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ウェイン・ショータージャック・ディジョネットチック・コリアデイヴ・ホランドハービー・ハンコックマイルス・デイヴィスモントルー・ジャズ・フェスティバル
投稿日 : 2022.11.21
文/二階堂尚
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「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。
ライブ・コンピレーション・シリーズ『The Montreux Years』の最新作、チック・コリア編がリリースされた。アコースティックとエレクトリックの間を行き来し、フォー・ビート、フリー・ジャズ、ラテン、フュージョンとあらゆるスタイルをこなした才人であったチックの、主にアコースティック・サイドにフォーカスしたアルバムだ。2021年に亡くなったチックを追悼する1枚であり、正統派ジャズ・ピアニストとしての彼の優れた演奏を堪能できる作品である。
1969年から70年にかけて活動したマイルス・デイヴィスのグループが「ロスト・クインテット」と呼ばれているのは、このバンドによるスタジオ・レコーディングが残されていないからだ。それでも現在では公式盤、ブートレグを含めてかなりの数のライブ録音がリリースされていて、活動の全貌がほぼ把握できるようになっている。一連のライブ盤を聴けば、このクインテットがいかにすさまじい演奏を連日連夜続けていたかがよくわかる。ジョン・コルトレーンを擁した50年代のクインテットや、「黄金の」と形容される60年代のクインテットを凌ぐ、マイルスのキャリア中最強のグループがこのロスト・クインテットだったとの評価があることも故なしとしない。メンバーは、ウェイン・ショーター(サックス)、チック・コリア(ピアノ)、デイヴ・ホランド(ベース)、ジャック・ディジョネット(ドラムス)であった。
ロスト・クインテットは「エレクトリック期マイルス」の文脈において語られることが一般だが、メンバーにギタリストはおらず、デイヴ・ホランドはウッド・ベースをメイン楽器としていて、マイルスのトランペットはまだエフェクターにつながれてはいなかったから、バンド内で完全に「電化」していたのはチック・コリアの鍵盤だけだった。このバンドのサウンドのカラーの多くの部分はチックのエレクトリック・ピアノによるものであり、ジャズ史を大きく変えたあのモンスター・アルバム『ビッチェズ・ブリュー』のレコーディングが、このバンド存続中に、このバンドのメンバーをコアにして行われたことを考えれば、マイルスならびにモダン・ジャズのエレクトリック化を中心となって牽引したのは、事実上チックであったということになる。
もっとも、チック自身は電気楽器を使うことにはじめは積極的ではなかったらしい。マイルスは振り返っている。
「キャノンボール・アダレイと一緒だったジョー・ザビヌルが、〈マーシー・マーシー・マーシー〉をエレクトリック・ピアノで弾くのを聴いて、オレはそのサウンドが大いに気に入った。で、自分のバンドでも使いたくなって、チックにフェンダー・ローデス(ローズ、引用者注)のエレクトリック・ピアノを弾かせはじめた。奴は、あまり乗り気じゃなかったが、オレが強引に弾かせた。すっかり慣れるまでは、楽器を指定されたのが気に入らなかったようだが、やがて気に入って、いつの間にかエレクトリック・ピアノの第一人者になっちまいやがった」(『完本マイルス・デイビス自叙伝』)。
いちプレーヤーとしてのチックの頂点がこのロスト・クインテットにあったとみることも可能で、エレピ奏者としてここまで自由で、斬新で、しばしば狂暴ですらあるチックをほかの時代に探すのは難しい。音楽評論家の中山康樹氏は、チックと同時期にエレピを弾き始めたハービー・ハンコックの場合、「弾いているフレーズはアコースティックのそれを置きかえたものにすぎない」が、チックは「エレクトリック・ピアノでしか弾けないフレーズを発見し、アコースティック・ピアノとまるでちがうアプローチをアッというまに確立したのだ」と言っている(『マイルスを聴け!』)。
チックは1970年8月のワイト島フェスティバルを最後にデイヴ・ホランドとともにマイルスのバンドを脱退し、フリー・ジャズ寄りの「サークル」「A.R.C.」、次いで、エレピ・サウンドの可能性を示してフュージョンの方向性を決定づけた「リターン・トゥ・フォーエヴァー」で活動した。その後はアプローチの異なる数々のアルバムを発表し、ときにアコースティックに回帰して、ハービー・ハンコックとのデュオでライブ・アルバムを発表したりもしている。
その活動はよく言えば多彩で、率直に言えばかなりとりとめのないものだったので、チック・ファンの中でもどの時代のチックをフェイバリットとするかはまちまちとなる。初期リターン・トゥ・フォーエヴァーの水彩画のような美しさこそがチックの本質であると考える人もいれば、近年のアコースティック・バンドにおける正統派ジャズ・ピアニストとしてのチックが一番好きだという人もいるだろう。個人的には、ブルーノートの『ザ・ソング・オブ・シンギング』(1970年)や、ECMの『A.R.C』(1971年)、あるいはサークル名義のこれもECM作の『パリ・コンサート』(1971年)の頃の、「美と前衛」の融合を目指し、かつそれに大いに成功していた頃のチックが最も輝いているように思う。
