投稿日 : 2022.07.25 更新日 : 2023.12.19

スリー・ブラインド・マイス 創始者・藤井武インタビュー| “やりたいこと” のほとんどは “売れそうにないこと” ─日本初のインディ・ジャズレーベル物語〈4〉

撮影/日比野武男

1970年代の初頭、日本のジャズシーンは新たな局面を迎えていた。その強勢を真芯で捉えたのが、国内初のインディ・ジャズレーベル「スリー・ブラインド・マイス(TBM)」であった。時は流れて2018年、TBMと思いを同じくするジャズレーベル「デイズ・オブ・ディライト(Days of Delight)」が登場し、着々と秀作を世に送り出している。

そんな両レーベルの創設者がここに初めて対面し、日本のジャズとレーベル運営について語り合った。

前話「第3部」はこちら

3:7のサジ加減で “大人のジャズ”を

平野 藤井さんは「自分の心が震えるものだけをつくるんだ」とおっしゃっていて、ぼくもまったくそのとおりと心から共感するんですけど、いっぽうでは慈善事業ではないので、“シャリコマ” を排除しながらも、レーベルの思想や価値観とビジネスのロジックとの折り合いをどこかでつけなければなりませんよね? そのあたりのサジ加減はどのように考えていたんですか?

藤井 ぼくは最初からこう考えていました。10本録るうちの3本は、商売をまったく抜きにして、1歩でも半歩でも新しいことをやっている連中をとりあげよう、残りの7本は “大人のジャズ” で行こうと。

平野 “大人のジャズ”?

藤井 じっくり聴いてもスイングして楽しいし、酒のつまみに流していても邪魔にならない。そういうジャズです。山本剛やヴォーカルものなんかがその代表格ですよ。当時、60年代から70年代のはじめごろは、コンサートでも舞台でも圧倒的に学生や若者が多かった。けれども卒業するとジャズも卒業してしまう人がけっこういて、この人たちになんとかジャズシーンに戻ってきて欲しかったので “大人のジャズ” も目指したんです。

平野 ああ、なるほど。でも、 “大人のジャズ” といえども、売れる“から”つくったわけではなく、藤井さんが「これはいいぞ!」と思ったから出したわけですよね?

藤井 もちろん、そうです。

平野 ぼくもまったくおなじで、売れるものをつくる=売れる“から”つくる、という発想は1ミリもないんです。売れそうだからという理由でプレイヤーに声を掛けたり、売れる方向に舵を切ったりすることはいっさいありません。そもそも金儲けの手段としてレーベルをはじめたわけじゃないし。

藤井 もちろんわかってますよ。なにしろ、まともにビジネスとしてジャズをやったらぜったいに儲からないんだから(笑)。それが現代のジャズです。

平野 それはもう身に染みています(笑)。ぼくははるか遠くの村から “ジャズ村” にやってきたわけですが、「ジャズは商売にならない」「はたから見るよりもっと厳しいにちがいない」くらいの察しはついていました。それを覚悟のうえではじめているので、作品制作をジャッジする際の判断基準に「売れそうかどうか」はありません。

藤井 それでいいんです。だいいち、やりたいことって、だいたいが売れそうにないんだから(笑)。

平野 はい(笑)。とはいえ、売れなくていいなんて、これっぽっちも考えていません。だって、多くの人に聴いてもらいたくてつくっているわけですから。倉庫に積まれたCDを眺めても意味はない。たくさん売れて欲しいし、なるべく多くの人に届いて欲しい。でも、だからといって “売れるからつくる” ことはしたくない。むずかしいところですよね。

藤井 そうです、それです。そこがオーナープロデューサーがいちばん悩むところなんですよ。

平野 この困難な問いに対して、藤井さんは “大人のジャズ” で立ち向かっていった。

藤井 アメリカのモダンジャズが終わったとはいえ、いまだにアメリカのモダンジャズがいちばんフィットするし、楽しめる、というリスナーがいっぱい居るわけです。いまもレコードを買ってくれるし、その種の演し物ならライブにも来てくれる。そういうお客さんたちです。

平野 はい。

藤井 だから “大人のジャズ” なんですよ。先ほども言ったけれど、大学のころにはジャズに入れ込んでいたのに、学校を出て社会に入ったらいつの間にか遅れていっちゃって、いまのジャズはなにをやっているんだかよくわからない。そんな過去形のジャズファンがたくさんいるわけでしょ? そういう人を放置したままではもったいないし、ジャズファンの底辺が広がらない。

