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「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。
ライブ・コンピレーション・シリーズ『The Montreux Years』にドクター・ジョンのエディションが加わったのは、彼の死から丸4年が経った2023年6月だった。1986年から2012年までのモントルーのステージから選曲された計14曲によって、ニューオリンズ音楽の伝道師であった彼の音楽の魅力を存分に味わうことができる。2022年に発売されたラスト・アルバム『シングス・ハプン・ザット・ウェイ』と『The Montreux Years』から、ドクター・ジョンの音楽と人生をあらためて掘り下げる。
死後に発表された「真のラスト・アルバム」
ドクター・ジョンの生前最後のアルバムは2014年に発売された『スピリット・オブ・サッチモ』で、これはニコラス・ペイトン、テレンス・ブランチャード、アルトゥーロ・サンドヴァルら第一線で活躍するトランペッターを始め、ラッパーのマイク・ラッドや、ゴスペル・グループのブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ、さらにボニー・レイットといった大物ミュージシャンが参加した絢爛で祝祭感に満ちたコンテンポラリーR&Bアルバムであった。発表時にこれが最後のアルバムになるとは思っていなかった多くのリスナーは、この作品の音楽はドクター・ジョンの汲めども尽きぬ泉に沸いた一意匠であり、次の作品ではまた異なった表現を見せてくれるだろうと考えたのではなかったか。しかし、結果としてこれが最終作となってみて、あらためて座りの悪さのようなものを感じた人も少なくなかったように思う。
ニューオリンズの伝統音楽が祭りの音楽であると同時に葬送の音楽であることを考えれば、ニューオリンズの巨人の死に際のアルバムが祝祭的であることに何の矛盾もないが、久しぶりにヘロインを決めて気持ちを落ち着かせようと思ったら、誤ってコカインを大量に吸引してしまい、意に反して必要以上にハイになってしまったとでもいった風の、妙に溌溂とした音楽はやはりどこか不自然であった。彼の音楽の根底をなしていたいかがわしさとその裏面としての憂いの感覚が、つまり、ニューオリンズの土着のフィーリングが希薄であったことがその理由である。
だから、存在が噂されていた「真のラスト・アルバム」が発表されると聴いて期待は高まった。ミュージシャンの死後にリリースされる作品は、新たな音が加えられたり、未完成の曲を無理矢理に完成させたりして、結果的に本人の作とは言い難い出来となる場合が少なくない。しかし、その「真のラスト・アルバム」は、病を得て死を覚悟していたドクター・ジョンが一年をかけて取り組んだアルバムであり、本人の手によってすべての曲が完成していると伝え聞けば、期待はなおさらであった。
静かな達観に満ちた最後の名作
果たして、2022年に発売されたラスト・アルバム『シングス・ハプン・ザット・ウェイ』は、ポピュラー音楽界に多大な影響を与えた名音楽家の人生の掉尾を飾るにふさわしい、穏やかな滋味に満ちた素晴らしいアルバムだった。カントリー曲集であるという既報のとおり、ウィリー・ネルソン、ハンク・ウイリアムス、ジョニー・キャッシュらカントリー畑のミュージシャンの曲を中心に自作を交えた作品であったが、その手触りはカントリーというよりもドクター・ジョン流のピアノ主体のニューオリンズ音楽であり、自ら「蛙のよう」と評したダミ声には静かな安らぎが満ちて、聴く者の心を捉えた。鉛筆画で描かれたドクター・ジョンの横顔が夕焼けに浮かぶジャケットも、死者の魂が薄らいで空に溶け込んでいく様を思わせて切なく美しく、アルバムの性格をよく表現していた。
