ジャズのコンテンポラリーを象徴するシンガーのひとり、グレッチェン・パーラトが11月に来日公演をおこなう。今回はカルテットの編成で、メンバーはグレッチェン・パーラト(ボーカル)、デヴィッド・クック(ピアノ)、アラン・ハンプトン(ベース)、マーク・ジュリアナ(ドラムス)。たえず変容しながら連続するジャズ史の現在地で、ひときわ輝く偉才たちである。
バンドの筆頭者であるグレッチェン・パーラトは、米カリフォルニア出身のシンガー。彼女が最初に大きな注目を集めたのは2004年、国際的なジャズ・コンテストとして知られるセロニアス・モンク・コンペティション(ジャズヴォーカル部門)での優勝だった。
その翌年にファーストアルバムを発表。以降、2013年までに3作のアルバムをリリースし、それぞれ音楽誌や放送局主催のアワードを数多獲得する。なかでも『Live in NYC』(2013年)はグラミーのベスト・ジャズボーカル・アルバム賞にノミニー。さらなる脚光を浴びた。ところが、これを境に彼女は表立った活動を「休止」する。
そして、約8年にもおよぶ空白期間を経た2021年、アルバム『Flor』を発表。ファンはもちろんメディアも「彼女が帰ってきた」と歓喜し、作品を嘆賞。事実、本作もグラミー賞最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム部門にノミネートされ、彼女の活動休止はまったく “後退” ではなかったことを証明した。この活動休止期について、米音楽誌『ダウンビート』のインタビューに彼女はこう答えている。
「息子のマーリーを授かって、育児や家庭のためにできるだけ安定した環境を作りたかった」
ジャズ界の新たなヒロインとして人気が上昇するにつれ、ときに数週間にもおよぶ過酷なツアーや、創作のための多忙を余儀なくされた。そうした日々と育児を並行させるのは困難と判断し、長期のツアー出演を休止したのだ。さらに自作のレコーディングも一旦保留し、他ミュージシャンのプロジェクトに貢献することを選択。同時期には、ニューヨークにある音楽学校の教職にも就いている。
才気あふれる音楽家として、この勇退には複雑な思いがあったに違いない。しかしながら、そうしたライフスタイルの変化は、彼女に新たな思索と創作をもたらした。母親になった自分に起きた変化や、家族への慕情、子守唄など、日々の生活から新案が閃き、音楽的な滋養として蓄えられていく。
そして「マーリーが3〜4歳になった頃、私はようやくその貴重な時期について歌詞を書くことができるようになりました」と語るとおり、それらの楽曲を10年ぶりのスタジオ録音アルバム『Flor』に反映。傑作を仕上げ、グラミー候補となった。
さらに2年後の次作『Lean In』(2023年発表の最新作)も、前作と同様にブラジルやアフリカ音楽のエッセンスを散りばめた見事な精彩。ときに話し言葉を想起させる抑揚で、ささやくように唄い、またときに奔放かつ艶麗なスキャットも駆使する彼女の歌唱は、非常に独自性が高い。
その特徴を具体的に列挙すると、まず「sibilant(シビラント)」の美しさ。日本語では「歯擦音」と呼ばれるが、音響やレコーディングの業界では “取扱注意のノイズ” として見做されがちなこの歯擦音を、彼女は心地よく清雅に鳴らし、韻律とともにリズミカルな効果も意図しながら音楽にブレンドしていく。
同様に、吐息まじりの “気息音” の使い方も巧みである。これらは、ある種の「かすれ」や「粒子感」を伴う音だが、なぜか透明で澄んだイメージの聴感になるのは不思議だ。その一方でクリアボイスも効果的に使いながら、声の輪郭線の強弱を手際よく操り、綾を描く。こうした美技を、さもナチュラルに繰り広げるのが彼女の “凄み” である。
加えてもうひとつ、アフリカや南米をはじめ世界各地のフォークロアに対する見識や理解の深さも、彼女のオリジナリティを形づくるファクターである。また、先述の「活動の休止と、生活の変化によって獲得したもの」も、現在の彼女にとって大きな武器だろう。
カルテット編成ではおよそ6年ぶりとなる今回の来日公演は、復帰後初の日本ツアー。すでに現代ジャズ・ボーカリストの最高峰とも称される彼女だが、前回の来日時とは違う領域のパフォーマンスを期待できる。もちろん見どころは歌唱だけではない。グレッチェン・パーラト・カルテットのメンバーたち(デヴィッド・クック〈ピアノ〉、アラン・ハンプトン〈ベース〉、マーク・ジュリアナ〈ドラムス〉)も、彼女と同様にそれぞれが “現代のジャズ” を引導するキーパーソンである。そんな彼らの共奏は一体どんなものになるのか。のちに伝説的な来日ツアーのひとつとして語られる日が来るのかもしれない。
出典:DOWNBEAT(2021)Gretchen Parlato In Bloom