投稿日 : 2022.10.04
【桑原あい インタビュー】デビュー10年目に気づいた “あの空白” の意味─ 新アルバム『Making Us Alive』をリリース
ピアニストの桑原あいがデビューして10年が経った。節目にあたる今年(2022年)、彼女は「どうしてもこの3人だけでやりたかった」というトリオを率いてアルバムを完成させた。メンバーは桑原あい(ピアノ)、鳥越啓介(ベース)、千住宗臣(ドラムス)。この3人だけが共有する「ある出来事」が、今回の最新作『Making Us Alive』のモチーフになったという。
端的にいうと本作は、「愛」と「時間」あるいは「人の営み」について思いを巡らせたアルバムだ。また、本作が全国各所で行ったコンサート録音をもとに構成されていることも要点のひとつ。メンバー各々の演奏家としての技量もさることながら、桑原あいの編曲・作曲家としての才覚が、これまでにない形で煥発した作品集である。
ライブアルバムが目的ではない
──今回のアルバムは、全国ツアーのライブ録音をもとに作られています。いろんな会場でおこなったライブ音源の中から、ベストテイクを選んだわけですか。
ベストテイクというより… “おもしろテイク” ですかね。
私がこれまでスタジオで録った作品は、基本的に、最初にきちんと計算して、その設計図に沿って作ってきました。いくつかのテイクから選ぶ際にも、聴きやすくて整っている、落ち着いた感じのものを採用してきました。ところが今回は全く違うスタンスで制作しました。
──べつに整っていなくてもいいじゃないか、と?
面白ければいい、と割り切って作りました。何か心に引っかかる、気持ちがざわつく音楽。うまく言葉では説明できないけど “やばい!”と感じる瞬間が多いものを選びましたね。
──はじめからそれを意図して、コンサート録音という選択をしたのですか?
いえ、べつにライブアルバムを録りたかったわけじゃないんです。最初は「千住さんと鳥越さんと私の、3人のアルバムが録りたい」という動機から始まりました。で、これを最高のものにするために何をすべきか。このトリオの良さを最大限に引き出す方法ってなんだろう? と考えてみた。
──3人が爆発する設定やスイッチを知りたかった。
そう、そのヒントが欲しくて、まず、これまで3人がやった演奏でいちばん良かったのはどれか? と考えてみました。すると、みんな「サン・セバスチャン…良かったよね」って一致したんです。
ポテンシャルを引き出す環境設定
──スペインのサン・セバスチャンですか?
はい、2019年にサン・セバスチャン・ジャズ・フェスティバルに出演しまして。会期中は天候が荒れていて、私たちが出演した日も雨でした。しかも海岸沿いなので、楽譜が飛ぶくらい風も強い。とにかく、いろんな自然音が混ざり合っている状況。
──時間帯は?
夜です。会場はほぼ真っ暗。そんな不穏な状況の中で、まさに「これがやりたくて、この3人でやってるんだ」っていう演奏が出たんですよ。
それで今回のアルバムを作る際に「あの演奏を引き出すには、何が必要か? どんな環境でやればいいのか?」といろいろ考えて、 最初に出た案が “森の中でやる” という。
──オーディエンスは森の動物や虫たち?
それって最高じゃないですか(笑)。それで、スタッフさんに相談したのですが、まず森の中にピアノを運ぶだけでも大変だし、電力を引き込むのも困難ということで却下。じゃ、海のすぐ近くで弾けないか、とかいろんな案を出したんですね。
──要するに、自然界の現象すべてを受け入れた状況で演奏したかった。
そう、なるべく開放的になりやすい状況を作りたかった。とはいえレコーディングなので、音の録り方とかコスト面を考えると現実的ではない、ということになって。
ならば自分たちが開放的になれるホールで、観客を入れずにレコーディングする。そんな案も出たのですが、最終的にやっぱり観客のエネルギーを感じながら演奏しよう、と。
──観客の反応を、風や波音のような自然現象に見立てて。
ただ、いくつか懸念点もあって。まず「このライブは、アルバムのレコーディングだ」って意識しちゃうと、みんな気負ってしまう。だから、1回のライブじゃなくて何回かやって、その中から選ぼう、と。
“考えすぎない” 楽曲アレンジ
──ほかにはどんな懸念点が?
会場を変えて何度もライブをやるってことは、毎回ピアノも変わるし、会場の響き方も違うから録音状態も変わる。そこはリスクです。ただし、そのリスクを背負うことで、レコーディングへの気負いは薄まります。“今、レコーディング中だぞ!”っていう意識を消して、いかにして3人が表現に没頭できるか。そこが大きな課題でした。
だから作品としては “ライブアルバム” という体裁になっていますが、「ライブを録る」ことが目的なのではなく、3人が爆発しやすい状況をいちばん現実的な形でつくったらこうなった、ということなんです。
──演奏をおこなう上で特に気を使った点は?
