坂田明奈は、そのファンキーなプレイと個性的なビジュアルで注目を集めているサックス奏者。そんな彼女がセカンド・アルバム『Sister A.K.N. -episode II-』をリリースした。そのポップなイメージとは裏腹に、かつて建築事務所で働いていたというユニークな経歴も持つアーティストだ。
“がんばれること”がある喜び
──プロデビュー前は設計事務所で働いていたそうですね。
実家が工務店で、父が三代目なんです。うちは3姉妹で、やれと言われたわけじゃないんですけど私が継ぐもんだと思って。大学の建築学科に入って、卒業後に8か月だけ設計事務所で働きました。
──建築や設計に興味はあったのですか?
全く興味が無いわけじゃなかったんですけど、それよりも父を喜ばせたいという気持ちだけで動いていた感じです。
──音楽はいつ頃から始めたのですか?
母がピアノ教室をやっていて、姉妹3人もピアノを習っていました。姉は現在もスウェーデンで即興音楽をメインとしたピアニストとして活動してます。私は子供の頃にジャズ・ダンス教室にも通っていて、練習の時にマイケル・ジャクソンとかジャネット・ジャクソン、マライア・キャリーの曲が流れていて、それがむっちゃカッコいいって思って。そうした洋楽が好きになっていきました。
──サックスを始めたきっかけは?
中学生の時に、親友がフルートをやりたいって吹奏楽部に入ったんですけど、私もその子と一緒がいいなと思って吹奏楽部に入りました(笑)。当時SPEEDのメンバーが吹奏楽部員をやっていたドラマ(注1)があって、それを見てサックスがカッコいいと思って始めてみたら、サックスが大好きになって、高校も吹奏楽部の強いところに入学しました。
注1:『L×I×V×E』。1999年4〜6月に放送されたテレビ・ドラマ。高校の吹奏楽部が舞台で、SPEEDのメンバーである今井絵理子と新垣仁絵が主演を務めた。
──サックスのどんなところに魅力を感じたのですか?
音色が大好きです。サックスの音って人の声に近いとよく言われるんですけど、サックスを始めて、自分を表現するというか、楽器を通して自分の気持ちを出したいという欲求が出てきました。ピアノを習っている時は、楽譜通り弾いているという感じだったんですけど、サックスは技量で音色も変わってきますし、練習すればするほど上手く表現出来るようになるので楽しかったですね。
──大学では音楽はやっていたのですか?
高校の吹奏楽部のサックス・セクションで仲の良かった女の子5人でユニットを作って、週末に中学校の文化鑑賞会、ショッピングモール、老人ホームなどで演奏していました。それまでの吹奏楽の曲とは違って、アース・ウインド&ファイアの曲をアレンジしてもらったり。
──そこからどういう経緯で、プロのミュージシャンになったのですか?
一度、戸建ての住宅の設計に関わらせていただいたんですけど、もともと建築という世界には心からの憧れというのはなくて、父親のためというモチベーションだけでやっていたので、人の命を預かる仕事を、私のようなモチベーションでやってはいけないと思ったんです。
それで自分は何をやっている時が楽しいんだろうって考えたら、サックスを吹いている時だった。プロになるなんて思っていなかったんですけど、バイトしてでも、自分の好きなことを仕事にしてもいいのかも、と思った瞬間、眼の前の世界がパーッと開けた感じがしたんです。自分が自分にブレーキをかけていたんだなって。それで音楽をやろうと決めて、大阪で堂地誠人さんに弟子入りして2年間習って、そのあと東京に出て来ました。
──音楽の道に進むと決めた時、お父さんの反応はどうでした?
「好きなことが見つかってよかったな」って。今思い出しても泣いちゃいそうです。
──東京に出て来たのは、何かきっかけがあったのですか?
