ARBAN

クリスチャン・マクブライドとアップライト・ベース【名手たちの楽器 vol.5】

クリスチャン・マクブライド

その姿は “巨大なバイオリン” とでも言うべきか。アップライト・ベースは、ひとりで持ち運べるものとしては最大級の楽器だろう。

英語圏での呼び名は、アップライト・ベースのほかコントラベースやダブル・ベース、ストリング・ベース、ベース・フィドル、アコースティック・ベースなどさまざまだが、本稿ではジャズで多く使われる「アップライト」としておこう。

この楽器の原型は15世紀後半から16世紀前半のヨーロッパで生まれ、18世紀に広く普及していった。19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカで生まれたジャズにおいても、アップライトはアンサンブルの最低音部を受け持つ楽器として、初期から使用されていたようだ。

米ニューオリンズのジャズバンド。1910年頃の写真。現在のジャズベースはスラップ(弦を指ではじいて弾く)奏法が主流だが、当時は弓で弾いていた

以来、多様なジャズの様式に対応しながらアップライトは存立し続けていた。ところが1950年代に入ると、アップライトの緩やかな衰勢が始まる。前回のロベン・フォードの記事でも触れたレオ・フェンダーが、ギターと同じような奏法で弾けるエレクトリック・ベースを発売したのだ。

コンパクトで壊れにくくツアーでの持ち運びも便利なエレクトリック・ベースは急速に普及し、1960年代末頃からジャズ界でも実用が増加。とりわけマイルス・デイヴィスやその門下生をはじめ、新しいサウンドの追求に余念のないトップ・ミュージシャンたちが盛んにこれを採り入れた。

ベーシストになる運命

1972年生まれのクリスチャン・マクブライも最初に手にしたのはエレクトリック・ベースだった。が、アコースティックであれエレクトリックであれ、そもそも自分は生来「ベースという楽器に縁があった」と彼は言う。

僕の父親(リー・スミス)と大叔父(ハワード・クーパー)がベース・プレイヤーだったから、自分も早い時期からベースに興味を持っていた。トロンボーンが少し気になっていた時期もあったけれど、その興味も長続きしなかったね。つまり、僕とベースの関係は音楽的なものだけじゃなく、家族的なものでもあるんだ

そんな彼が “天才ベーシスト” と評判になったのは、まだ10代半ばであった。当初はエレクトリック・ベースを弾いていたが、すぐにアップライトの演奏も会得し、一気に表現の幅を拡げていった。その才能の開花を促したのも親族である。

根っからのアップライト・プレイヤーだった大叔父は、僕がアップライトを始めたと知ったら大喜びでね。僕を自宅に呼んで、アップライト・プレイヤーが演奏しているレコードを片っ端から聴かせてくれたんだ

大叔父が聴かせてくれたのは、レイ・ブラウンやポール・チェンバース、パーシー・ヒース、チャールズ・ミンガス、オスカー・ペティフォード、ジミー・ブラントン、チャーリー・ヘイデン、ロン・カーター…。とにかくいろんな奏者のプレイを聴いた。大叔父の家で過ごしたその1日で、僕の人生は大きく変わったよ

アップライトが上手くなりたい

その後、彼がさらなる飛躍を遂げたのは、ジュリアード音楽院に在学中の1989年だった。当時17歳の彼は、サックス奏者のボビー・ワトソンにスカウトされツアーに参加。これが本格的なプロデビューとなる。

プロとしての活動を開始した当初は、結婚式などのプライベートなパーティでも盛んに演奏を繰り広げた。そうした現場ではもっぱらエレクトリックを使っていたが、重要な仕事の現場ではつとめてアップライトを弾いたという。

初めてクラブで演奏する仕事は…フィラデルフィアのチェスナット・キャバレーという店だった。スペシャル・ゲストにボブ・ミンツァーを迎えた公演でアップライトを使ったね

その頃にはアップライトのほうに注力するようになっていて、プライベート・レッスンを受けたり、オーケストラでクラシックを演奏したり。とにかくアップライトが上手くなりたくて、できる限りのことをした

実際に “上手く” なっていく彼を、プロ連中も見逃さなかった。

そうこうするうちに、ニューヨークでウィントン・マルサリスやボビー・ワトソン、テレンス・ブランチャード、マックス・ローチ、ビリー・テイラーといった人たちと知り合うようになったんだ

