仙台を拠点に活動するサックス奏者の熊谷駿。アメリカの名門、バークリー音楽大学やニューイングランド音楽院で学んだのち2019年に帰国。以来、日本で音楽活動を本格化させた。米音大を卒業当時は、ニューヨークや東京を拠点にプロ活動を開始する選択肢もあったが、彼が本拠地として選んだのは、生まれ故郷の仙台である。そこにはジャズを深く愛するがゆえの決意があった。
プロ奏者を目指しつつ柔道でも全国優勝
――まず、熊谷さんとサックスの出会いから教えてください。
10歳に時に、父親が突然サックスを買ってきたんです。理由はわかりません(笑)。ちなみに当時の僕はブランスバンドに所属していてチューバを吹いていたんですけど、それを見て父もサックスを吹いてみたいと思ったのかもしれないですね。
――それで熊谷さんもサックスに興味を持った?
そうですね。週に1回、ヤマハの音楽教室に通っていたんですけど、最初は趣味で吹いている程度でした。それからしばらく経って、高校受験で苦しんでいた中3のとき、たまたま観ていたテレビ番組で熱帯ジャズ楽団が「セプテンバー」をやっていて。それに衝撃を受けて「僕もこんな風に吹きたい!」と思いました。そこから先生について本格的にサックスを始めたんです。
高校の時には「将来はプロのミュージシャンになる!」と心に決めていました。部活では柔道をやっていたんですけど、毎日、部活の後に2時間のサックス練習をして、帰宅するのは夜10時くらいでした。
――当時、柔道の全国大会で優勝したそうで。柔道とサックスの2本立てというのも珍しいというか、大変ですよね(笑)。ちなみに、ジャズを聴くようになったのもその頃ですか?
中学生の頃は普通にJポップとか聴いていたんですけど、サックスの先生からいろんなアルバムを教えてもらって。その中で、いちばん好きだったのがビバップでした。というか、ビバップばかり聴いていました。なかでも、チャーリー・パーカーやソニー・スティットが好きでしたね。
――高校卒業後は日本の音楽学校で学んで、その後、バークリーに入学しますが、アメリカ時代も熱心にパーカーやスティットの研究をしていたそうですね。
演奏するのと同じくらい、研究や解析をするのも好きなんです。ソニー・スティットはチャーリー・パーカーのコピーだと言われることが多いですが “実際にどれくらい影響を受けているのか?” をスティットのフレーズから調べたんです。
例えば、フレーズを縦で(一定のリズムに沿って)見た時、パーカーは感情が入るのか少しブレる時がある。でも、スティットは正確に吹くんですよ。それは並大抵の技術やセンスでは到底できないんです。ビバップはコードに沿ってフレーズを作るので、どうしても演奏が似てくる。でも、プレイヤーとしてパーカーとスティットの特徴を比べた時、コピーと言われるほど似ていないんじゃないかと思いましたね。
どうすればビバップのアドリブができる?
――そうした研究にのめり込んだのは「自分の演奏を向上させるため」という狙いもあったのでしょうか?
もちろん、自分が演奏する上でも参考になりますけど、むしろ「それ(アドリブの演奏法)をどうやったら人に教えることができるんだろう」という興味の方が大きかったです。バークリーではインプロビゼーション(即興演奏)の授業が5段階あって、それも全部受けてみました。「アドリブなんて自分が思ったように吹けばいい」と教える方もいますけど、それではダメじゃないか? と感じたんですよね。
――なるほど。ビバップというフォームの演奏を、どうすれば多くの人が習得できるのか? という好奇心もあったのですかね。
そうですね。ビバップを特徴づけるフレーズって、解析していくとある程度は抽出できるんです。まず、それを吹けるようにして、外堀を埋めていくように練習すればアマチュアの方でもビバップが吹けるようになります。
そんなことを研究するうちにだんだん面白くなって、バークリーを卒業した後はニューイングランド音楽院にも行きました。インプロビゼーションについての名著を書いたジェリー・バーガンジィというサックス奏者がいるんですけど、彼がニューイングランドで教えていたので、ぜひ彼から学びたいと思って進学を決めました。授業の1週目に本で書いていたこと全部やって、そこから先は初めて知ることばかりで、すごく刺激的な授業でした。
――そんなニューイングランド在学中にプロとして音楽活動をスタートしますが、ジャズを取りまく環境は日本とは違いました?
