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ネイト・スミスとドラムス【名手たちの楽器 vol.3】

ネイト・スミス

クラシックのオーケストラで使用される打楽器は? と聞かれて思い浮かぶのは、ティンパニやシンバル…。スネアやバス・ドラムあたりだろうか。こうしたパーカッション類は、それぞれが “独立した楽器” としてオーケストラの中に存在している。

一方、それらのパーカッション類を集めて1人で同時に演奏するのが、現代ポピュラー音楽の「ドラマー」だ。

クラシックのオーケストラでは、ひとりが大太鼓を叩き、別のひとりがシンバルを鳴らし、さらに別のひとりがスネア・ドラムを叩く……みたいに役割を分担しているよね。ポピュラー音楽で使用される “ドラムス” は、そういったオーケストラの打楽器群を、たったひとりの人間が両手両足を使って演奏できるように、コンパクトにまとめた楽器なんだ

そう語るのは、ドラム奏者のネイト・スミス。ジャズを主戦場にしながら多彩なフィールドで活躍する最先端ドラマーのひとりだ。

ネイト・スミス|Nate Smith
1974年、米バージニア州生まれ。ドラマー/ソングライター/プロデューサーとして活躍。ホセ・ジェイムズやフィアレス・フライヤーズといった人気アーティストの作品に参加するほか、自身のバンド、キンフォーク(Kinfolk)を率いて活動を行う。これまでに三度、グラミー賞にノミネート。

ドラムス奏者に求められる資質

彼の言うとおり、ポピュラー音楽で多く使用される「ドラムス」は、シンバルやスネア・ドラムなどのパーカション類をお城のように組み上げたドラム・キット(※1)である。演奏者はこの “キット”を、左右の手に持ったスティックで叩く。さらに両足も使う。片方の足で、大口径のベース・ドラムを鳴らすペダルを操作し、もう片方の足ではハイ・ハット(2枚のシンバルを重ねて開閉させる装置)を、やはりペダルで操作する。

※1:通常は単に“ドラムス”(日本では“ドラム”)と呼ばれるので、以下、本稿では混乱を避けるために“ドラムス”で統一する。

と説明するのは簡単だが、両手両足を(それぞれ別の動きで)駆使する演奏には高度な身体コントロールとバランス感覚が要求される。およそ常人とは思えない演奏動作だが、ネイト・スミスのようなトップクラスのドラマーともなると、精緻なテクニックや独創性、豊かな表現力までもが加味される。まさに超人的な存在であるが、そんな彼もまた “超人たち” のプレイに触発されてこの道に進んだのだという。

最初はピアノをやっていたんだけど、父親が持っていたバディ・リッチやスティーヴ・ガッド、ビリー・コブハムなんかのビデオを観て、ドラマーになりたいと思ったんだ。兄が楽しそうにドラム・セットを叩くのも見ていたしね。それで僕も小学5〜6年生の頃から学校のバンドでドラムスを叩くようになった。最初に人前で演奏したのは、母親が指揮する聖歌隊のコンサートだったね

ほぼ独学でドラムスを習得していったと語るネイトだが、高校ではマーチング・バンドの指導教員から基礎的なテクニックも教わったという。そのいっぽうで、独習する時にはレコードに合わせてドラムスを叩くこともあった。

ジェイムズ・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーン、ハービー・ハンコックのヘッドハンターズのレコードを聴きながら、それらのバンドの素晴らしいドラマーの演奏に合わせる練習をしていた。僕のタイム感や “バンド全体の音を聴く感覚” は、レコードに合わせて練習することで養われたと思う

彼の言う “バンド全体の音を聴く感覚” は、ドラムス奏者として必要不可欠なものだという。

ドラムスはアンサンブルのための楽器で、音楽を演奏する “環境” を創り出す役割を担っていると思う。ドラマーは音を出し始めた瞬間に、バンド全体にひらめきや刺激を与えたり、アイディアを提供したりする必要があるわけ。僕はこの “アンサンブル楽器としてのドラムスの進化” がとても重要だと考えているんだ

電子楽器がもたらした効果

確かに、ドラムスの進化は興味深い。ドラムス(ドラム・キット)の演奏が確立したのはおよそ100年前。米ニュー・オリンズのディー・ディー・チャンドラーというドラム奏者が、大太鼓に足踏みペダルを取り付け、スネア・ドラムとの同時演奏を可能にしたという記録が残っている。

以降、さまざまなパーツが加えられ現在に至るのだが、80年代に画期が訪れる。リズム・マシーンと呼ばれる電子楽器が登場し、テクノやポップミュージックを介して瞬く間に一般化したのだ。あらかじめプログラムしたリズムを自動演奏できるこのマシーンの登場で「ドラム奏者の仕事が無くなる」と危惧する声もあった。ちなみにその頃、ネイト・スミスは小学生。ちょうどドラム演奏を始めた頃だ。