そのアルバムには、とても古い自作曲が一つ収録されていた。1968年のソロ・デビュー作『グリ・グリ』のラスト・ナンバーだった「アイ・ウォーク・オン・ギルデッド・スプリンターズ」のリメイクである。ロック・ファンには、ハンブル・パイが1971年のライブ・アルバム『パフォーマンス〜ロッキン・ザ・フィルモア』で、さらにそのハンブル・パイのスティーヴ・マリオットを生涯の師と仰ぐポール・ウェラーが1995年の『スタンリー・ロード』でカバーしたことで知られる曲だ。いずれも当時の若いロック・リスナーにドクター・ジョンの存在を知らしめたカバーである。その曲をドクター・ジョンは、ウィリー・ネルソンの息子ルーカス・ネルソンとともに再レコーディングしている。煮えたぎるガンボ鍋のような1968年の「アイ・ウォーク・オン・ギルデッド・スプリンターズ」と、レイド・バックした2022年の同曲の差が、半世紀を超えるドクター・ジョンの平らかならぬ歩みを表現しているようで、彼の音楽人生の環はきれいに閉じられたように思えた。
7ステージからセレクトされた完璧なリスト
記録を見ると、ドクター・ジョンはモントルー・ジャズ・フェスティバルに都合9回出演している。自伝『フードゥー・ムーンの下で』によれば、1973年の初めてのモントルー出演はさんざんだったらしい。演奏中、ベース・プレーヤーが何を思ったか、舞台袖に隠しておいたトロンボーンを突如吹きながら踊り始めて観客を扇動し、それまでまがりなりにもまとまっていたバンドのサウンドをめちゃくちゃにしたのである。ドクター・ジョンは「その場でクソッたれを殺してやりたいと思った」と振り返っている。殺しこそしなかったものの、彼は演奏後にそのお調子者のベーシストを即座に解雇したのだった。
最近発売された『The Montreux Years』シリーズのドクター・ジョンのエディションは、その73年と2014年を除く7ステージから全14曲がセレクトされている。冒頭の4曲が1986年のステージからの選曲であるからか、86年のステージのみを収録したアルバムであるという誤情報が現在も流布しているが、あくまで複数年のベスト・プレイを集めたライブ・コンピレーションである。この連載で以前に紹介した1995年のライブ盤からは2曲が選ばれている。シリーズの既発作品同様、異なるステージの音源をまるでひと夜の演奏のように編集しているところに制作陣のこだわりが見られ、およそ1時間20分の演奏をひと息に楽しむことできる。
曲順もまた徹底的に考え抜かれていて、ドクター・ジョンが生涯最後のステージのセット・リストを考えるとしたらまさしくこうになるに相違あるまいと思わせる理想的な流れになっている。ピアノ・ソロの「プロフェッサー・ロング・ヘア・ブギ」から始まり、2曲の弾き語りを経て、代表作『ガンボ』収録の「スタッカ・リー」、ジョニー・マーサーの「アクセンチュエート・ポジティヴ」といったよく知られた曲が続き、さらに、唯一のポップ・ヒット曲「ライト・プレイス、ロング・タイム」、ヴァン・モリソンのために書いたバラード「レイン」、ラテン曲「ゴーイング・バック・トゥ・ニューオリンズ」と名曲が畳みかけられる。「メイキン・ウーピー」はリッキー・リー・ジョーンズとのデュエットでグラミー賞を獲得したスタンダード。次の「ビッグ・チーフ」も有名なニューオリンズ・スタンダードである。終盤の「イン・ア・センチメンタル・ムード」から続くメドレーと「ラヴ・フォー・セール」によるジャズ・タイムが終われば、すかさず「カム・オン」の別名で知られるやはりニューオリンズ・スタンダード「レット・ザ・グット・タイムス・ロール」で会場の熱量はピークに達し、最後のレッドベリーの「グッド・ナイト・アイリーン」の弾き語りで「お休み」の言葉を繰り返してステージの幕が下りる。完璧なセット・リストと言っていいと思う。
この世の物事ってのはこんなもんだ