曲のアレンジを “考えすぎない” ようにしました。考えすぎて原曲の良さがなくなるようなアレンジにならないように気を遣いましたね。
──録音を意識して、アレンジを “作り込み” すぎると、本来の目的から離れてしまう。
そうです。ライブだけど録音作品として残る。そう意識しすぎると、アレンジに余計な力が入ってしまいます。スタジオではなく “ライブで活きる曲とアレンジ” って絶対あるんです。今回その部分がすごい大事だったので、メンバーにプレッシャーをかけすぎないアレンジを心がけました。
──でも、いざ演奏してみて、意図しない方向に転がる可能性もありますね。
もちろんそのリスクもあります。だから、場合によっては「これでいいんだよ!」っていう開き直りというか、思い切りも必要だなと感じました。それができない性格だったので、今回は本当に良いきっかけになりました。
──だから自信と余裕を持って “おもしろテイクです” って言えるんですね。
あはは、その通りです。
マネー・ジャングルの “ヤバさ”
──そうして獲得した珠玉のテイクでアルバムが構成された。ちなみにライブ時の曲順も、ほぼアルバム通りだったそうですね。
はい、1曲目に収録した「マネー・ジャングル」は、トリオを始めた当時 “この3人に合う曲って何だろう?”と考えて、初めてやったスタンダード曲でした。
──作曲はデューク・エリントン。初出は1963年で、エリントンとチャールズ・ミンガス、マックス・ローチのトリオ作品『マネー・ジャングル』に収録されていますね。
あの演奏、すごい煙たくないですか?
──そうですね。なんと表現すべきか、例えばヒップホップで言うところの、ドープ(dope)とか、イル(ill)な雰囲気。
そう、ダウナーで混沌としていて、弾けてるのか弾けてないのか分からないけど、なんかヤバいカッコよさがありますよね。これこそ私たち3人の煙たさみたいなものも出せる曲なんじゃないか、ってことで結成当初に選んで、なおかついちばん多く弾いている曲だと思います。
──アルバム収録曲(全10曲)の中で、いわゆる “ジャズの曲” は、この「マネー・ジャングル」だけですね。
そうですね、あとは私のオリジナルが2曲と、いろんなジャンルの曲をアレンジして。
──その “いろんなジャンルの曲” 同士の連なりや関係性、あるいは楽曲が持つ意味が絡まり合って、不思議な調和と循環をもたらしている。たとえばトーキング・ヘッズの「サイコ・キラー」。
あ、気づきました? ジャケットが「ストップ・メイキング・センス」(※1)のオマージュになっているんです。
※1:米ロックバンド、トーキング・ヘッズのライブを収録したドキュメンタリー映画。1983年12月にロサンゼルスで行った3回のライブをもとに構成。“ロック映画” の傑作として知られる。監督を務めたジョナサン・デミはのちに『羊たちの沈黙』を撮り、アカデミー賞5部門を制覇。
──あのアートワークとタイトルをベースにすることで、このアルバムが “ライブをもとに構成されている” ってことも暗に示唆している。
そいういうこともあってトーキング・ヘッズの曲を入れよう、ってことになり「サイコ・キラー」を選んだのですが、アレンジするのが本当に難しかった。今回の楽曲の中で最も苦労しました。
ロック名曲に何を足す?
──「サイコ・キラー」に苦労した理由は何だと思います?
あの原曲って、無機質なカッコよさがありますよね。
──そうですね。エモーショナルだけど淡々とした雰囲気。
あのメロディとグルーブ感にどう向かい合えばいいのか、まずはそこで悩みました。この原曲の良さや特性を活かしたアレンジで、しかもピアノトリオでやるとなると、普通だったら私やらないんですよ。原曲の良さが損なわれるくらいなら無理してやる必要はない、って判断するから。
──さっき仰っていた “アレンジの加減” の話ですね。
そもそも私は “無理やりアレンジしました” っていうのが大嫌いなんです。たとえば “ちょっと複雑にしたかったので7拍子にしました” みたいなのはイヤなんです。その理由ってなんだ? と思っちゃうタイプなので。だから、最終的に納得できるアレンジができないとやりませんけど、サイコ・キラーやってみます。ってところから開始して。
原曲の持つパンクロックの成分に、何かを足すことでうまく昇華させられるんじゃないか? と思って。その素材は何だろうと試行錯誤を繰り返すうちに、ジャングルのイメージが浮かんで、それが私の中でしっくりきたんです。最終的には、演奏する上でもみんないちばん力が入った曲。今後の私たちの重要曲になる。そんな可能性まで感じました。
──「サイコ・キラー」と同じくロック方面の曲だと、ベルベット・アンダーグラウンドの「ペイル・ブルー・アイズ」や、ローリング・ストーンズの「シーズ・ア・レインボー」を採用しています。これらも同様にアレンジは難航した?