平野 わかります。

藤井 オジさん、オバさんになってもジャズを聴いていてくれれば、彼らのこどもたちが自然とジャズに触れあい、興味をもってくれるかもしれないし、「あっ、お父さんはこういうのを聴いてたんだ」っていうのがきっかけになって、ライブに足を運んでくれるかもしれない。そういうことがいっぱいあると思うんですね。

平野 そうですよね。

藤井 だから “大人のジャズ” も大事なんです。あなたのところでいえば、土岐くんのレギュラークインテットの『Black Eyes』はいまのジャズをやろうとしているものだけど、片倉(真由子)さんとのデュオ『After Dark』や、竹田(一彦)さんのギターが入った『The Guitar Man』なんかは、ぼくの区分でいえば “大人のジャズ” だな。

●土岐英史+片倉真由子『After Dark』トレーラー

●土岐英史 feat. 竹田一彦『THE GUITAR MAN』トレーラー

 

平野 たしかに。

藤井 一杯飲みながらでもいいけど、じっくり聴けば「スゲーことやってるな、この人たち」って。それが “大人のジャズ” ですよ。山本剛くんなんかはそういうことで引っ張ってきたわけで。

平野 音楽的なバリエーションの面だけでなく、営業的な面でも “大人のジャズ” が貢献してくれたわけですよね。

藤井 そうです。TBMでは「これはすごいぞ!」という前衛もずいぶんやったけど、やはり思ったようには売れなかった。もし “大人のジャズ” をやっていなかったら、そういう思い切ったことはできなかったでしょう。

平野 先ほどの3:7の話を単純にいえば、“3” のほうは、実験的かつチャレンジングであるがゆえに売りあげが望めないもの、いっぽう “7” のほうは、多くのジャズファンに受け入れられ、売れることが期待されるもの。両者は一見正反対に見えるけど、ひとつだけ通底していることがある。それはいずれも藤井武のお眼鏡にかなったものである、ということ。

藤井 そうです。

平野 だとすると、前衛的なものを含めて「これはビジネス的にはしんどいだろうなあ」という尖ったものと、山本剛さんのような大ヒットするもののあいだにはある種の共通項があるはずですよね。おなじフィルターをとおってきたわけですから。それってなんだと思われます?

藤井 う〜ん、なんだろうなあ。いずれもぼくが感動したものってことなんだけど……。

平野 藤井さんはジャズのどんなところに感動するんですか?

藤井 それは、素晴らしいスイングのときもあれば、強力なインプロのときもあるし、場合によっては尖っているがゆえに心が惹かれることもあるから、いろいろだけど、けっきょくは感動できてスイングできるものを評価しているのかもしれないな。つまり、ミュージシャンが言いたいことを感じ取れた瞬間ですね。

平野 なるほど。

藤井 ぼくはいろいろなジャンルをやってきたけれど、どれでもいいから10枚取り出して、続けざまに聴いてくださいよ。そうすれば、ぼくがなにを考えているのかが浮き彫りになるはずなんだ。

平野 そのとおりですよね。よくわかります。そうした藤井さんの選球眼みたいなものは、30年のあいだに動きました?

藤井 そりゃ、動いてるでしょう。最近のほうがより先鋭的になってきているんじゃないかな(笑)。

つねに批評される側に立っていたい

平野 プレイヤーのスクリーニングというか、作品づくりにコマを進めるミュージシャンはどのようなプロセスでセレクトしていたんですか? ちなみにぼくの場合はじつに単純で、ライブ演奏に接した瞬間に体内の “ジャズセンサー” が振り切ったプレイヤー、「これはいい!」と一目惚れしたミュージシャンに、その場でレコーディングをオファーするんです。ほんとうにもう、それだけ。

藤井 ぼくだっておなじですよ。「聴いて良かったから」しかないんだ。ただ、2枚目、3枚目になってきたときには、こちらから「次はこういうのをやってみないか」とアイデアを出したり、逆に、次に会ったときに「こんなのをやってみたんだけど、どうですか?」と提案されたり、といった繰り返しがあって、「じゃあ、今度はブルースを1曲も入れないで、こんな感じでやろう」みたいなことを相談しながら決めていく。オーケストラだったら、アレンジャーに「こういう組曲を書いてくれ」って委嘱して、できあがったものを聴いて良ければレコーディングする。要するに、聴いて「このバンドは伸びるぞ」と思ったものをやってきただけで。

平野 なんだ、そうか。おなじようなものですね(笑)。

藤井 そりゃ、おなじですよ(笑)。

平野 たとえば、ここにサックスプレイヤーがいるとして、彼のレギュラーバンドを録るなら話は簡単だけど、2枚目、3枚目になったとき、つまりは「次をどうするか」という話になったときに、藤井さんはどういう角度から考えるんですか?

