄駅で暴行に遭い、右肩骨折の重傷を負う。いわゆるヘイトクライムとして各メディアが事件を報じ、海野のピアニストとしての再起も不安視された。が、翌年の8月にはライブステージに復帰。さらに先ごろ新たなアルバムも発表し、周囲を驚かせている。

海野雅威『Get My Mojo Back』(ユニバーサルミュージック)

このアルバム『Get My Mojo Back』の収録曲を作り始めたのは、事件後まだ間もない療養中。手術後の先も見えない状況のなか、ピアノを触ることもできない日々に海野は作曲を続けた。逆境の中で必死に搾り出したわけではない。メロディが浮かんでしまったのだと彼は言う。

「自分」を再発見

──アルバムづくりを意識し始めたのは、いつ頃だったのですか?

怪我の手術をして、3か月をニューヨークで過ごしました。その後、日本で5か月ほど療養して心身ともにリラックスできて。再びニューヨークに戻ったのが(2021年)5月。それから2か月後にこのアルバムの制作を本格的に開始しました。

それまでの期間、満足にピアノを弾くことも出来なかったのですが、やっぱりいつも音楽のことを考えていました。アイディアを巡らせている状態というか、自然と聞こえてくるものはあったんですよ。

──その “聞こえてくるもの” を具現化するツールとして、ピアノは必要だったのでは?

そうですね。今までは自分の頭の中で鳴ったものをピアノで試しながら作り上げることが多かった。でもそれができない状況で、本当につらい時期でした。ただ、その一方で「ピアノが弾けなくても、こんなふうに音楽のことを考え続けている自分がいる」ということを発見できて、なんだか救われた気分にもなりました。

たとえピアノが弾けなくなったとしても作曲はできるじゃないか、ってポジィティブな気持ちになれて。そんな時期に不思議なことに、心の底から湧き上がるように音が自然と聞こえてきたんですよ。それをきっかけに、ピアノを使わずに作り始めました。

──「アルバムを作ろう」とスタートしたのではなく、曲ができて、結果としてアルバムになった。

そう、そこが今回の大きなポイントです。

──しかし、その出来上がった曲を実演する身体が万全ではなかったのでは?

普段、レコーディングするときは、自分を奮い立たせたりとか、意気込んだりしながら臨む事も多いです。ところが今回は、自然と素材が揃って、気負わずにリラックスしていて、いいものが生まれる予感もあって、すごくいい流れでした。

だから “腕の痛みが治まるのを待って、時期をみながらレコーディングしよう” なんてことは、これっぽっちも考えないくらい「今だ!」っていう何かがあったんです。こんな気持ちになったのは初めてなので、不思議な感じでした。

──これほど長い期間、ピアノを弾かなかったのは初めてだったのでは?

そうです。4歳からピアノを弾きはじめましたが、こんなに長くピアノに触らない期間を持ったのは初めてのことです。でも、過去にも少し似たような気持ちになったこともあって。

──それはどんな状況で?

ロイ・ハーグローヴと一緒にツアーを回っていると、とにかく移動の連続なんですね。ピアノの練習はほとんどできなくて、本番のときにようやくピアノを触れる、っていう日々を送るんですよ。以前は、少しでもピアノに触られないと「ああ、練習したいな…」という気持ちになっていたので、家に居るのに大怪我でピアノが全く弾けないなんて、まるで呼吸ができないような息苦しさでした。

ヒーローからの電話

──このアルバムの起点になる “最初に聞こえてきた音”は、具体的にどんなものでした?

管楽器の音が聞こえてきて、それからパーカッションも。それで “彼らが必要だ”と思って、大好きな仲間に話をして集まってもらいました。

──今回のレコーディングメンバーたちですね。

みんなびっくりして「弾けるようになったのか? 大丈夫なのか?」って、そんな感じの再会でした。その頃ニューヨークはかなり深刻なコロナ禍にあったので、みんなの顔を見られたことがまず感動的で。思わず抱き合いました。

それで、お互いに「無事だったか?」って言葉をかけ合っていたのですが、私に対して言う「無事だったか」は、コロナ云々ではなく本当にシリアスな意味なので、再会できた喜びもひとしおでした。

今回のレコーディングメンバー。左から、ジェローム・ジェニングス(drums)、クリフトン・アンダーソン(trombone)、エディ・アレン(trumpet)、海野雅威(piano, celesta)、アンソニー・ウェア(alto & tenor saxophones)、ダントン・ボーラー(bass)、ヴィクター・シー・ユーエン(percussion)。
Photo by John Abbottt

──療養中は多くの人から励まされたのでは?