もちろん各曲それぞれに苦労はありましたけど、「サイコ・キラー」と同じくらい難しかったのが「クール」です。
古典ミュージカル曲に新解釈
──原曲は『ウエスト・サイド・ストーリー』の挿入歌ですね。
ミュージカル作品が背景にある楽曲なので、物語性も意識するし、バーンスタインの独特なフレーズ回しも考慮しなければならない。それらを踏まえつつジャズにアレンジすると、かなりトリッキーな感じになってしまって。
これを演奏する3人も最初は手探りで。ツアーの最終日になって、鳥越さんが「やっと楽しくなってきた」って言ってたくらい(笑)。
それで驚いたことがひとつあって。原作の『ウエスト・サイド物語』でこの曲は、ジェット団のリフたちが決闘に行く前に「カッコよく闘おうぜ!」って仲間同士で歌う曲ですよね。ところが2021年に新しく制作された『ウエスト・サイド・ストーリー』では、更生中のトニーがリフに対して「闘いをやめろ」って場面で使われてるんですよ。
私、原作のあの場面が大好きで思い入れも強かったので、新しいバージョンを観て驚いたしショックを受けたんですけど、同時に「なるほど!」と思って。時代に合わせてこんな解釈になってもいい。変化してもいいんだよね、って納得できたんですね。
──そんな大胆な “変化” を受け入れた「クール」があって、その次に続く曲が「エヴリシング・マスト・チェンジ」ですからね。粋な流れですよね。
ありがとうございます(笑)。ちなみに「Mama」も喧嘩の曲なので、「クール」にリンクしているかもしれませんね。
──さっき話に出た「マネー・ジャングル」にも喧嘩の噂がありますね。レコーディング時にローチとミンガスが対立してエリントンがなだめたという。
選ぶ曲の内容とか特性にはやっぱりどこか共通点があって、自然とリンクしているんだと思いますね。
──ちなみに「エヴリシング・マスト・チェンジ」の歌詞は、アルバムのエンディング曲「青春の光と影」と交錯する部分もあります。
そう、雲と太陽のイメージでつながっています。「青春の光と影」は、ジョニ・ミッチェルが書いた作品の中でも特に好きな曲の一つなんですよ。あの歌詞って、すごく身近で普通のことを言ってますよね。
──そうですね。一人称のつぶやき。
何気ない独り言のようでもあり、自分に問いかけてようでもあり。力の抜けたナチュラルな感じ。私は10代の頃からずっとこの曲を聴いてきたけど、ひとつ謎に思っていたことあって。
──謎?
はい、どうしてもわからないのが「I really don’t know clouds, at all(私には雲がどんなものだか解らない)」のところ。
──サビの最後の一節ですね。
その最後の「clouds」と「at all」の間が、4拍空くんですよ。そのまま続けて歌うこともできるのに、なぜ無言の一小節を入れたのか。初めて聴いた時からずっと気になっていて、でもまあ、なんとなく空けたんだろうな、ってことで無理やり納得していたんです。
ところが最近、まさにこのアルバムのリハーサルをやっているときに気づいた。というか、自分の中で納得できたんです。
この10年でわかったこと
──あの “無言の一小節” の意味がわかった、と。
その答えに関連する、ちょっと個人的な話をしていいですか?
今年でデビュー10周年になりますが、この10年を振り返ると「私、とても変わったなー」と実感するんですよ。
──何が変わったと思います?
たとえば20歳の頃の私は、いつも怒っていました。周囲にも怒るし、自分にも怒っていたんです。脳内にある音楽をうまく再現できないことに苛立っていた。それは一緒に演奏する相手にも向けられたし、具現化できない自分にも向けられていました。全部、ただのエゴなんですよ。
もちろん、自分が納得できる音楽を作るのは重要なことです。でもその一方で、聴く側にもそれぞれの事情や心情がある。音楽を聴く人には個々の人生があって、みんなそれぞれ自身の日常に照らし合わせてみたり、その時の心情に共鳴させたりしながら、音楽との関係を築いているわけですよね。
当時の私はそんなことにも気づかずに音楽をやっていた。それで結局、むやみに怒りや苛立ちを溜め込んで、自分を追い込んでしまって曲が書けなくなったり。そんな時期を経験しました。
──どうやって、そのスランプから脱したのですか?