サックス雑誌主催のファンクのコンテストがあって、それでいい結果を出したらライブの集客が楽になるかも、と思って応募してみたら奇跡的にグランプリをいただけたんです。最終審査は東京でのライブ形式だったんですけど、その時の審査員に、今回のアルバムのプロデュースをやってくださっている坂本竜太(注2)さんもいらっしゃって、竜太さんが神戸でライブをやる時に「何曲か吹いてみない?」って誘ってくださったんです。本番まで1週間もなかったんですけど、一所懸命練習していきました。そうしたら、スタッフの方に“東京に出て来たほうがいいよ”って言っていただいて、その2か月後にはもう東京にいました(笑)。
注2:さかもとりゅうた。ベーシスト。21歳から様々なアーティストのサポート・ベーシストとして活動。2007年にスガシカオのバンドに参加し、バンド・マスターも務めた。他にも水樹奈々、中西圭三など多くのアーティストと共演詩、現在も数多くのプロジェクトで活動中。2015年から自己のバンドSPICY KICKINでも活動している。
──決めたら直ぐに行動するタイプなんですね。
自分自身、何か変わりたいと思っていた時期でもあったし、今しかチャンスがないと思ったんです。貯金もないけど、バイトしたらなんとかなるだろうって。
──上京してからは、どういう活動をしていたのですか?
上京した直後は、バイトを3つぐらい掛け持ちしてたら練習時間がなくなってしまって。これじゃダメだと思ってバイトを減らして練習時間を作って、人との出会いの機会を求めてセッションに行ったりするようにしました。
そこから自分の名前でライブもやるようになったんですけど、次のステップに進むために何をどうがんばったらいいかわからなくて、竜太さんに「アルバムを作りたいんですけど…」と相談したら「じゃあ一緒に作ろう」って言ってくださったんです。
その時に、こんな風に吹くようにとか、音の1拍目が大事だとか、私ががんばるべき項目も提示してくださったんですけど、“がんばれることがある”ってことがすごく嬉しくて。自分の音楽が誰かのためになるという夢をあきらめそうになった時に、救いの手が差し伸べられた感じでした。
自分の良さは音の強さ
──それで1作目の『Sister A.K.N. -episode one-』ができたのですね。
当時のライブなどでは、そんなにファンクには特化していなかったんですけど、竜太さんに「明奈はファンクを演奏した時の1発目の音がすごく強烈だし、君の良さはそこだ。どんな強烈なレコーディング・メンバーを呼んでも負けないと思う」って言われて、そういうアルバムを作ろうと。当時の私は、人に呼んでもらうためにいろいろな音楽に対応出来るような勉強をしていて、いちばん好きなブラック・ミュージックやファンクの要素が薄れてしまっていたんですね。でも竜太さんにそう言われて、好きなものを思い切りやっていいんだって思いました。
──それで今回、2作目の『Sister A.K.N. -episode II-』がリリースされました。
2作目は全曲竜太さんが作曲してくださったんですけど、すごいスピードでデモ音源を送ってきてくださって。カッコいい曲ばっかりで、その音源に精一杯サックスを吹いて重ねて、それを竜太さんに送り返して、というのを繰り返して作っていきました。
──1作目との違いはどんなところ?
1作目は、どファンクの曲も入っていて、“明奈はファンクでいきます”というのをみんなに伝えたアルバムになっていたと思いますけど、2作目はファンクの要素を持ったまま、もっとたくさんの人に聴いていただけるようなポップな要素も増えていると思います。私も竜太さんも好きなプリンスやザ・タイムあたりの90年代のファンクの要素も入って、なおかつ現代のポップスの要素も入った、誰にでも楽しんでいただける音楽をやっていきたいんだということを見せられた作品になっていると思いますね。
──「Spunky Fellows」はサックス、ベース、ビート・ボックスだけでレコーディングされていて、カッコいいです。
竜太さんのプロデュースは、私が行きたい方向で、なおかつそこまで行っていいんだっていう所にまで行かせてくれるので最高です(笑)。自分もこんなにカッコ良くなれるんだって。
──バラードの「Always Here」は、自由に解放されている感じがよく出ていると思います。
私も大好きです。バラード、バラードしていなくて、でも壮大で包まれる感じで。私はサックスの音色にすごくこだわっているんですけど、とても良い音で録ってもらってて、嬉しいです。
──「Beautiful Beast」では前田サラ(注3)さんとのサックス・バトルが展開されてますね。
めちゃくちゃファンキーで、エネルギーの強い人にゲストに入ってもらいたくて、サラちゃんしかいないだろうと。彼女は音色がオンリーワンで、誰々っぽくないし、リスペクトしてます。ライブで共演しても、どっちも遠慮することなく思いっきり吹いても成り立つんですね。彼女がアルバムに入ってくれることが決まってから、竜太さんが2人をイメージして曲を書いてくださいました。レコーディングも同じスタジオでせーので録ったんですけど、サラちゃんが全く遠慮なく吹いてくれるから、私も思いっきり吹けました。2人ですごくファンクな時間を作り出せたと思います。
注3:まえださら/サックス奏者。10代からライヴ・ハウスのセッションに参加し、中村達也(ex-BLANKEY JETCITY)、蔦谷好位置(key)、仲井戸麗一(g)などと共演。19歳で自身のバンドを結成してプロとして活動を始める。2015年に初リーダー作『フロム・マイ・ソウル』をリリース。その後ソロ活動の他に“BimBamBoom”や“Momiji&The Bluestones”といったグループやTAKURO(GLAY)のサポートなど多方面で活躍中。
サックスでもスターになれることを証明したい
──明奈さんって、ビジュアルにもすごくこだわりがあるように感じるんですけど、紫の髪色には何か思い入れがあるのですか?