そうですね。ちなみに私の怪我は本来なら2週間の入院を要するような手術のレベルらしいのですが、コロナの影響で翌日に病院から出されたんです。大きな麻酔タンクをしょって、首に針が刺さったままの状態で。それで自宅のベッドで腕を吊して、痛み止めを飲んで過ごしていた。その痛み止めがまた強力で、飲むと意識がもうろうとして寝ている事しかできなかった。そんなある日、電話が鳴りまして。心配そうな声で「タダ、大丈夫か?」って。

──誰から?

モンティ・アレキサンダー(注1)でした。

注1:Monty Alexander(1944–)/ジャマイカ出身のジャズ・ピアニスト。1961年にアメリカに移住。1964年にデビュー・アルバム『アレキサンダー・ザ・グレイト』を録音。1970年代にはヨーロッパのジャズ界でも活躍。

──おおー!

私のヒーローです。以前にヨーロッパのジャズフェスを巡ってるときに、よく同じフェスで顔を合わせていて、会場の同じピアノを弾くこともあったり。何かしらの縁を感じていましたが、彼も私のことを気にかけてくれていて。

──同じピアニストとして、どこか共感できる部分があったんですかね。

彼はジャマイカ出身のレジェンドですからね。

──そうですね。60年代の初めにアメリカへ渡って、その後、世界的な活躍を繰り広げる。

私も日本という島国の出身で、何かに導かれてジャズの国アメリカにやってきて、ロイ・ハーグローヴのバンドの一員としてツアーを回っていた。その姿が、モンティもご自身と重なったようです。

──ああ、なるほど。若き日の自分を見ているような。

それでシンパシーというか、強い思いを私に対して持ってくれていたみたいで。

「君の音には愛がある。世界中の人たちが君を待っている」と励ましてくれて、本当に感動しました。私はベッドで全く動けない状態でモンティの話を聞いていたのですが、彼が言うには「なぜ私たちがここにいるのか。私はそのことを言葉では説明できないけど、不思議な力によって人は生かされているんだ」と。違う国から来た二人が出会ってこうして交流するのも、その “不思議な力” によるものなんだって話してくれました。

アルバムにも宿る“不思議な力”

彼の言っていることはすぐに理解できました。なぜなら私自身もそれを “言葉にはできない何か”として普段から感じていたからです。たとえば私は音楽が好きで、ジャズが好きで、今の自分がいて、そうやって人生が豊かに広がっている。これも何かに導かれていると感じます。

あんな出来事を経験して、心も体もバラバラになるような状態になったとしても、私はここに生かされていて、そういうものによって曲が自然に生まれた、と思うんです。だから彼の言葉に心から共感できました。

その「不思議な力」はたとえば、アルバムタイトルにある「Mojo」という言葉に置き換えることもできると思います。

──なるほど。表題曲「Get My Mojo Back」は “俺のMojo (※2)を取り戻せ”といったところでしょうか。雰囲気としては自分自身を鼓舞するようなイメージ?

※2:神秘的な力、魔力、生命力、お守りなどを意味する語。

そういうニュアンスもありますが、同時に、自分のことだけではなくて今回のパンデミックがもたらした閉塞感や不安定な世界情勢、先が見えない状況のなかで、今こそ一人一人が力を貯めて乗り切って行こう、そんな気持ちも込めています。

──その次のトラックも「More Mojo」。追い討ちをかける感じで。

「Get My Mojo Back」の雰囲気がすごく楽しくて、メンバーもみんな「この曲を終わりたくない」みたいになったんですね。もうちょっとやろう、とハプニングで生まれた、いわば余韻のようなトラックなんです。レコーディングという緊張感よりも、ミュージシャンがその場で生まれる即興を楽しんでいる、その雰囲気がより出ているので収録しました。

Photo by John Abbott

──この曲も含めて、アルバムにはカリビアンな雰囲気の曲が複数あります。そこも、先ほどのモンティ・アレキサンダーの存在感が作用している?

