投稿日 : 2023.07.25

【証言で綴る日本のジャズ】安倍寧|シャンソンもタンゴもハワイアンも「ジャズ」だった─ 戦後ショウビジネスの新たな幕開け


戦中に名を変えて活動した “ジャズ” バンド

──いろんな音楽がありますが、安倍さんの中ではジャズが興味のメインだったんですか?

そうです。とくにラジオを通してのジャズがぼくの感性の中では大きなスペースを占めるというか。

──NHKやWVTRではさまざまな音楽が流れていました。当時はジャズの番組が多かったんですか?

ジャズが圧倒的に多かったでしょう。進駐軍の影響があったし。指導というか、コントロールされていたと思います。

──当時のアメリカでジャズはどのようなポジションにあったんでしょう?

兵隊に取られるひとが都市部のひととは限らない。大雑把にいうと都会の選ばれたひとは将校になっちゃう。ニューヨーク、サンフランシスコ、ロス、シカゴあたりのひとは。それで、聴いている音楽がいわゆるダンス・ミュージック。それこそベニー・グッドマンやハリー・ジェームス(tp)、トミー・ドーシー(tb)、そういうひとたちのビッグバンドを聴いていたわけで。

だけど、全アメリカ国土の中で大半のひとはカントリー&ウエスタンですよね。地方出身者が兵隊に取られて、いわゆるGIたちを慰労するためにカントリー・ミュージックがクローズアップされて。そういうカントリー音楽の楽団が慰問グループとしてヨーロッパにも行ったし、日本にもやって来たわけです。

それで初めてわれわれもカントリー&ウエスタンという音楽を知ったんです。日本にそれまでカントリーはなかったの。ハワイアンはあったけれど。ちょっと面白い資料をお見せしますね。これは極めて貴重な資料(コンサートのプログラム)です。

カルア・カマアイナス公演パンフ

今日、初めて第三者にお見せするものです。戦争中のハワイアン・バンド。これ南海楽友(注5)っていうグループ。これは雪村いづみの妹の朝比奈愛子さんから預かったというかもらったというか。この写真、昭和17年の6月のものです。

注5:戦前の日本を代表するハワイアン・バンド、カルア・カマアイナスが戦時中に名乗ったバンド名。昭和15年(1940年)に結成され、18年に解散。中核メンバーは、朝吹英一(創始者、リーダー、スティール・ギター、父親は帝国生命保険、三越の社長。祖父は三井財閥の幹部を経て財界の大物となった人物)、原田敬策(ウクレレ、貴族院議員原田熊雄の長男)、朝比奈愛三(雪村いづみの父親、朝吹と同期で慶応義塾大学経済学部卒)、芝小路豊和(芸名=芝幸二、男爵家の長男)、東郷安正(ベース、貴族院男爵議員東郷安の長男)。

──この時代にやっていいんですか?

ギリギリやってよかったんです。戦争は始まっているわけですから、英語は使われていない。南海楽友になっている。「日比谷公会堂」でのコンサートです。

これが(といって写真の人物を指さす)雪村いづみの父親(朝比奈愛三)。バンマスは三井財閥創設者の直系(朝吹英一)だし、メンバーはみんなそれなりのひとたち。

──そういう家のひとじゃないと洋楽なんてできなかったんでしょうね。

簡単にいえば、金持ちや華族のボンボンなんかです。

朝比奈愛三(写真左)、朝吹英一(右上)

──それこそ慶應の大学生とか。とても戦時中とは思えない、贅沢そうなコンサートですね。聴衆の身なりもいいし。

それの典型が日本テレビの『光子の窓』(注6)とかをやった井原高忠という有名なプロデューサー/ディレクター。井原さんの家は井原男爵だよね。それからビクター、あとはポリドールの常務まで行った、社長はやらなかったと思うけれど、鳥尾敬孝(あつたか)というひと。通称があっちゃん。このひともハワイアンからカントリーに行ったのかな? やっぱり子爵の息子。

注6:『花椿ショウ・光子の窓』は日本テレビほかで放送されていた音楽ヴァラエティ。女優・草笛光子の冠番組で、資生堂一社の提供。放送時間は毎週日曜18時30分からの30分。放送期間は58年5月11日 – 60年12月25日。

鳥尾敬孝のお母さん(鳥尾鶴代)はアメリカ軍高官と日本政府上層部との間を繋ぐ役割を果たしたひとです。通称「鳥尾夫人」といって有名なひと。三島由紀夫が芝居の主人公にしているし。鳥尾夫人は銀座でバーをやっていました。それで息子を育てて。

典型が鳥尾子爵や井原男爵の息子で、彼らがなにをやっていたかといえば、ハワイアンを少しかじってた。自分はやらなくても家に楽器があった。ウクレレ、ギター、場合によっちゃスティール・ギターもあった。戦後、このひとたちがカントリーに転じるんです。楽器編成は同じですから。