藤井 というと?

平野 ぼくの場合は、無意識のうちに編成から考えはじめることが多いんです。今度はピアノとドラムを抜いて、ギターとベースで脇を固めたらおもしろいんじゃないか、みたいに。編成をイメージしたあとで、じゃあプレイヤーはだれがいいかと考える。

藤井 ああ、なるほど。そういうことで言えば、ぼくは “人”から考えます。「次は彼を入れたいなあ」というアイデアが出てくるまでディスカッションを繰り返す。楽器ではなく、あくまで人。だって、プレイヤーには「あいつとやりたい」しかないんだから。

平野 あ、やっぱり。

藤井 たとえば鈴木勲の第4弾『オランウータン』では、森剣治につきあわせたり中本マリに1曲歌わせたりしたんだけど、そのときは「次はこれをやりたいんだ」とオマさん(鈴木勲の愛称)が言ってきたから、「よし、それで行こう」とスタジオに入った。

『オランウータン』鈴木勲カルテット+2

平野 「次はこの楽器とこの楽器をサイドにしよう」みたいなことからレコーディングメンバーを組むことは?

藤井 ほとんどなかったですね。ミュージシャンが「あいつとやりたい」というのがメインだった。もちろん、ぼくのほうから提案することもありましたよ。たとえば、土岐くんと大友(義雄)くんのアルトマッドネスのときは、ちょうど “5 Days in Jazz” に「チャーリー・パーカーに捧げるブルースの夕べ」というプログラムがあったので、「ふたりでパーカーやらない?」と声をかけたら、異口同音に「それはおもしろそうだ」と言ってくれて。

平野 土岐さんと大友さんの組み合わせによるアルトマッドネスというアイデアが藤井さんのなかに立ちのぼり、それをふたりに投げかけて「おもしろい」と言ってくれるのを待つ。プロデューサーだからといって、なにかを強いることはしないってことだ。

藤井 だって、そうでしょ? いくら押しつけたところで、やる気になってくれなきゃ良いものはできないんだから。押しつけられたら反発するしね。ぼくがそうだから(笑)。

藤井武が感動した Days of Delight 作品

平野 いま話に出た土岐さんと大友さんの共演盤もそうですけど、まだその組み合わせで演奏したことがない、初顔合わせでのレコーディングって、やっぱり不安じゃないですか。

藤井 そう?

平野 はい。だからぼくは、そのメンバーで少なくとも2〜3回はギグをやってもらって、それをじっさいに聴いて、「よし、これなら大丈夫だ」と安心してからスタートボタンを押すことが多いんです。でもTBMには初顔合わせにちがいないと思われる音源が少なくない。であるにもかかわらず、演奏のクオリティがきわめて高い。「なぜなんだ! マネジメントにどんな秘密があるんだ!」って、かねて疑問だったんです。

藤井 うーん(笑)、それはねえ……プロデューサーの力量だな。

平野 うわ、きびしいー!(笑)

藤井 だって、そうとしか言えないもんね(笑)。

平野 まだその自信はないなあ。やっぱり躊躇しちゃうもんなあ。いやー、ぼくも早く藤井さんみたいになりたいけど、こればっかりはしょうがないなあ。

藤井 いやいや、そんなことはないよ(笑)。じっさい平野さんがつくられた25作品を見てね、よくぞここまでやってこられたと思ってますよ。しかもこの1〜2年に聴いたなかでいちばんいいと思ったのは、あなたがつくった竹村一哲くんの『村雨』だからね。

平野 おおっ!

藤井 あれはいい。最近の作品のなかでダントツです。なかでも(井上)銘くんが素晴らしい。よくぞここまで成長してくれたと嬉しくてね。感動しました。

平野 ありがとうございます!

藤井 いずれにしろ、プロデューサーが自分の耳で、自分の心で演奏を聴いて、「よし、OK!」「これで行こう!」とオッケーを出さない限り、プロジェクトは前に進まない。この意味で、プロデューサーは “最初の評論家” です。

平野 そうですね。

藤井 でもね、その瞬間以外はつねに批評される側に立っていたい。つくる側として、ミュージシャンとおなじサイドにね。

平野 はい。

藤井 オーナープロデューサーは評論家じゃない。自分が認めてつくったミュージシャンとおなじサイドで批判される位置にいたい、常にね。だからどういう批判でも、批判はありがたいと思っています。

平野 同感! ぼくはプロデューサーとして作品に責任をもっているし、つくり手として批判される立場にある。逆にいえば、だれよりも作品に愛情をもっているし、だからこそ自信をもってリリースしている。

