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日本の伝統芸能として知られる能。室町時代に成立して650年以上を経た古典芸能であるが、現在でも盛んに「新作」が制作されている。今年3月に上演された「或能川(あるのがわ)」もそんな新作能のひとつ。
聖書の「受胎告知」を題材にした本作は、神戸芸術工科大学「間(あわい)のデザイン研究所」と、観世流能楽師の上野雄三が共同で手がけ、人間国宝の大槻文藏が監修。総勢28名の能楽師の協働により上演が実現した。台本を執筆したのは同大学で教授を務め、同研究所を主宰した画家の寺門孝之である。
寺門が今回の経緯を語る。
「そもそもの始まりは、もう10年以上前のことです。多くの天使画を描いてきた自分が、天使にまつわる論文を起草している時期に、“天使”を日本で何かに置き換えるとしたら何だろう? と考えたことがあって。受胎告知画で大天使とマリアを隔てる柱の存在、能舞台における柱の存在、どちらもこの世とあの世の境界を示す性質があることに気づいて、お能に注目し始めました。ついには新作能を創作してみたいという気持ちが抑えられなくなってしまったわけです」
「それで長年お世話になっている美術画廊ギャルリ・ムスタシュを介して、能楽師の上野雄三さん(※1)にお会いする機会を得て、このプロジェクトが始動しました。また僕の勤務先の神戸芸術工科大学はいち早くこの企画に研究的意義を見出し、間(あわい)のデザイン研究所を設立し、上演に至るまでの全てのプロセスを支えてくれました。ちなみに、このアイディアの原点はキリスト教そのものというよりはマリア信仰で、それが強く打ち出されるのが15世紀のイタリアなんです。ちょうどその時期に、日本では観阿弥や世阿弥、金春禅竹らが活躍をして、今ある能の型の土台ができていった。その共時性みたいなものも面白いと思って」(寺門)
※1:上野雄三(うえの ゆうぞう)/能楽師。シテ方観世流準職分。1956年生まれ。野村幻雪(四郎改)に師事。重要無形文化財総合指定保持者。上野松颯会定期能主催、正陽会を兄・朝義と共に主宰。
伝統芸能に内在する “異邦の成分”
受胎告知は新約聖書に記された一場面。大天使ガブリエルが少女マリアに、神の子を懐妊したことを告げるシーンである。絵画のモチーフとしても盛んに描かれてきたこの題材をもとに、新作能「或能川」はつくられた。題名は、イタリア中部を流れる河川、アルノ川にちなんでいる。公演日の3月25日もカソリックで「受胎告知の日」とされる日付けにちなんだ。
本作が上演されたのは、湊川神社(兵庫県神戸市)内の「神能殿」。湊川神社の御祭神は、観阿弥・世阿弥との関係も深い楠木正成公であり、同社境内にある神能殿は関西屈指の能楽堂として知られる。そんな「伝統」を墨守する能の世界に、キリスト教を持ち込むことは困難も多かったのではないか。
「意外にも、僕の提案はほとんど抵抗なく受け入れられました。お能の柔軟性というか寛容さって、すごいなと思いましたよ。そもそも “能の元祖”ともいわれている秦河勝(※2)の出自を調べても分かる通り、異なる文化の成分が含まれた伝統芸能なんですね。もちろん、長い時間をかけて日本で育まれたものではありますが、そこにはグローバルとは言わないまでも、西アジアのものが混じり合っていて、キリスト教の原点のような “西洋”を感じさせるものも含まれている」(寺門)
※2:秦河勝(はたの かわかつ)/生没年不詳。6世紀末から7世紀前半にかけて活躍した厩戸皇子(聖徳太子)の側近として伝えられる。山城国葛野郡に本拠を置く渡来系豪族、秦氏の族長的な人物。猿楽(能楽)の始祖とも伝承され、金春禅竹(こんぱるぜんちく)の著『明宿集』には、聖徳太子が河勝に命じて天下太平のために翁の舞を演じさせたのが猿楽のおこりであると述べられている。
そんな “西洋”的な要素とのオーバーラップは今回、随所に垣間見られた。高瀬瑶子(※3)によるダンス・パフォーマンスや、青葉市子(※4)による巫女的な歌唱が繰り広げられ、クライマックスでは三宅純がフリューゲルホーンで能楽師たちと即興で対峙する瞬間もあった。
※3:高瀬瑶子(たかせ ようこ)/幼少よりモダンバレエを始め、16歳よりクラシックバレエを学ぶ。出産を経て進化/退化する身体との対話を重ね、”骨で動ける身体”をテーマにダンサーとして活動中。三宅純:原案、白井晃:演出による舞台「Lost Memory Theatre」に出演の他、近年では能や演劇、光など他ジャンルとの協働により生まれる表現も探求している。