正直言って、そんなに違いは感じませんでした。残念ながら、アメリカも日本も“ジャズが聴かれなくなっている”という状況は同じなんです。ヴィレッジ・ヴァンガードやブルーノートのような有名ジャズ・バーは賑わっていますけど、それ以外の店ではお客さんは少ないんです。現代的なサウンドで勝負する、優れた若手も数多く登場していますが、彼らは評論家には高く評価されても一般の人たちには敬遠されがちなんですよね。ジェリーさんも「アメリカでジャズは衰退してきている」とおしゃってましたね。
――ニューイングランド音楽院を卒業後、熊谷さんは帰国されて仙台を拠点に活動されます。なぜ、仙台だったのでしょうか。
ニューヨークや東京で勝負したい、という気持ちもすごくあったんです。でも、アメリカでもジャズが聴かれなくなっていることを知って、このままいったら、ジャズ・ミュージシャンは生活できなくなるだろうし、ジャズ・バーも潰れてしまうんじゃないかって危機を感じました。東京や大阪にはシーンを盛り上げるミュージシャンが大勢いますが、仙台でジャズを演奏したり聴いたりする機会はどんどん減っていくだろう、と。それで “何か自分にできることがあれば” と思い、仙台に拠点を置くことにしました。
ビンテージ・サックスの魅力
――ジャズと故郷への思いが決断させたんですね。熊谷さんは仙台で「Bop Wind」というオフィスを設立。ミュージシャンとして活動する一方で、音楽教室やビンテージ・サックスの展示・貸し出しなど、幅広く活動されています。まさにジャズ文化の発信地ですね。
最初はこんなに広げるつもりはなかったんですけど(笑)。ビンテージ・サックスはアメリカにいた頃から趣味で集めていたんです。壊れたものを安く買って修理したり、物々交換したりして。時代によってサックスの音色が変わっていくことに興味があったんです。
――管楽器の音色にも時代ごとのトレンドがある、ってことですか?
たとえばチャーリー・パーカーやキャノンボール・アダレイがやっていた時代(1940~50年代)、セルマーという有名な楽器メーカーは、ジャズのバリッとしたサウンドに特化したサックスを数多く作っていました。
――ジャズが最先端の音楽として注目された時代ですね。
そうです。楽器は時代が求める音に変化していく。だから、昔のレコードで鳴っている音を再現するには、その時代のサックスを使わないとその音にならないんですよね。
――そうしたヴィンテージ楽器を、ライブやレコーディングで使用することもあるんですか?
ありますよ。僕が気に入っているのはセルマーのマーク6。チャーリー・パーカーが使っていた6Mも好きですね。いま、ヴィンテージ・サックスを毎週一本紹介する番組をYouTubeでやっているんです。
――これまでに発表してきたアルバムでも、そうした楽器に対するこだわりや知見が強く反映していると思います。その一方で、熊谷さんのアルバム収録曲はバラエティ豊か。ビバップを基調にしたものから、軽快かつポップなものまで様々です。ジャズの旨味みたいなものはしっかり感じさせて、丁寧に作り上げられていることがわかります。
ありがとうございます。作品ごとにアルバムのコンセプトを考えていますが、共通して大切にしているのは、耳に残るメロディです。すっと耳に入ってくる曲、ドライブしながら聞ける曲というのを心がけています。本来、ジャズって気軽に聞けるものだと思うんですよね。
――確かに、もともとジャズは大衆音楽でしたよね。ラジオから流れてくる流行歌であり、人々はジャズで踊っていた。
そうなんですよ。でも、時代とともにジャズのスタイルが変わっていくなかで、だんだん難しい音楽と思われるようになってきた。今もジャズに興味を持っている人は多いと思うんですけど、気軽に楽しめないイメージが強いのだと思います。僕はそういう人たちがジャズを聴くきっかけを作りたいと思っているんです。だからコンサートでは、ジャズを聴き始めた人でも楽しめるように心がけています。
“ジャズへの入り口” つくりたい
――熊谷さんは「BEBOP EXPRESS」と「BOP CASTLE」という2つコンサート・シリーズを開催していますが、その違いは?