藤井 そのとおりです。

平野 ゆえに、「なぜこのプレイヤーをやるのか」「このプレイヤーのどこに惚れたのか」みたいなことを、つまりは “つくり手の熱量“ や “つくり手の愛情” をきちんと伝えることが、受け手であるリスナーに対する誠意であり、礼儀であるとぼくは考えているんです。それが自分でライナーノーツを書いている理由です。ぼくは評論家じゃないから批評なんて書けません。ぼくが書いているのは、いわばミュージシャンへの “ラブレター” です。

藤井 いいと思いますよ。

平野 とうぜん批判的な意見もあるでしょう。客観的な批評になっていないとか、身内で褒めているだけとかね。でも「客観的な批評なんか書けるわけないだろ? だってミュージシャンと一緒につくっている立場なんだから」と言うしかない。そもそも、つくり手が客観的だとしたら、それこそ問題です(笑)。

つくり手がいいと信じていないものなんかだれが買うんだ、って話です。クルマであれ冷蔵庫であれ万能包丁であれ、腕のいいセールスマンがたくさんモノを売るのは、話がうまいからじゃない。心からその商品をいいと思っているから、信頼しているからです。その愛情や熱量が伝わるから買いたくなる。それが共感の原理だとぼくは考えているんです。

「チャンスが来たら遠慮しないでぜんぶ掴め」

平野 TBMはミュージシャンと専属契約はしていたんですか?

藤井 していません。専属にして、たとえば年に3枚つくると決めちゃうと、期限までにつくらなきゃならないでしょ? そんなふうに時間に縛られるのはダメですよ。しかも専属でつくらなきゃならないミュージシャンが5人いたら、それだけで年間スケジュールがぜんぶ埋まっちゃう。「これをつくりたい」というのが出てきてもつくれなくなる。そんなことになるくらいなら、いくら売れるとしてもやりたくないよね。

平野 そうですよね。でも現状は逆らしいですよ。専属契約してもぜんぜん作品を出してくれず放ったらかしなのに、他のレーベルから出すことは許さないっていう、半ば飼い殺しみたいな感じで。

藤井 それはひどいね。

平野 ぼくは、一緒に作品をつくるプレイヤーたちには、「もし他からオファーが来たら、オレに遠慮は要らないから、どんどんやっていいからね」と言ってます。「オレともいろいろつくろうね」「たくさん作品を送り出したやつが勝つんだから」とも。

藤井 うん。

平野 それでも若いプレイヤーは「まだ機が熟していない」とか「じっくり考えさせてくれ」っていう消極的な反応が多いんですよ。だからぼくは「たとえ駄作と言われたっていいじゃないか」「もしマイルスやコルトレーンが “生涯に傑作1枚だけ” だったとしたら、あんなふうになっていたと思う?」「たくさん出さなければ勝てない。駄作もないようじゃダメなんだよ」って、煽るんです(笑)。だから「チャンスが来たら、オレに遠慮しないでぜんぶ掴め」と。

藤井 そうです。どんどんやったらいいんですよ。中本マリなんかにしても、うちで5枚か6枚入れた後にビクターの専属になったんだけど、それはもう出世だから「おめでとう!」って言いました。いま聴くと、ぼくが録ったのは “素顔のマリちゃん”だったな。

平野 マイナーレーベルは、まだ実績のないプレイヤーを “見初める” ことからはじめなきゃならないし、その後も密にコミュニケーションを取りつづけ、アイデアが出てくるように仕向ける、あるいはこちらから球を投げ、それに彼らがどう反応するかをウォッチしながらアイデアを固めていく、という作業をつづけなきゃなりませんよね。

藤井 そう。だから、ほとんど毎晩のようにライブハウスに通っていました。

平野 舞台が跳ねたあとにいろいろ話をしていたんですね。

藤井 言いあいをすることもあれば、芸術論をたたかわせることもありました。それこそジョジョ(高柳昌行)がTARO(歌舞伎町にあったジャズクラブ)に出たときなんかは、終演後、深夜2時か3時まで延々とフリージャズのありかたについて話したりね。

平野 それはおもしろそうだ。たとえば、どんな話を?

