©2019 Production Company Productions LLC
音楽の聴取がストリーミング中心になるなか、街からレコード店が次々と消えている。かつて筆者が大貫妙子に取材した際、若かった頃に山下達郎や仲間たちと「指先が黒くなるまで」中古レコード店を回った話をしてくれたが、音楽好きなら誰でも思い出に残るレコード店があるに違いない。その店のことを思い出す時、店の雰囲気や店長の佇まい、そこで流れていた特別な時間が記憶のなかから蘇ってくる。レコード店の魅力とは何なのか。改めて考えさせてくれるのがドキュメンタリー映画『アザー・ミュージック』だ。
“知らない音楽” を聴かせたい
2016年、ニューヨークにある小さなレコード店、アザー・ミュージックが閉店した。そこはアメリカの音楽好きにとって特別な場所だった。店を経営しているのはシャイなクリス・ヴァンダルーと、活気あふれるジュシュ・マデルという対照的な2人。
映画は閉店の様子を追いかけながら、店の魅力に迫っていく。1996年にオープンしたアザー・ミュージックは当時、アメリカの若者たちの間であまり聴かれていなかったヨーロッパのインディーやエレクトロニカを紹介しようとスタートした。そのうちにフレンチ・ポップやクラウトロック、実験音楽など、他のレコード店には置いていない商品を並べるようになる。そこにはクリスとジュシュの「これまで聞いたことがないような音楽を聴かせたい」という思いがあった。そして、2人は「Out」「Then」「Decadence」など独自のカテゴリーを作ってレコードを並べた。ちなみに「Out」とは実験色が強い音楽のことで、客はこのユニークなカテゴリーを通じて新鮮な視線で音楽に触れることができた。
90年代後半といえば、アメリカやヨーロッパでインディー・シーンが注目を集め、再発が盛んに行われるようになった時期。日本では渋谷系やサバービアが盛り上がっていた頃で、アザー・ミュージックの品揃えは渋谷のレコード店のようでもある。当時、ニューヨークのレコード店はロックやパンクを深掘りする店はあっても、アザー・ミュージックのように幅広い品揃えの店は珍しかった。
アザー・ミュージックの存在は口コミで広がって、全米から音楽好きが集まるようになる。本作に出演している俳優のベニチオ・デルトロやジェイソン・シュワルツマン。そして、ルー・リードも顧客だったが、店の人気の理由は品揃えだけではなかった。通常、1人か2人で切り盛りできる規模の店舗にも関わらず、6名前後のスタッフが常駐。接客担当のスタッフは、それぞれが得意なジャンルを持っていて、マニアックな知識を駆使して客が興味を持ちそうな作品を薦める。つまり、客とのコミュニケーションがアザー・ミュージックのかなめなのだ。
知識をひけらかすのは厳禁
最近、オーナーの2人に取材することがあったのだが、2人が接客の際に重視したのは押しが強くならないこと。何かを売りつけようとしたり、自分の知識をひけらかせようとするのは絶対ダメで、スタッフは客の話をじっくり聞いたうえで作品を勧める。「買ってほしい」ではなく「聴いてほしい」という気持ちが音楽好きの気持ちをつかんだ。
個人経営のレコード店はワンマンになりがちだが、ジョシュとクリスはスタッフを大切にしていた。スタッフ全員を雇用保険に入れていた、というのも驚きだ。映画に登場するスタッフはみんな個性的で、音楽を心から愛していることが伝わってくる。人種は白人、アフリカ系、アジア系など様々で女性スタッフが多いのも特徴。アメリカのレコード店には女性スタッフはほとんどいないらしく、音楽おたくの男たちの溜まり場になってしまいがちだとか。ジョシュとクリスは女性問題を意識したわけではなく、自然と女性スタッフが増えたという。ふたりの奥さんも夫を助けて店で働いた。多様性という言葉が声だかに叫ばれる前から、アザー・ミュージックでは性差や人種を超えて人々が集まり、お互いの知識やセンスを認め合い、仕事を通じて知識を吸収した。
やがて、インターポールやヤー・ヤー・ヤーズ、TV・オン・レディオなど地元のインディー・バンドが店に自主制作のCDを置いてほしいとやってくるようになり、アニマル・コレクティヴやヴァンパイア・ウィークエンドのメンバーが店員として働くなど、店とインディー・シーンとの結び付きは強くなった。