※4:青葉市子(あおば いちこ)/音楽家。2010年にファーストアルバム『剃刀乙女』を発表。最新作は『アダンの風』。映画『こちらあみ子』では劇中音楽と主題歌を担当し、 第77回毎日映画コンクールにおいて音楽賞を受賞。ラジオDJやナレーション、CM・映画音楽制作、芸術祭でのパフォーマンス等、様々なフィールドで活動中。
「当初から三宅さんには音楽全体を監修して頂きたいと考えていたのですが、三宅さんご本人とお能とのコラボレーションが、どういう形でできるだろうか? ということを、ずいぶん悩みました。最終的には、三宅さんに即興で絡んでもらいたい、と思ったのですが、そのことを三宅さんに打ち明けないまま、プロジェクトは進んでいきました」(寺門)
じつは三宅自身も「即興で絡んでみてはどうだろう」と考えてはいたが、寺門と同様の逡巡があったという。その本心を三宅純が語る。
「最終的には僕が寺門さんに『即興で演奏してみたらどうだろう?』という提案をしましたが、その提案がどういう結果に結びつくかは、やってみないとわからない。だから事前に “三宅がこういうことをやる” というアナウンスはしないでほしい、ということで進めてもらいました」(三宅)
結果、公演当日その瞬間まで何が起きるのかわからない、という状況が生まれた。ただし寺門にとっては、決めあぐねていた案件に方向性が示唆されたことで、一気に前に進んだ。
「そこからはすごいスピードで進んで行きました。それで、本番の3か月前くらいの時期に三宅さんに通しの稽古を見ていただいて、そこで “さらにこんなことができるのではないか?”という提案も頂いて。
じつはその際に三宅さんは楽器を持って来てくださっていて、稽古中にまさにぶっつけ本番で音をお囃子に重ねたんです。それは本番同様、非常にスリリングな現場でした。お能の先生方も、お囃子と三宅さんの演奏とのマッチングにびっくりされて、 “ぜひ本番でも一緒にやりたい” という反応でした。お能の側と三宅さんの掛け合いを間近で見ていて、全身全霊ヒリヒリするような体験でした。ここでも驚くべきは、お能の方々の柔軟性です」(寺門)
そこは三宅純自身も新鮮な驚きと発見があったという。三宅が語る。
能における「音」のあり方
「能楽には地謡(じうたい)以外に4人の囃子方(はやしかた)がいらっしゃるのですが、普段どのように稽古をされるのか質問したところ、それぞれ個人練習で合同練習はしない、と。したがって、4人一緒になるのは本番もしくは通し稽古だけなんだそうです。本番でも、個々のバイオリズムがずれていくことによって間合いが同期したり、しなかったり。そういう感じらしいんですね。
つまり、こちらだけでなく向こうもセッションなんだな、という印象を受けました。囃子方の音はそれぞれ本当に魅力的でした。なかでも大鼓(おおつづみ)の一発入魂な感じの音は好きですね。たまにフェイントみたいなタイミングと音色で入ってくることもあって、そこも面白い」(三宅)。
こうして、能楽特有の “セッション感”をつかんだ三宅だったが、当日演奏するかどうかに関しては留保し続けた。
「僕にとっては、まず先方が快く受け入れてくれることが第一だったので、上野先生や大槻先生の承諾を頂いて、ひと安心ではありました。が、それでも僕は寺門さんに『当日、果たして吹く必然性があるかどうか、その瞬間の判断とさせて欲しい』と伝えていました」(三宅)
そして、いざその局面になったとき、三宅は「吹く」という判断をした。新作能「或能川」は、〈眠る画僧〉〈絵伝–楽園追放〉〈受胎告知〉という三部で構成され、三宅純の演奏を想定していたのは本作のクライマックスとも言える〈受胎告知〉のパート。ここで三宅はフリューゲルホーンに息を吹き込んだ。
そのときの様子を寺門がふり返る。
「これ以上の幸せは無い、至福の時でした。全てがピタッとはまり、受胎告知後のマリアの運命、心情が音霊となって押し寄せる感じで。お客様方にもそれはダイレクトに伝わったようで、あとで頂いた感想には『あまりにもその場にふさわしい音が、どこからともなく響いて来たので、幻聴かと思った』など、その場面への称賛を多数いただきました。実際にその場面で、泣いてらっしゃる方も多かったようです。三宅さんとは、演出的な意図も含めて、もし吹くとしたら舞台上ではなく観客の視界の外、能楽師と対峙する客席の後部からいきなり吹き始めようと、相談していました」
さらに寺門はこう続ける。