パーカッションのヴィクター・シー・ユーエンの参加によって、そういう要素が非常に色濃く反映されたと思います。もちろんそこはジェローム・ジェニングス(ドラム)とのコンビネーションも奏功して。カリビアンの音楽もルーツはジャズと同様にアフリカですからね。

──確かに、しなやかで躍動的なアルバムだと感じました。同時に、非常に前向きで機知に富んでいる。コミカルな哀感やユーモアさえ含んだ、表情の豊かさも魅力です。

渡米して15年になりますが、いろんな人たちと出会って、その中でもファミリーと呼べるような信頼し合える仲間に恵まれて、彼らと一緒に素晴らしいレコーディングができた。その温かい雰囲気は音にも表れたと思います。

──まったく同感です。じつは先日、このインタビューのためにアルバムを聴いていたら、2歳の息子が部屋に入ってきて嬉しそうに踊ってるんですね。

子どもは素直ですね(笑)。

──私はちょうど、曲の構造や演奏の技巧などを丹念に観察している最中だったんですが、海野さんの音楽で楽しそうに体を動かしている子を見てハッとさせられた。仕事柄、音楽を聴くときに小賢しい分析ばかりして、頭で考える癖がついていたんですが、結局 “このアルバムの本質” を2歳児に教わって。しかも二人で愉快な時間を過ごせました。

じつは私にも1歳半の息子がいるのですが、レコーディングのスタジオに来てぴょんぴょん跳びはねていましたよ。

──彼らも “Mojo” を感じるんですね(笑)。それで、アルバムを聴き進めていくと、最後の曲が「今をエンジョイしようぜ!」とも取れるようなタイトルだった。ああ、これは海野さんと子供にやられたな(笑)と。

新作に宿る“ロイと過ごした日々”

──アルバムは今回で7作目。これまでは、おおむね2〜3年おきに発表してきましたが、今回は約6年ぶりです。前作(2016年)以降、なかなかアルバム制作に着手できなかった?

それはもう、理由は一つです。2016年にロイ・ハーグローヴのバンドに参加が決まって、私の音楽に捧げるベクトルが全部ロイになったからです。彼はリハーサルをやらないので、ぶっつけ本番でいろんな曲をやっていかなければならない。とてもじゃないけど自分のことをやってる余裕なんてありませんでした。

ただし、その経験で得たものは大きくて、自分のことができなくてもロイとの経験は必要だったと感じるし、現にその経験がこのアルバムにも活きています。

──具体的には何を得ましたか?

私は子供の頃からジャズが好きで聴いていましたけど、まずはただ単純に楽しいから聴き、演奏してきたわけです。でも実際に自分が演奏するようになって、この世界のディープなところに入っていって、これ以上ないっていうぐらい最高のチームの一員として演奏するようになっていくと、ジャズに対する見方や感じ方も変わってくる。

つまり、彼らアフリカ系アメリカ人が、苦難の歴史の中で誇りを持って、命をかけて育んできた音楽に対するリスペクトがさらに深まるわけです。それと同時に、日本人としての自分のアイデンティティにも直面する。ではそこからどうするのか? ってことを考えるきっかけをロイのバンドでもらえた。これは自分にとって非常に大切な時間になりました。

──そうした海野さんの思いを、ロイはどう感じていたんですかね。

ロイは私が謙虚に見えたようで、もっと自信を持てと言われました。「お前はそんなに弾けるんだから、もっと自分を信じていい。世界中で聴かれるべきピアニストなんだ。俺はちゃんとそのことがわかっているし、お前はバンド全体のサウンドを良くする。だからこそお前はこのバンドに必要なんだ」って。これは大きな自信と力になりました。

──それまでは自信がなかった?