チック・コリアがモントルー・ジャズ・フェスティバルに最初に出演したのは1972年、スタン・ゲッツ・カルテットの一員としてで、その後、さまざまなフォーマットで何度も出演している。『The Montreux Years』シリーズの1枚としてリリースされたライブ・コンピレーションは、そのうちの主にアコースティックの演奏を集めたものだ。収録されているのは、1988年のチック・コリア・アコースティック・バンドから2010年のチック・コリア・フリーダム・バンドまでの6つのバンドによる計8曲で、フォーマットは、ソロ、トリオ、カルテット、室内楽オーケストラとの共演の4種類である。
唯一の例外は、アナログで言えばA面最後に収録されたチック・コリア・エレクトリック・バンドの演奏だが、これは曲というよりも観客いじりで、チックがエレピで簡単なフレーズを弾いて、それをオーディエンスに唱和させるという和やかなひと時を収録したものである。チックは確か、最後に出演した東京JAZZのステージでも同じことをやっていた。顔が微妙に似ていることもあって、客席の年配客に無理やりコール&レスポンスに応じさせる南こうせつのようだと思ったことを憶えている。コンパイラーとしては、チックの大衆的な側面を伝えたかったのかもしれないが、これは明らかに収録時間の無駄使いで、このくだりを入れたことによってアルバムの統一感が台無しになっているのが残念である。これ以外にあえてエレクトリック曲を収録しなかったのは、2008年のリターン・トゥ・フォーエヴァーのモントルーにおける再結成ライブの音源と映像がすでにリリースされているからだと思われる。
コンピレーションでありながら、1枚を通じてワン・ステージのように聴けるのが『The Montreux Years』シリーズの特徴で、このアルバムもまた、ジェフ・バラード(ドラムス)、アヴィシャイ・コーエン(ベース)とのチック・コリア・ニュー・トリオのアップ・テンポの演奏からスタートして、ケニー・ギャレット(サックス)を加えたカルテット、ジョン・パティトゥッチ(ベース)らとのトリオ、さらに後半は、ソロ、トリオ、室内楽とのコラボ、ボブ・バーグ(サックス)を加えたカルテットと、計算された流れで聴く人を飽きさせない。「スペイン」など万人受けする曲をあえて収録しないことによって、むしろ演奏の純粋な素晴らしさを際立たせているのも計算のうちだろう。
チック・コリアが2021年2月に逝去したあと、彼が残した『A Work In Progress』という音楽家向けの手引きを東京JAZZのプロデューサーであった八島敦子氏が翻訳出版した。とくにピアニストを読者に想定して書かれた短い冊子だが、その冒頭には全19条からなる「音楽家としての個人的信条」が掲げられている。例えば、その第1条と第19条は以下の如くである。
「1.たとえどんな障壁や不都合があろうとも、思い描いた音楽作品をつくりあげるために必要な時間と労力を推しまない。達成するまで止めない」
「19.自分の身体の健康によく気を遣っている。ベストな状態でいるために、良い栄養と十分な睡眠をとることにしている」
あまりに普通な内容で、思わず脱力してしまう。まるで、「最後まであきらめるな」という父親の激励と、「体に気をつけてね」という母親の気遣いを書き留めたメモのようではないか。しかしこれがチック・コリアなのであって、天才的音楽家としてのキャリアを支えていたのは、生真面目な常識人としての生活感覚なのだった。
かたやチックは、ロスト・クインテットで活動していた1969年にサイエントロジーの会員となっている。トム・クルーズやジョン・トラボルタが信者であることを公言しているアメリカの新興宗教である。SF的な世界観を背景とする控えめに言ってかなり独特な宗教だが、80年代に出版した『ミュージック・ポエトリー』という本の中でチックは、「サイエントロジーを完璧な宗教として強く推薦する」と書いていた(A.R.C.というユニットならびに作品名は、「親和性、現実性、コミュニケーション」の頭文字をとったもので、これはサイエントロジーの用語である)。
マイルスのもとでモダン・ジャズの電化を推進した先駆者としてのチック。優れたジャズ・ピアニストとしてのチック。常識的生活人としてのチック。新興宗教の公然たる信者としてのチック──。そのどれもがチック・コリアなのであり、その激しい振れ幅こそが、彼の最大の魅力であった。
文/二階堂 尚
〈参考文献〉『完本マイルス・デイビス自叙伝』マイルス・デイビス、クインシー・トループ著/中山康樹訳(宝島社)。『マイルスを聴け! Ver.7』中山康樹著(双葉社)、『チック・コリアのA Work In Progress』チック・コリア著/八島敦子氏(YAMAHA)、『ミュージック・ポエトリー』チック・コリア著/白石かずこ訳(スイングジャーナル)
『The Montreux Years』
チック・コリア
1.Fingerprints 2.Bud Powell 3.Quartet No.2 (Pt.1) 4.Interlude 5.Who’s Inside the Piano? 6.Dignity 7.America 8.New Waltz
■チック・コリア(p)ほか
■第21回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1976年7月16日ほか
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