戦前の日本にカントリーはなかった。われわれはカントリーは知らなかったということなんです。なのに、戦後のヒット・パレードにはカントリーそのものではないけれど、カントリーっぽいものがいっぱいありました。ハワイアンよりはカントリーのほうが受けた。圧倒的に音楽マーケットのシェアを占めていました。

つまり、昭和20年代、1945年以降のヒット・パレードにはカントリー系の音楽が出てくる。典型的な曲が〈テネシー・ワルツ〉ですから。ぼくなんかがWVTRを聴いていると、毎週のヒット・パレードに〈テネシー・ワルツ〉が出てくる。ほかには〈ジャンバラヤ〉〈ユー・チーティン・ハート〉(どちらもカントリー・シンガー、ハンク・ウィリアムスのヒット曲)とかね。

そういうカントリーや、カントリーそのものではないけれどもカントリーあるいはヒルビリーを継承した音楽がヒット・パレードにどんどん出てくる。だからぼくたちは「ジャズ」といっても、つまり〈テネシー・ワルツ〉を聴いていたんだよね。のちに、63年ですが、〈テネシー・ワルツ〉を流行らせたパティ・ペイジ(vo)が初来日したとき、インタヴューして『週刊朝日』に記事を書いています。

進駐軍 “将校クラブ” の雰囲気

──あのころ、ジャズは洋楽全般を指していました。

日本ではシャンソンもタンゴも「ジャズ」だったから。ハワイアンは当然ジャズですよ。

──そういう音楽すべてをジャズと呼んでいたのが日本のポピュラー・ミュージックの黎明期。安倍さんもそういう音楽に夢中になって。

おっしゃる通りです。ですから、ヒット・パレードに出てくる〈テネシー・ワルツ〉みたいなものをジャズと捉えていました。彼らの父親たちがハワイアンをやっていたから、家にベースやギターがある。それで手っ取り早く進駐軍に行って。演奏できる場もあった。だからそういうものも含めてジャズになっちゃった。端的にいうなら、ハワイアンをやっていたひとたちがカントリー&ウエスタンに行き、それが戦後のショウ・ビジネスを作ったということです。

──その中から本格的にジャズをやるひとが出てきた。

並行して出てきたんです。それも学生でした。渡辺晋(b)、中村八大(p)、みんな大学生ですから。

──学生のいいアルバイトだった。

そういうことです。

──かたや日本のミュージシャンがいて、一方でアメリカからジーン・クルーパのようなひとが来て。ジーン・クルーパは日本で相当な話題になった。

なりました。ぼくたちは入れなかったけれど、「アーニー・パイル劇場」(注7)に慰問の使節がアメリカから来ていた。湯川れい子さんなんかは入って観てたっていうけど。観たかったなぁと思うのはベティ・ハットン。『アニーよ銃をとれ』の主役を映画でやった彼女なんかも来ているんですよ。

注7:「東京宝塚劇場」のこと。45年から55年までGHQに接収され、駐留兵士の慰問用施設として利用された。日本人観客は立入禁止。アーニー・パイルは45年に沖縄の戦闘で殉職した従軍記者の名前。

東京宝塚劇場
戦前の東京宝塚劇場

実際、ぼくも進駐軍のクラブでどういう風に演奏されているのかを観たことがあるんです。「日劇」に出入りしていた同じころにペギー葉山と知り合いになったの。そのときのペギーは渡辺弘とスターダスターズの専属歌手でした。大雑把にいうと、渡辺弘とスターダスターズの最初の専属歌手は石井好子、次がナンシー梅木、でペギー葉山になる。

彼女を指導したのがティーブ釜萢(かまやつ)。かまやつひろしのお父さん。ティーブはアメリカ生まれで。ぼくがペギーと知り合ったころは、男性専属歌手がティーブ釜萢で女性がペギー葉山。その顔ぶれで新橋の「第一ホテル」に出ていました。

あそこは将校のクラブだったのでハイクラス。ペギーが楽屋の横っちょから覗かせてくれたの。正面にフル・バンドが並んでいて、フロアのうしろに丸テーブルが用意されている。そこでディナーをとるわけ。そして食事の間、あるいは食事が終わったあとに軽くダンスをする。ディナーとダンスはワンセットということが、その光景を見てわかったわけです。

江利チエミがこういってるんだよね。「わたしはオフィサーズ・クラブ(将校用クラブ)は大っ嫌い」と。将校夫人がみんな澄ましていたからです。占領している日本に、将校はみんな奥さん連れで進駐してきていた。夜はいまお話したように、夫人同伴でフル・コースのディナーです。チエミいわく、「みんな気取っている」。

昭和20年、戦争が終わったとたん、日本にやって来た夫人たちはみんな肩を出した格好をしているんですから。腕は丸出し、それでロング・グラブ(長手袋)をはめている。拍手も手をパチパチやらないっていうんです。気取ってテーブルを軽く叩くんだって。「芸人が軽蔑されている気がして、とっても嫌だった」と。「そこへいくと、EMクラブ、兵隊のクラブは陽気で開放的で楽しかった」といってました。

次のページ>> “ジャズコン” ブームの実情

1 2 3 4 5

その他の連載・特集