9回目の2014年の出演がドクター・ジョン最後のモントルーのステージとなった。彼が心臓発作でこの世を去ったのはその5年後である。最後のアルバム『シングス・ハプン・ザット・ウェイ』には「エンド・オブ・ザ・ライン」という曲が収録されていて、これは明らかに死を意識しての選曲だったと思われる。電車の終着駅を意味するその曲で「俺たちはみんな終着駅に向かっているんだ」と彼は歌った。オリジナルは、ボブ・ディラン、ロイ・オービソン、ジョージ・ハリソン、トム・ペティ、ジェフ・リンの5人が80年代に期間限定で結成していたユニット、トラヴェリング・ウィルベリーズによるもので、これはジョージ・ハリソンがメインでつくった曲であると言われる。思えば、5人のうち2人はすでに泉下の人となっている。
辞世の唄と言うべきこの曲を歌うドクター・ジョンの声はあくまで穏やかで、終着駅を目前にしたわが身を嘆く痛ましさはいささかも感じられない。その静かな落ち着きを支えていたのは、おそらくニューオリンズに根づいた土着宗教であるスピリチュアル・チャーチの教えだっただろう。自伝の中でドクター・ジョンは、スピリチュアル・チャーチの聖母(レヴェレント・マザー)についてこう書いていた。
レヴェレント・マザーたちは、人生のサイクルを大切にしろと教えてくれた。七年ごとに、人生は一巡する。そして、その七年を何度か巡ったあと、人はこの世界から旅立っていく。(『フードゥー・ムーンの下で』)
レヴェレント・マザーの教えを信じるならば、『シングス・ハプン・ザット・ウェイ』のレコーディング中、ドクター・ジョンは11回目の人生のサイクルの中にあった。自分の生にもはや次のサイクルはあるまい。そんな諦めに似た達観が彼にはあったのだと思う。最後の作品をつくり終え、最後のサイクルが終わりを迎えようとする77歳で彼は死んだ。「この世の物事ってのはこんなもんだ(Things happen that way)」という達意の言葉を残して。
初めて全曲を故郷ニューオリンズで録音した1992年のアルバム『ゴーイン・バック・トゥ・ニューオリンズ』のレコーディング後に彼は書いている。
私はガンボに戻ってきた。どこが終わりで、どこが始まりなのかさっぱりわからないガンボの中に。レヴェレント・マザーの言った「七」をいくつも積み上げたあと、円のようなものを描いて元のところへと帰ってきた。これまでやってきたことにも、自分の生まれた場所にも、そして自分自身にも、満足することができた。その瞬間、ニューオリンズは私にとってまさに故郷だった。(『フードゥー・ムーンの下で』)
大衆音楽のルーツたるニューオリンズ音楽の魅力を世界中の人々に伝えた巨人の魂は、今は故郷の豊饒な混沌(ガンボ)の中で安らいでいるに違いない。ファッツ・ドミノ、デイヴ・バーソロミュー、プロフェッサー・ロングヘア、ヒューイ“ピアノ”スミス、ジェイムズ・ブッカー、アート・ネヴィル、そしてルイ・アームストロングといった同郷のミュージシャンたちの魂とともに。それら先達や同僚の音楽のすべてを吸収し、ニューオリンズのガンボを一身で表現してみせた男が残した作品は、これからも世界中で聴き継がれていくに違いない。
文/二階堂 尚
〈参考文献〉『フードゥー・ムーンの下で』ドクター・ジョン/ジャック・ルメル著、森田義信訳(ブルース・インターアクションズ)
『The Montreux Yearsl』
ドクター・ジョン
■1.Professor Longhair Boogie 2. You Ain’t Such a Much 3. Sick and Tired 4. Stack-a-Lee 5. Accentuate the Positive 6. Right Place Wrong Time 7. Rain 8. Going Back to New Orleans 9. Makin’ Whoopee 10. Big Chief 11. In a Sentimental Mood / Mississippi Mud / Happy Hard Times (Medley) 12. Love for Sale 13. Let the Good Times Roll 14. Good Night Irene
■ドクター・ジョン(vo,p)ほか
■第20回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1986年7月5日ほか