一流どころに重用され、華々しい舞台やレコーディングをいくつも経験しながら、22歳のときに初のリーダー作を発表。以降、現在までに19作のオリジナルアルバムを発表し、うち3作でグラミーを獲得。現在も最前線で立ち回りながら輝かしい実績を積み重ねている。

先生が “調達” してくれた楽器

そうした自身のキャリアを振り返ったとき、思い出ぶかい楽器がいくつかあるという。ひとつは16歳のときに初めて所有したアップライトだ。これは故郷のフィラデルフィア市が “楽器を必要としている学生たち” のために設けた奨学資金で購入してもらった。いわば最初の相棒だ。

その後、プロになった彼が初期の頃にメインで使用していた楽器も忘れられない1台だという。そのアップライトは、高校生の頃に就いていたベースの先生が “調達” してくれたものだった。

これ、言っちゃって良いのかわからないけれど(笑)…、そのベースの先生はフィラデルフィアのいくつかの公立学校で音楽を教えていて、その中のとある学校に、誰も使わずにほったらかしになっている備品の楽器があることを知っていた。先生はその楽器を僕のところに持ってきてくれたんだ。ただし『このベースを返すように言われた時には、返さなきゃいけない』と言ってね。結局、そのまま何も言われなかったけど(笑)」

そのアップライトはジュゼック(Jusek)という、チェコの首都プラハに拠点を置くメーカーの製品で、ジャズのプレイヤーの間でもよく知られたブランド。この楽器を、彼はニューヨークに出た時(1989年)から愛用していたが、使い始めて8年目に突然の別れが訪れる。

ツアーで航空会社に預けた際に大きな損傷を受けてしまい、修理したが元の音には戻らなかったという。そこで彼は、奨学資金で購入してもらった “最初の1台” を使用することになったが、この楽器もわずか1週間後に破損してしまう。

たった1か月の間に、自分が持っていた2台が両方とも壊れちゃったんだ。どちらもニューヨークの有名なベース職人のデイヴィッド・ゲージに預けたけれど、ダメだった…」

が、ここで事態が展開する。

修理してもらっている間に彼からすぐに僕のショップに来てくれという電話があってね。行ってみると、彼はメーカー不明で傷だらけのドイツ製のベースを見せてくれた。これが最高に素晴らしいサウンドで、以来ずっと僕の愛器になっているんだ

飛行機に乗って会いに行く “愛用ベース”

残念なことに、航空機での輸送時に楽器が損傷するのは珍しい話ではない。また、預かり荷物に関する航空会社の規制が厳しくなったこともあり、海外ツアーの多いアップライト・プレイヤーの間では、ツアー先で楽器をレンタルするのが通例となっている。クリスチャンも例外ではなく、日本公演の際に愛用しているレンタル楽器がある。しかも、いわく付きの1本だ。

この楽器のオーナーは、かつて日本のレコード会社でプロデューサーを務めていた人物。だが、元はというとレイ・ブラウン(1926-2002)の所有物だった。言わずと知れたジャズ界の巨匠である。それがなぜ日本にあるのか。

理由はまさに前述の「空輸時の破損リスク」である。レイ・ブラウンは度重なる来日公演に対応するために、日本のプロモーターにこのアップライトを預けていた。のちにこれをプロモーターが買い取り、他のベーシストも使えるようにした。その後、レイが亡くなり、現在の所有者が2年越しの交渉の末に入手したという経緯がある。

以来このアップライトは、クリスチャン・マクブライドだけでなく、ジョン・クレイトンやジョージ・ムラーツ、ピーター・ワシントン、ニッキー・パロットといった著名ベーシストが使用しており、渡辺貞夫が海外のミュージシャンを招く際にもレンタルの依頼があるという。

この楽器の裏板には、レイ・ブラウンを筆頭に名だたるベーシストたちのサインが記されている。もちろん、このベースの「愛用者」であるクリスチャン・マクブライドのサインもそこにある。まるでベーシストたちがバトンを手渡すように、このアップライトは弾き継がれてきたのだ。

そのバトンを手にしたクリスチャン・マクブライドは、レイ・ブラウンのサインに並ぶサイズで大きく自分の名を書いた。そこには、生前のレイも認めたトップランナーとしての自負、そしてこの楽器への強い愛慕が表れているようだ。

取材・文/坂本 信
撮影/藤川一輝
取材協力:ブルーノート東京

ARBANオリジナルサイトへ
モバイルバージョンを終了