Tee & Company で目指したもの

藤井 ふたりとも「きちんとデッサンができないような前衛アートなんか認めない」と考えていたんです。デッサンがしっかりできるプレイヤーの前衛やフリーなら観る価値があるけれど、デッサンもろくにできないのに、「これが芸術でござい」なんてのは観る気がしないと。

平野 あらゆる芸術に共通する真理ですよね。

藤井 もうひとつ、いくら自由が大事だからといって、運転免許もないのに勝手に走られると町が混乱するばかりで、かえって自由じゃなくなる、ってこともあるでしょ? だから「自由に最低限の制限を加え、そのことによって、より遠くへ早く行けるようなルールづくりみたいなことが必要だよな」なんて話しあったりね。

平野 もしかして、そのルールづくりを〈Tee & Company〉で実践されたってことですか? あの幻のバンドはインプロの塊ですもんね。

藤井 そうです。それこそ “ルール” についてはくどいほど念を押したし、リハでもダメ出しを繰り返したりね。

平野 〈Tee & Company〉は藤井さんが組織したリハーサルバンドで、メンバー全員がバンドリーダー。いまで言う “スーパーバンド” の走りみたいなもので、3枚のアルバムを残しています。特筆すべきは藤井さんのポジションです。実質的に “楽器をもたないバンドリーダー” だった。そんなバンドは後にも先にも〈Tee & Company〉だけです。

Tee & Company『SPANISH FLOWER』(1977)

藤井 あのメンバーははじめての組み合わせだったんだけど、半年ぐらい前から、せめて月1回はミーティングとリハーサルをやって、最後の1ヶ月間はオレがすべて買い切るからほかの仕事は取るな、それでレコーディングと全国ツアーをやろう、と言ってね。

平野 すごいなぁ。そんな話、聞いたことないもんなあ。

藤井 もちろんオリジナルの音楽を提供するわけだけど、やっぱり楽しくなければお客さんだって満足して帰れないから、決めるアンサンブル・パートはビシッと決めて、あとのインプロヴィゼーションは思いっきりやっていい、なにも決めていないところでは入りたかったらどんどん入ってきていい、というコンセプトでやったんです。タイムの変化や、セカンド・リフ、サード・リフでソロイストを煽り立てて、思わず知らず指が動いてしまう、というすごい状態を創り出そうとしてね。

平野 金銭面を含めて莫大なエネルギーを投入しなければできないプロジェクトですが、そこまでして実行に踏み切った底流にはどんなモチベーションがあったんですか?

バンドリーダーたちが抱える事情

藤井 もちろんインプロ中心のジャズを追求したいという音楽的な問題意識からだけど、もうひとつは、ミュージシャンを取り巻く状況に一石を投じたかった。

平野 といいますと?

藤井 さっきも言ったように、ぼくは、日本のジャズの方がアメリカの “シャリコマ・ミュージック” よりおもしろいんじゃないかって思うようになったんですよ。1974年から1977年ぐらいにね。もしかしたら、コルトレーンの次の革命的な奏者が日本から出るかもしれないと。

藤井 ところが、才能が出てくるとみんな潰されちゃうんだな。クラシックの世界なんかでよくあるでしょう? 権威のあるコンテストで1位を獲った途端に、レコーディングだ、コンサートだって次から次にこき使われて、才能が枯渇しちゃう。そういうのが多いんですよ。だからね、そんなふうにやっても知れてるなと思って。

平野 なるほど。

藤井 〈Tee & Company〉を組織した理由はそこにもあった。いくらひとりで引っ張ろうとしても、自分も食わなきゃいけないから、サイドミュージシャンは安いギャラでもつきあってくれる若手を雇うしかないでしょ?  そうなると、若手を育てるのに追いまくられて、ほんとうにグループとしての音楽を追求することなんかできない。

平野 みんなバンドリーダーですもんね。若手を雇うほかないし、彼らの食い扶持の心配もしなきゃならない。

藤井 彼らが自分のバンドの面倒をみる心配はぜんぶぼくがすればいい。なんの心配もせずに、良いジャズをつくるためだけに集まり、音楽のことだけを考える。そういう環境を1ヶ月だけでもつくろうと。

平野 考えることのスケールがちがう。すごいなあ。

藤井 バンドとしては正味1ヶ月しか存続しなかったけど、その半年前から月に1回はミーティングとリハをやってきましたから、その精神はみんなに伝わったと思います。

平野 よくわかりました。今日は長時間、ありがとうございました。とてつもなくおもしろかったし、ものすごく勉強になりました。今日の藤井さんのお話は、ジャズ界はもとより、クリエイティブの世界に生きるすべての人の参考になると思います。ぼくもDays of DelightがTBMに少しでも近づけるよう精進しようと改めて思いました。ほんとうにありがとうございました。

藤井 こちらこそ楽しかった。ありがとう。

(2022年3月26日 藤井武邸にて)

Days of Delight 公式サイト