時を経て、彼はリズムマシーンをこう理解している。

リズム・マシーンもドラムスも、あくまでも音楽を表現するための道具。一緒に演奏することだってできるわけだし、演奏家の活躍を奪うものではない。むしろリズム・マシーンはドラマーの演奏に変化をもたらす効果があったと思う。リズムのグリッド(※2)をより強く意識する必要が出てきたからね

※2:碁盤の目のような格子のこと。リズム・マシーンは、碁盤の上にひとつひとつ石を置いていくような方法で“鳴らす音符の位置”を指定し、リズムのパターンをプログラムする仕様。きわめて正確にリズムを刻むので、ドラマーが合奏する際にもその格子にぴったり合わせて演奏しなければならない。

同じく80年代には、サンプラー(※3)も登場する。こちらは特にヒップホップの歴史と密接である。ちなみにサンプラーでトラックを制作する際、サンプリングした小節の長さが微妙に狂ったりすると、繰り返して再生した時に小節のつなぎ目でリズムが不安定になることがある。この現象を逆手に取り、むしろ積極的に利用することで新感覚のリズム・トラックを作り出したのが、90年代に登場したJ・ディラである。彼が制作する特徴的なビートは、ドラム奏者も刺激した。

※3:一定の長さの音や生演奏をデジタル録音(サンプリング)して、そのデータを繰り返し再生する電子楽器。たとえばドラマーの演奏を1小節サンプリングして、その1小節を繰り返し再生させれば、ドラム・パートが出来上がる。この他、ギターやサックス、人声などの音をサンプリングして音程を調節すれば、それらの音を鍵盤楽器のように演奏することもできる。

J・ディラの音楽もドラマーたちに大きな影響を与えたよね。不安定に揺れるような彼のビートを、(肉体的に)取り入れて表現しようとするドラマーが現れたんだ。クリス・デイヴとかカリーム・リギンス、クエストラヴみたいな人たちが代表的だよね。そのいっぽうで、デアントニ・パークスやジョジョ・メイヤー、JDベックのように、マシーンの正確性を再現しようとする一派もいる。つまり、マシーンは“不安定な方向性”と“ものすごく正確な方向性”の両方に作用しているんだ

かく言う彼は “不安定な方向性” と “ものすごく正確な方向性” の両方に対応した、現代ドラマーの代表的存在である。加えて、ジャズやロック、ファンクなどの伝統的な演奏でも抜群の手腕と表現力を発揮し続けている。

ドラムスは比較的新しい楽器で、今でも進化しているし、僕らはその可能性を常に追求し続けている。とは言え、両手両足で演奏することは変わらないから、その可能性は結局、人間の能力次第ということになるんだけどね

そして、こう付け加える。

僕がドラムスを演奏する上で重視しているのは “感情や思想の表現手段として楽器を使いこなす” ということなんだ。物語を聞かせるような感じでね。その意味で、マックス・ローチやジャック・ディジョネット、ポール・モチアンといった伝説的な名ドラマーたちは、表現のレベルが一段上で、僕もそういう境地に達するためにドラムスの可能性を追求しているんだ

ドラムス表現が深まる「作曲」

ドラマー=リズム担当ではあるが、作曲をこなすドラマーも珍しくはない。彼も同様、作曲には積極的で、過去にはマイケル・ジャクソンへの曲提供もあるほど。彼にとって作曲は、自身のバンド「Kinfolk」やソロ作品のためのレパートリーをつくる上で有用だという。また、先述の「感情や思想の表現手段としてドラムスを演奏する」ためにも、自身で作曲することは重要なプロセスだと語る。

作曲する時には、物語を伝えたり、何かの記憶を呼び起こすことを常に意識している。そこがいちばん大事で、楽器はあくまでも、そういった真の感情に訴えるための道具なんだ。だから曲を書く時にも音楽の技術的な部分より、自分がどんな物語を伝えたいのか、曲が自分をどんな方向に誘ってくれるのか、どんな感情を呼び起こしてくれるのかを第一に考えている

作曲にあたっては、子供の頃に習ったピアノが大いに役立っているが、ピアノが弾けることの効用はそればかりではない。

ピアノが少し弾けるおかげで、ドラムスを演奏する時に作曲家の感覚を盛り込めるんだ。好きなピアニストの演奏を聴くのも、ドラム演奏の役に立つね

優れたドラマーは「リズム」だけに囚われない。物語をつくり、感情や思想を訴え、共演者を触発し、音楽全体を見渡しながらアンサンブルを創り上げる。そんな彼の話を聞いて、またさらにライブ鑑賞の楽しみが増えた。

取材・文/坂本 信
撮影/山下直輝

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