投稿日 : 2023.03.27
【インタビュー】石川紅奈「いろんな人に導かれて、ここまで来た…」名門ヴァーヴ・レーベルからメジャーデビュー
MENU
ベーシストで歌唱もこなす女性ジャズ・ミュージシャン。といわれて思いつく名前は少ない。しかも優れたソングライティング能力も備えているとなると極めて稀な存在。石川紅奈のデビュー・ミニアルバム『Kurena』は、そんな作者の才技が詰まった俊作だ。
本作で彼女は、スティービー・ワンダーやチック・コリアの楽曲をユニークな調味で仕立て、のびのびと快演。自作曲においても非凡さを発揮し、ベーシスト、シンガー、ソングライターとしての多彩なレトリックを披露している。
そんな才気あふれる彼女に会ってみて驚いた。拍子抜けするほど “普通” の女の子。そんな印象だ。「ベースの演奏を始めたのはいつ?」という記者の質問に、ゆったりとした口調で朗らかに語りはじめる。
アコースティック・ベースの洗礼
「本格的にはじめたのは高校に入学してからです。それ以前にも、ときどき父と遊びながら弾くことがありました」
父親はソウルミュージックのファン。スティービー・ワンダーやジャクソン・ファイヴなどの楽曲を、彼女は幼い頃からいつも父と一緒に聴いていた。その道筋に楽器もあった。
「あるとき父に “この曲、弾いてみる?” って言われて、家にあったエレクトリック・ベースを渡されて。そこから演奏する面白さに目覚めていきました」
やがて彼女の興味はロックやポップミュージックへも拡がっていく。そして高校へ入学。ここであたらしい世界を見る。
「ジャズバンド部に入ったんです。ジャズのことを何も知らなくて、エレキベースを弾くつもりで入部したのですが “ベースの人はこれを弾くんだよ” と出されたのがウッドベースで。最初は戸惑いました。大きくて運ぶのは大変だし、弾くと指が痛いし…」
そんなスタートだったが、アコースティック・ベースの感覚を少しずつ掴めてくると「音の鳴りも魅力的だし、いい楽器だな」と思えてきた。加えて、ジャズバンド部の雰囲気や顧問教師の存在感も心地よかった。
「他の部活と比べると、ちょっと特殊な雰囲気というか…アングラなムードが漂っていて(笑)。そういう環境に身を置くと、どんどん生活の中の “音楽が占める割合” や “音楽の存在” が大きくなっていきました。まるで、休みもなくひたすら練習に打ち込む運動部みたいな感じで没頭していました。やがて進路について考える時が来たのですが、とにかく “この状態をやめたくない” と思いました」
小曽根真に導かれて…
そこで考えたのが音楽大学への進学である。それまでは一般の大学も候補にあったが「もっと弾いていたい」という気持ちが勝った。縁あって国立音楽大学のオープンキャンパスに誘われ、ここで運命の岐路に立つ。
「いろんな学校から生徒が集まって、先生方のクリニックを受けました。その先生の中にピアニストの小曽根真さんがいらして、私の演奏も見てもらいました。そうしたら、その日の夜にSNSを通じて小曽根さんからメッセージを頂いたんです」
あまりの信じられない出来事に、彼女は思わず “本当にあの小曽根さんですか?”と返してしまったほど。小曽根真は石川紅奈という原石に可能性をみた。同様に彼女も、あたらしい道が拓ける気がした。が、これを進むべきか否か…。そのとき不意に、ある言葉が浮かんだ。
「高校のジャズバンド部の顧問の先生が好きな言葉。『その時々で出会った人に導かれながら進んでいく人生も良いものだよ』って。その言葉が頭に浮かびました。小曽根さんからメッセージを頂いて “あ、これがそうかもしれない” と感じたんです」
彼女がいまも敬愛しているという “高校の顧問の先生” は、この事態にさぞ驚いたことだろう。なにしろ教え子があの小曽根真の目にとまったのだから。