いちばん大きな要因はクインシー・ジョーンズだと思います。彼に会ってアドバイスをもらったことが大きな転機になりました。クインシーにとっては、私の背中を軽く押してくれたのだと思うんですけど、そのことで私はものすごく前進することができた。
加えてもう一つ、クインシーに励まされて再び前向きになれたタイミングで、スティーヴ・ガッドとウィル・リーとのトリオ作品(※2)を作った。これも大きな出来事でした。このトリオで彼らが与えてくれたのは、私の音楽観を根底から覆すような体験でした。“音楽家としてどんなマインドでいるべきか”ってことだけでなく “人として”という部分も学べたんですね。
※2:『Somehow, Someday, Somewhere』(2017)。のちに同メンバー(桑原あい/スティーヴ・ガッド/ウィル・リー)で行ったライブも『Ai Kuwabara with Steve Gadd and Will Lee Live at Blue Note Tokyo』(2019)として作品化された。
──いつの間にか、壁を越えることができていた。
それまでは「もう限界だ」と感じていて、本気で辞めようと思っていました。クインシーと話していなかったら、たぶん書けなくなって終わってたと思います。でも彼のおかげでまた音楽を好きになれたし、自分なりの大きな変革も経験できました。
“あの空白” の意味
──かつて経験したことのない出来事によって、自分が変化していく。
結婚もそのひとつです。いろんな愛の形がある、ってことに気付かされました。恋人だった時の愛とも違うし、父親や母親からもらった愛とも違う。もちろん友達に感じる愛とも違う。新しいかたちの愛を、相手と作っていくわけですよね。
そうやってこの10年、本当にいろんな形の愛があるし、音楽との向き合い方にもいろんな角度があることを知りました。私が出会う人もそれぞれ価値観が違うし立場も違う。そんなふうに “多様な側面から物を見ることができるんだよ” ってことを、この10年で知った気がします。
そんな経験を経て「Both Sides Now(青春の光と影)」を聴いたら、すごく心に沁みて。謎だった部分もわかってきたんですよ。
──あの無言の一小節の意味が?
そこ(無言の部分)で自分の人生を思い返しているとしたら、無言があって「…at all」だよな、って納得できた。しかも 「わからないんだ」って言葉に、“自分の人生も相手の人生も、全てを受け入れるし、全部許してあげるよ” みたいなニュアンスも見えたんです。
──それを踏まえて意訳すると、「私は人生について……なーんにも分かってなかったな。まあ、いいけどね」みたいな。
そうそう(笑)
──「…at all」の前の空白は、桑原さんが10年を振り返って、思いを巡らせている時間とシンクロしたんですね。
そのことに気づいたのが、まさに今回のツアーのリハーサル中でした。サウンドチェックしてるときに「何か弾いてください」と言われて、いつも適当に弾くのですが、そのとき急に「Both Sides Now(青春の光と影)」を弾きたくなって。
弾いている最中に「あっ…!」って、腑に落ちたんです。
──なるほど。アルバム最後の曲が「Both Sides Now(青春の光と影)」で、しかもソロ演奏の理由がわかりました。
曲の世界が腑に落ちた今だからこそ、ぜひアルバムに収録したいと思って。もちろん、ジョニ・ミッチェルがそこを意図して作ったのか、たまたまそうなったのかは判りませんよ。でも自分の中で、しっくり来たのは確かなんです。いつか彼女に会う機会があれば、あの空白の真意を訊いてみたいですね。
※
そのジョニ・ミッチェルは、晩年のチャールズ・ミンガスと濃密なコラボレーションをおこなった。ふとそのことを思った途端、最終曲からふたたびオープニング曲「マネー・ジャングル」にイメージが連環するという、しゃれた構成である。
ちなみに本作の1曲目に配置された「マネー・ジャングル」は、このアルバムの外部とも繋がっている。ほかでもない、本作の起点となった“サン・セバスチャンの記憶”である。あのステージで最後に演じた曲が「マネー・ジャングル」だった。つまり本作は「サン・セバスチャンの続き」として演じられ、ここに完結したように見える。が、まだ終わっていないのかもしれない。彼女は言う。
「いつか本当に、森の中や海辺で弾いてみたいんですよ」
デビュー10年の感慨は何処へやら。彼女の目は、すでに歩み始めた “次の10年” を見つめていた。
取材・文/楠元伸哉
桑原あい ザ・プロジェクト
『Making Us Alive』
(ユニバーサルミュージック)
【Live Information】
●2022年11月5日(土)
ヨコスカ・ジャズ・ドリームス・ライヴ・シリーズ 〈桑原あいソロ・ピアノ〉
●2022年11月9日(水)
大阪・ミスターケリーズ 〈桑原あいソロピアノライブ「LIVE TAKES Solo Piano」〉