「僕としては、三宅さんの演奏が出ないかも…ということも想定しつつ、それでも舞台が成立する確信はあったのですが、三宅さんの即興演奏が加わることで受胎告知の奇跡が、見事に現実化され、感謝しています。とはいえ、最後の最後までスリリングでしたね。三宅さんとお能の方々の相性も抜群に良かった。本当にジャズミュージシャン同士という感じがして。実際に、お囃子の方々も楽しそうにやってくださって『ぜひ、またやりたい』とおっしゃっていました」
人間国宝の才気と凄み
加えて、先述の青葉市子の存在も「或能川」における重要なファクターだったという。
「青葉市子さんが醸しだす世界観もすごく重要でした。当初から三宅さんと同様、青葉さんにも参加していただきたいという気持ちがあって、三宅さんの楽曲を歌って頂きたいと考えていました。スケジュール的にも大変な状況の中で本当に無理をお願いしてしまったのですけど、青葉さんのギターと声が無ければ、能舞台と見所(けんしょ/けんじょ=観客席)とがあのように一体となることはなかったでしょう。参加が叶って本当に良かったです」(寺門)
そうした歌唱やダンスは、演目上「プレパフォーマンス」「エンディングパフォーマンス」として組み込まれており、能舞台の外で行われている。一方、舞台上で行われる能は、キリスト教を題材にしているとはいえ、伝統的な能の視感そのままである。
「台本は新しいものですけど、あくまでも古典的なお能のスタイルで見せています。装束(=衣装)も特別なことはせず、面(おもて)も既存のものを使っている。僕は今回、美術やビジュアル面でこの舞台を目新しいものとするつもりはなくて、この台本を能楽師の方々に古典的な手法に則って上演してもらう。そこが重要でした」(寺門)
監修を務めた人間国宝の大槻文藏(※5)も、寺門の意図を十分に理解していた。台本を書いた寺門は、監修者としての大槻の手腕に何度も驚かされたという。
※5:大槻文藏(おおつき ぶんぞう)/シテ方観世流能楽師。1942年生まれ。1947年に「鞍馬天狗」花見で初舞台。以降、多くの復曲能、新作能に携わる。2002年、紫綬褒章受章。2016年には重要無形文化財保持者(各個認定/人間国宝)に認定。
「具体的な事例を挙げると、たとえば “手桶で汲んだ水を扱う場面” がある。これに対して大槻先生が『その水は、礼拝のための特別な水なのですか?』と僕に尋ねられました。僕は『違います。それは単なる川の水であって、聖的な意味は持ちません』と答えた。すると先生は『そうであるなら、前後の動きを変える必要がある。そのことを皆さんに伝えた方がいい』と。そんな感じで、いくつかの場面を、しかも台本の本質に関わる重要な部分をピンポイントで的確に指導してくださった」(寺門)
しかしながら、今回の舞台は湊川神社内の能楽堂。ここで行われる能は「神に奉納する神事」という性質も備えているわけだが、神道とキリスト教の異和は問題にならなかったのか。
「確かに、神能殿は宗教施設でもあるので、お許しが得られないのではと想像もしつつお願いに上がったのですが、ご許可いただいただけでなく、その後の準備期間、本番に至るまできめ細やかにサポートくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。お能の伝統と将来について深いご思慮あってのことなのだと感じます。お能に携わる方々は今回のテーマに対して寛容というか、むしろシンパシーを抱いている方々も多くいらっしゃるという印象も受けました。そこは先ほども話した通り、秦河勝の出自ともつながる “お能のルーツにあるもの” と深く関係しているように思います」(寺門)
そうした “異例なこと” は、終演後の舞台でも起きた。すべてを終えた能楽師たちおよそ30名が舞台上に並び、まるでカーテンコールのような時間が設けられたのだ。能の世界ではきわめて異例なことだという。そこで能楽師全員が紹介され、最後に監修者の大槻文藏がこんな言葉で締める。
「能には古くから、中国やインドの作品がありますが、近年、キリスト教を素材にしたものがいくつか出来上がっております。今回(新作能『或能川』)は、特に画期的な手法が取り入れられ、今後の新作能の在り方を示唆するような、大変に有意義な催しでありました」
実際に大槻文藏はこの公演を高く評価し、再演とさらなる発展をも示唆したという。寺門が語る。
「今回、全体の監修をされた大槻先生ご自身も大いに満足してくださったようです。三宅さんとのコラボレーションに対してもすごく喜んでくださって、“次は教会のパイプオルガンも使ってやってみたい” というご提案もいただきました」(寺門)
インタビューの最後に寺門孝之は「いつか、東京公演やイタリア公演もやってみたいですね」と展望を添えた。その際には、能楽堂という枠の外も想定しながら、また新たな見せ方が提示されるのかもしれない。