「私自身も驚きましたけど、顧問の先生もびっくりしていましたね。後日、小曽根さんと先生と私の3人で会う機会がありましたが、先生は普通にファン目線で、本物の小曽根真さんだ…!! と、隣で静かに盛り上がっていました(笑)」
世界的ベーシストの演奏に驚愕
かくして彼女は国立音楽大学のジャズ専修へと進み、自らが望んだ “音楽に没頭する毎日” を過ごす。高校時代はただ楽しく演奏していたが、大学では「より深く具体的に “演奏に対する考え方” や “どんな演奏をするのか” が問われた」という。そんななかショッキングな出来事が。
「ある日、小曽根さんが外国人のベーシストを大学に連れてきたんです。彼は世界的に有名なミュージシャン、クリスチャン・マクブライドでした。そのプレイを見て、驚いたと同時に “私はこうはなれない” と思いました。あきらめにも似た心境です。でもネガティブな意味ではなくて、当たり前であるはずなのになぜか考えていなかった “身体、手や指の大きさは日本人女性の私とはまるで違う” ということ。ならば自分なりにこの楽器の鳴らし方を探さないと、と思ったんです」
圧倒的な違いを目の当たりにしてショックを受けた。が、これは彼女の個性がひらく動力にもなった。
「そもそも “自分の音ってなんだろう?” って改めて考えさせられました。同時に “女性ベーシストとして” という事についても前向きに捉えられるようになりました。男性に負けないようにがんばろう、みたいになりがちですが『そもそも、そういう問題なのか?』とか。私にできることって何だろう? と、自分に向き合うきっかけになったと思います」
今回のデビューアルバム『Kurena』で彼女は、悠々とベースを弾き、朗々と歌唱し、作詞、作曲、編曲においても才覚を見せている。自身の “できること”を洞察し、磨き続けた結果がここにある。ちなみに「歌う女性ベーシスト」はジャズ界ではきわめて稀な存在。そのスタイルを獲得する過程にはこんなエピソードがある。
「ジャズを演奏する上で、たくさんのスタンダード曲を知っておく必要があります。大学時代、この膨大な数のスタンダードを覚えるのに私はすごく苦労していて、覚え方のコツをサックス奏者の池田篤先生に相談したんです。すると先生は “メロディを歌いながらベースを弾いてみるといいよ” とアドバイスをくださって。なるほど! と思って続けてみました」
幼いときから歌うことが大好きだった彼女は、この練習が楽しかった。
「はじめは先生の言うとおりにメロディを口ずさんでいたのですが、だんだん楽しくなってきて、ちゃんと歌詞も歌いたくなった。それで、いつのまにか歌詞もしっかり歌いながらベースを弾くことが自分の中で馴染んできて、卒業後には小さなライブハウスでアンコールの最後にちょっと歌ってみたりしていました」
ソロ・パフォーマンスに絶賛メッセージ続々
やがて彼女は「人前で歌うなら、ちゃんと学んでみよう」と思いたち、本格的にレッスンも開始。こうして少しずつ自分のスタイルが固まってゆく。ここでも “出会った人の導き” によってうまく軌道をつくり、進んでいったわけだ。大学時代の学びで最も印象的だったのは? と訊ねると、彼女はこう答える。
「アンサンブルの授業が好きでしたね。各楽器が集まってセッションしてアンサンブルについて考える。他の楽器の人から見た自分を知ることができるし、ベーシストに何を求めるのか? も見えてきてすごく有意義でした。もちろん、単純に “みんなで演奏してアンサンブルを実感するのが楽しかった” っていう部分も大きいですけどね」
ところが最近、彼女は “たった1人のアンサンブル” で注目を集めた。東京・丸の内にあるライブレストラン「コットンクラブ」での弾き語りだ。このステージで彼女はマイケル・ジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」を独演。YouTubeに公開された動画はすでに160万回以上も再生されており、絶賛のコメントが英語を中心にさまざまな言語で書き込まれている。
