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【レビュー】映画『ビリー・ホリデイ物語 Lady Day at Emerson’s Bar & Grill』

ビル・エヴァンス物語 映画レビュー

©Evgenia Eliseeva

伝説的なジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイの人生は、これまで何度もドラマやドキュメンタリーの題材になってきた。それほどまでに人々を魅了するのは、人種差別、女性問題、貧困など、アメリカの黒人社会をめぐる様々なトピックが、彼女の歌と人生に刻み込まれているからだろう。音楽を通じて黒人社会が抱える問題と向き合ったビリーは、ジャズというジャンルを超えて黒人ミュージシャンのアイコン的な存在だ。

1972年に公開された映画『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実』ではモータウンの歌姫、ダイアナ・ロスがビリー役を演じた。その後、『ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』(2021年)ではスティーヴィー・ワンダーやスパイク・リーが絶賛するR&Bシンガー、アンドラ・デイが好演。そして、このたび公開される『ビリー・ホリデイ物語 Lady Day at Emerson’s Bar & Grill』ではブロードウェイを代表する名女優がビリーに挑戦している。

アメリカの演劇界で最も栄誉があるトニー賞を、史上初めて6度にわたって受賞したオードラ・マクドナルド。彼女の代表作であり、トニー賞を受賞した舞台を再現した映画が『ビリー・ホリデイ物語 Lady Day at Emerson’s Bar & Grill』だ。物語は1959年という設定。つまり、ビリーが亡くなった年だ。当時、ビリーは肝硬変が悪化しているにも関わらず飲酒を続けて健康状態は最悪だった。5月末に自宅で倒れて入院。7月17日に44歳で亡くなるが、本作は彼女の最後のショウを、ひとつの物語として描いている。

フィラデルフィアの小さなジャズ・クラブ。ピアノ・トリオのバンドがスタンバイしているステージに、足元がおぼつかないビリーが登場する。マイクに向かうビリーの横顔のシルエットが、歌う前から彼女の雰囲気を漂わせていて印象的だ。本作の撮影に際しては、劇場ではなく実際にあるジャズ・クラブを使用。観客を入れてオードラの生のパフォーマンスを記録する一方で、美術やカメラワーク、編集など映画的な技巧にも気を配ることで映画としての味わいも感じさせる。

曲を歌っては観客に語りかけるビリー。売春宿で生まれ育ったこと。母親に対する愛憎入り混じった感情。アーティ・ショウ楽団とのツアーで体験した人種差別(ビリーは初めて白人オーケストラと仕事をした黒人女性シンガーだった)。恋人から受けた暴力など、ひとり語りを通じて彼女の人生が浮かび上がる。時にはユーモアを交えて、時には止められているアルコールを飲みながら、うわごとのように語り続けるビリー。オードラは凄まじい集中力でビリーになりきり、ひとつひとつの仕草、視線に感情を込める。その鬼気迫る演技に、箸休め的に入るピアニストのジミーとのやりとりも良い。2人の自然な掛け合いを見ていると、芝居ではなくライヴを見ているような気分になってくる。

実際、この映画の魅力の半分はオードラとバンドのライヴだ。ビリーを演じるにあたって重要なのは、吹き替えなしで歌える歌唱力。晩年のビリーの枯れた味わいを再現するのは至難な技だが、ミュージカルで鍛えたオードラは、ビリーの歌い回しやアクセントを意識しながら歌に生命を吹き込む。そして、「月光のいたずら」「クレイジー・ヒー・コールズ・ミー」「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」など10曲を超える演奏を披露。映画ならではの見どころは、歌うオードラの表情をアップで捉えたカメラだ。『奇妙な果実』のジャケットで描かれたビリーの歌う表情。その〈ソウル〉そのもののような顔を彷彿とさせるほど、オードラの顔には様々な感情が渦巻いている。

情緒不安定で今にも崩壊しそうなビリーを、アスリートのように鍛えぬかれた技術と鋭い感性で一部の隙もなく演じていくオードラ。そこから生まれる緊張感を通じて、死を間近にしたビリーが抱える苦しみが伝わってくる。ショウの途中で歌えなくなり、混乱してしまうビリーの姿が痛々しいが、そんな彼女の苦しみが奇跡的なパフォーマンスに昇華されるのが、クライマックスで歌われる「奇妙な果実」だ。黒人だから、という理由で病院で診察してもらえずに死んだ父親の話をした後、ビリーは政府から歌うことを禁じられていた「奇妙な果実」を歌う。オードラは渾身の歌唱でビリーの魂の叫びを解き放つが、そこで流れる涙は演技ではなく、ビリーと同じく差別される側のアーティストとして、歌に込められた悲しみに打たれたオードラ自身の涙のようにも見えた。

 ある晩、一人のジャズ・シンガーが小さなジャス・クラブで歌った。それだけのささやかな話。でも、誰も知らない伝説の一夜を体験したような深い余韻を与えてくれる映画だ。

文/村尾泰郎

『ビリー・ホリデイ物語 Lady Day at Emerson’s Bar & Grill』
2023年3月10日(金)より全国順次限定公開
配給:松竹

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