そして、2000年代に入り、ニューヨークのインディー・シーンが大きな注目を集めるようになると、アザー・ミュージックはシーンの拠点になる。店ではライブも開催されてバンドとリスナーが交流。アザー・ミュージックは店という枠を超えて、ひとつのコミュニティを生み出した。しかし、やがてストリーミングの波が押し寄せ、レコードは売れなくなる。ネット販売にも挑戦したがうまくいかず、ジョシュとクリスは自分たちは無給で働いてスタッフの給料を払い続けたが、ついに閉店を決意することに。
映画の中で、かつて店で働いていたアニマル・コレクティヴのデイヴ・ポートナーが「自分たちは店が味方になってくれたけど、これからのミュージシャンは孤独だね」と語っているが、閉店を知って全米からやってくる客。仕事に追われながら店への思いを語るスタッフなど、閉店までの日々を追いかける映像からは、まるでこの世の中から音楽が消えてしまう日が来たような悲しみが伝わってくる。
「レコードを買う体験」とは何か
本作を監督したのは、映像作家のプロマ・バスとロブ・ハッチ=ミラー。プロマはアザー・ミュージックの元店員で、ロブは常連客。2人は店で知り合って結婚した。そんな2人が閉店を惜しむ気持ちも作品から滲み出ている。店のことをよく知る2人だからこそ、ジョシュやクリス、店のスタッフたちはカメラに対してオープンになったのだろう。店の什器を廃品回収業者が持ち帰ったあと、ガランとした店内で壁に残ったレコードの跡を見て、スタッフが「レコードの幽霊だ」と呟いた時、20年間にわたって店内で流れた様々な音楽の残響が聞こえたような気がした。
アザー・ミュージックを閉店に追い込んだのはストリーミングだけではない。人々は店員からではなく、インターネットでマニアックな音楽情報を入手するようになった。ネットで調べてネットで買う。ネットですべてが完結する時代に、店は必要とされなくなってしまった。この映画が伝えてくれるのは、“店に足を運んでレコードを買う”という行為が、ライブを観るのと同じくらい大切な経験となりうるということだ。
店でスタッフと交流して、知識や音楽を聴く楽しさを共有する。そして、買ったレコードとそれを聴く喜びを持ち帰る。そうした豊かな経験はネットでは味わえないもので、それを与えてくれるのが良い店なのだろう。以前、筆者が小西康陽に取材した際「レコードを見ると、それを買った時の店のことを思い出すんです」と語ってくれたが、経験は人生に刻み込まれて忘れられない思い出となる。レコード店はレコードを売るだけの場所ではない。そこは新しい世界への扉にも、大切なホームにもなりうることを『アザー・ミュージック』が教えてくれた。
文/村尾泰郎
『アザー・ミュージック』
2022年 9月10日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
【配給】グッチーズ・フリースクール
【監督・撮影・製作】プロマ・バスー、ロブ・ハッチ=ミラー
【編集】グレッグ・キング、エイミー・スコット
【撮影】マイク・ロセッティ [アニメーション]マルコム・リズート、スペンサー・ガリソン
【音楽監督】ドーン・サッター・マデル/アゴラフォン [音楽監修]ティファニー・アンダース
【プロデューサー】デレク・イップ、エメット・ジェームズ
【出演】マーティン・ゴア(デペッシュ・モード)、ジェイソン・シュワルツマン、ベニチオ・デル・トロ、トゥンデ・アデビンベ(TVオン・ザ・レディオ)、エズラ・クーニグ、マット・バーニンガー(ザ・ナショナル)、レジーナ・スペクター、JDサムソン(ル・ディグラ)、ディーン・ウェアハム(ギャラクシー500)、小山田圭吾(コーネリアス)、マーク・マコーン(スーパーチャンク)、ウィリアム・バシンスキー、アニマル・コレクティヴ、クリス・ヴァンダルー、ジョシュ・マデル
【ライブ出演】ニュートラル・ミルク・ホテル、ヴァンパイア・ウィークエンド、ヨ・ラ・テンゴ、オノ・ヨーコ、シャロン・ヴァン・エッテン、ゲイリー・ウィルソン、フランキー・コスモス、ビル・キャラハン、ビーンズ(アンチポップ・コンソーティアム)、ザ・ラプチャー、ジ・アップルズ・イン・ステレオ、馬頭將器(ゴースト)
2019年/アメリカ/85分
日本語字幕:高橋文子 字幕監修:松永良平
原題:OTHER MUSIC