「BEBOP EXPRESS」はベテランのジャズマンと。「BOP CASTLE」は若手ミュージシャンと共演する、というふうにしています。そうやってプレイヤーの世代を分けてコンサートをやることで見えてくるものがあるんじゃないかと思っていて。「BEBOP EXPRESS」のほうはどっちかというと熱いセッションを軸にしていて、「BOP CASTLE」のほうはストーリー性というか、メロディアスな部分を意識しています。
――この12月には東京で「BEBOP EXPRESS」が開催されますが、どんな内容になりそうですか?
『Retrotic Now!! 』という新しいアルバムを発表したばかりなんですが、今回は80~90年代のサウンドを取り入れてみたんです。例えばアルバムの1曲目「Bop Choice」はビバップと90年代のロックを混ぜたような楽曲です。あと、シティ・ポップ的な要素を取り入れてみたり。12月のコンサートでも、そういう曲をやってみようかと思っています。
――先日、ミッドタウン日比谷で行われたフリーコンサートでは、映画に使用された曲やジブリアニメの曲をジャズ・アレンジで披露していましたね。
あの時も、映画とジャズをどうやって織り交ぜてお客さんに楽しんでもらえるのか、ということを考えました。映画をテーマにしたコンサートは以前にもやったことがあるんです。ジャズといろんな文化をコラボレートすることにも興味を持っていて、コンテンポラリーダンスや日本舞踊とコラボレーションしたこともありますし、童謡を取り入れて子供たちに向けた公演もやったことがあります。「ジャズってこんな風に楽しめるんだ」っていうものを皆さんに見せたい、と思っているんです。
――そういう活動もジャズの裾野を広げることにつながっていくわけですね。
僕がやっているジャズって、ジャズ・マニアのような人にとっては物足りないところがあるかもしれません。でも、ジャズを聴く人を増やしていくには、こういうスタイルも必要だと思っています。
いま、ジャズのコンサートのお客さんの多くは60代以上です。80~90年代にやっていたマウント・フジ・フェスティバルの映像を見ると、お客さんたちは20~30代。そのお客さんたちが今もジャズを聴いてくれているんですよね。だから20代は難しくても、30~40代の方々にジャズに興味を持ってもらえるような機会を作りたいと思っているんです。
――そういう活動を続けてこられて手応えは感じますか?
2017年から毎年2回のコンサートをやっているんですけど、聴いてくださる方も少しずつ増えていって、最近では全席完売で1400人くらいお客さんが来てくれます。そのお客さんのほとんどが、ジャズを聴いたことがなかった人たちなんです。そういう方々がコンサートを楽しんで、次のコンサートにも足を運んでくれる。
また、仙台では「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」というジャズフェスがあって、今年3年ぶりに開催されたんです。僕はジュニアスクールの子どもたちと一緒に出演したんですけど、こういう地元に根ざしたイベントも大切にしていきたいと思っています。
――仙台といえば、ジャズを題材にした人気コミック『BLUE GIANT』の舞台にもなった地。高校生の宮本大が、世界的なサックス奏者になることを夢見て成長していく。ちょっと熊谷さんを思わせるところもあります。事実、先日のライブ(ミッドタウン日比谷)でも『BLUE GIANT』とのコラボレーションが実現しているし。
『BLUE GIANT』はいつも楽しみにして読んでいます。絵で表現しにくい音楽を題材にして、あそこまで面白く読ませるのはすごいし、読んでいるうちにジャズを聴いてみたいな、と思う。僕にとってはありがたい漫画です(笑)。
――ジャズに興味を持つきっかけになる、という点では、熊谷さんの音楽活動と通じるところがありますね。
確かにそうですね。音楽性を発展させていくミュージシャンも必要だけど、裾野を広げていくミュージシャンもいないとジャズは死に絶えてしまう。ジャズが好きな人が増えていけば、ジャズの沼にはまっていく人も増えていくと思うんです。そのうち、僕のコンサートに来てくれるお客さんが、フリージャズも楽しめるようになってくれたら嬉しいですね。
取材・文/村尾泰郎