自信満々だったことなど一度もありません。経験を積んでも、それでも「不自然ではないか? ジャズとして成立してるのか?」という考えも、僅かながら私の中にあったかもしれないです。それはこの音楽の成り立ちをリスペクトしているからこそですが。幼少の頃からジャズに親しんできたとはいえ、生まれながらに魂で演奏しているような本物のミュージシャンの中で演奏して感じる事は、やっぱりどこまでも深いですし。

でも、そこまでのレベルの人が私のことを必要としてくれてる。その実感を得られたのは、本当にすごく素晴らしい経験でした。もちろんそこは、自分で自分の音楽やっていくっていう責任に繋がるわけですけど。

治癒と希望と喜びの音楽

──いまもリハビリが続いているんですか?

先月、2回目の手術をしました。ずっと金属プレートが入っていたので、それを取り出したのですが、まだまだ痛みもあるし不自由さも感じています。

──またしばらく演奏できない状態に?

リハビリの最中ですが、じつは明日ニュージャージーで、ウィナード・ハーパーに誘われているライブがあって。2回目の手術後これが初めてのステージです。痛かったりしたら休んでいてもいいよ、って言ってくれたので引き受けましたが、できるのかできないのか試しながらですが…。でも、前回の手術よりは回復が早いと信じています。

──聴く方は、そんな状況で弾いているなんて気づかない。そんな内容のアルバムでしたよ。

正直、自分でもそう思います。だからそこは自信につながりました。ただ、率直に「よく弾けたよな…」と。

──導かれてしまったので弾くしかない。

そうです。先ほども言いましたが、普通はアルバムを作るときって “新しいアルバムを作らなきゃいけない”っていうのが先にあって、事前にいろいろ考えながら計画して、プロジェクトとしてゴールを目指してやっていくことも多い。もしくは、何かしらの企画が先にあって、それに従って動くとか。

ところが今回の場合、必然的に自然な流れで生まれるべくして産まれた。ポジティブでエネルギー溢れる作品がここに誕生したことに、すごく幸福な気分です。心からそんなふうに思えるのって、私の今までの人生の中でも初めてかもしれません。再起への道のりはまだ途中で、時間がかかるかもしれませんが、あの痛みの状況の中でもレコーディングしたという事実と、この音楽が自分自身をもヒールしてくれますし、お聴き頂ければ皆さんも、きっと生きる喜びや希望を感じてもらえると思うので、そこが本当に嬉しいですね。

海野雅威『Get My Mojo Back』(ユニバーサルミュージック)

ユニバーサルミュージックによる公式サイト
https://www.universal-music.co.jp/unno-tadataka/

海野雅威 公式サイト
https://www.tadatakaunno.com/


【ライブ情報】

“Tap, Jazz & Light”

熊谷和徳トリオ featuring 海野雅威 & 井上陽介

NYを拠点にワールドワイドな活躍を見せる二人のアーティスト、熊谷和徳と海野雅威の帰国セッションがブルーノート東京にて実施

●会場:ブルーノート東京

●日時:2022年3月20日(日)
【1st stage】Open4:00pm Start4:45pm 【2nd stage】Open6:30pm Start7:30pm

●出演:熊谷和徳(タップ)、海野雅威(ピアノ)、井上陽介(ベース)

●詳細は以下「ブルーノート東京」特設サイトにて
http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/kazunori-kumagai/


Discover “ビル・エヴァンス”

featuring バンクシア・トリオ(林正樹、須川崇志、石若駿)、江﨑文武&海野雅威

死後40年以上経ったいまも大きな影響力を持つ不世出の天才ピアニスト、ビル・エヴァンス。そのDNAを引き継ぐ気鋭アーティストたちが挑むトリビュート・ライヴ。

●会場:ブルーノート 東京

●日時:2022年4月27日(水)
【1st stage】Open5:00pm Start6:00pm 【2nd stage】Open7:45pm Start8:30pm

●出演:バンクシア・トリオ(林正樹/須川崇志/石若駿)、江﨑文武、海野雅威

※2ndショウのみインターネット配信(有料)実施予定
※アーカイブ配信視聴期間:5/4(水) 11:59pmまで
※アーカイブ配信の内容はライヴ配信と異なる場合がございます。予めご了承ください。

●詳細は以下「ブルーノート東京」特設サイトにて

http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/discover-bill-evans