竜太さんが紫のボブがいいって言ったんです。ビジュアルのインパクトが大事だからって。でも実際に紫にしてみたら、意外と似合っていて気に入ってます。
──衣装へのこだわりは?
Sister A.K.N.として演奏する時は、スターに見えるように、カラコンも入れて、街では歩けないような格好でやってます(笑)。髪の色も衣装もメイクも、自分を表現するもののひとつだから。靴も底の厚さが5センチくらい、ヒールが15センチぐらいあるもので、モニター・スピーカーに足を乗っけたり、床に膝を着いたりしながら吹いてます。ライブに来てくれている人に非日常を感じてもらうためには、非日常の人が眼の前で演奏しているほうが、“スターを観に来た”って思えるだろうし、役者さんみたいになり切るのもすごく楽しくて。
──今後はこういう活動をしていきたいといった、目標などはありますか?
ジャズとか、ボーカルのない音楽を知らない一般的なリスナーの人にも楽しんでもらえるような音楽を作りたいですし、私の音楽も、私自身のことも好きになってくれる人を増やして、憧れのマイケル・ジャクソンに1ミリでも近づきたいです。
──究極は、スターになりたいと。
そのためにはもっと人間力も上げていきたいです。私は渡辺貞夫さんも大好きなんですが、貞夫さんのライブに行くと、一般のお客さんもたくさん来ていらっしゃるんですね。貞夫さんのライブって、人間を見せてもらっている気がするんです。今までの人生を音楽で表現していらっしゃるというか。私もそうなりたいです。人間自体がカッコ良くないと、カッコいい音楽はできないんだろうなって。それと今中学・高校で吹奏楽をやってる子たちにも、サックス奏者もスターになれるんだ、それが夢じゃないんだよということを見せられる存在にもなりたいと思っています。まだ全然途中ですけど、その過程もすごく楽しいですね。
坂田明奈/さかたあきな(写真右)
奈良県出身。建築家の父、ピアノの先生の母のもと、ピアノ、ダンスなどを習って育つ。中学校の吹奏楽部でサックスを始め、高校でも吹奏楽部に入部。家業を継ごうと大阪工業大学建築学科に進学。卒業後は設計事務所に就職するが8ヶ月で退職し、人生で一番やりたいことは音楽だと気付いて本格的にサックス・プレイヤーに転身。2年後『熱烈ホーンズコンテスト』(サックス&ブラス・マガジン主催)でグランプリを獲得し、活動拠点を東京に移す。インスト・バンド“RATEL”のメンバーとして活動するほか、ソロ活動も開始し、2021年にファースト・アルバム『Sister A.K.N. -episode one-』をリリース。その後も様々なセッションやサックスのレッスンなどで活動中。【公式サイト】https://www.akinasakata.com/
島田奈央子/しまだ なおこ (インタビュアー/写真左)
音楽ライター / プロデューサー。音楽情報誌や日本経済新聞電子版など、ジャズを中心にコラムやインタビュー記事、レビューなどを執筆するほか、CDの解説を数多く手掛ける。自らプロデュースするジャズ・イベント「Something Jazzy」を開催しながら、新しいジャズの聴き方や楽しみ方を提案。2010年の 著書「Something Jazzy女子のための新しいジャズ・ガイド」により、“女子ジャズ”ブームの火付け役となる。その他、イベントの企画やCDの選曲・監修、プロデュース、TV、ラジオ出演など活動は多岐に渡る。