今回のデビューアルバムにも「オフ・ザ・ウォール」は収録されており、やはりソロ演奏。彼女の独演はまさに “Off The wall(型破り)” であり、前向きで威を張った歌詞が、まるで虚勢にも聞こえてきたり、自問自答にも見えたり。あるいはそこに “マイケルの孤独” を見る者まで現れそうで面白い。
同じくカバー曲で、スティービー・ワンダーの「バード・オブ・ビューティー」と、チック・コリア作の「500 マイルズ・ハイ」も収録。これらの名曲にも、彼女は大胆かつ粋なアレンジを施す。
「〈500 マイルズ・ハイ〉のアレンジは、3拍子という大枠だけ作っておいて、レコーディング現場で小曽根さんやドラムの小田桐さんに頂いたアイディアを反映させながら作っていきました。今回の収録曲の中ではいちばん“セッション的”に作り上げていった曲ですね。この曲の詞もいろんな解釈ができますが “どこにでも行ける自由さ” みたいなものを感じる曲です。そういう詞の世界観とサウンドの存在感を、アレンジでうまくリンクさせることができたと思います」
一方、自作曲にも抜かりはない。アルバムのオープニングを飾る「シー・ワスプ」。そして「オレア」と「No One Knows」の計3曲を収め、全ての楽曲で歌唱も披露。演奏メンバーたち(※)も頼もしく、本作のプロデューサーを務める小曽根真はピアノでも参加している。
※ 石川紅奈(Bass, Vocals)/大林武司(Piano, Fender Rhodes)/小曽根真(Piano, Fender Rhodes)/Taka Nawashiro(Guitar)/小田桐和寛(Drums)/Kan(Percussion)
“ありのまま” の自分を提示
ちなみに先述のカバー曲「500 マイルズ・ハイ」は、チック・コリア率いるリターン・トゥ・フォーエバーが1973年に発表した曲で、ブラジル出身のシンガー、フローラ・プリムがボーカルを執っている。石川のアルバムで同曲は2曲目に配置されているのだが、なぜか1曲目の自作曲「シー・ワスプ」からすでに “フローラ・プリム感” が匂い立つ。そのことを指摘すると、存外に彼女は喜んだ。
「大好きなシンガーで、彼女の作品には強く影響を受けていると思います。この曲〈シー・ワスプ〉を作ったときは全く意識しませんでしたが、意図せずフローラ・プリムっぽい雰囲気が曲に宿って、しかもそう感じてもらえたのはすごく嬉しいです」
彼女の作曲には、ほのかにブラジル音楽へのシンパシーも見てとれる。軽やかで自由に心地よく浮遊する旋律と、ときに獰猛にドライブする演者たちのインタープレイ。その取り合わせも「シー・ワスプ」の妙味のひとつで、まさに曲名(Sea Wasp/海の蜂=猛毒クラゲの俗称)を体現している。さらに、エンディングに配された自作曲「No One Knows」も心をざわつかせる。映画『海辺の彼女たち』(2020年/藤元明緒 監督)をモチーフにしたという同曲はシリアスで重く、癒えようもない凍てついた心が描かれている。こうしたレンジの広さも本作の身上だ。
作詞作曲とアレンジの能力。ベース奏者としての魅力。シンガーとしての個性。それらを携えて、彼女はこんな未来を思い描いている。
「遊園地のアトラクション。あれって5分程度のものですけど、一瞬にして別の世界に連れて行ってくれますよね。自分の音楽やパフォーマンスで、聴いた人がいろんな世界に行けるようなものを作っていきたいです」
彼女はすでにその魔法を身につけている。が、冒頭でも書いたとおり、記者の目の前でインタビューに答える石川紅奈は拍子抜けするほど普通の人。やさしく、ゆったりとした語りが心地よい。彼女自身が柔らかい空気に包まれているようだ。と、最後にそんな感想を告げたところ、彼女は「ジャズ・ミュージシャンっぽくないですよね。そこも自分の持ち味だと思っています」と、はにかみながら微笑んだ。
取材・文/楠元伸哉
写真/Yuji Watanabe