投稿日 : 2023.12.06

【ブルース・ブラザーズ・バンド】60年代のR&Bの魅力を凝縮した圧巻のステージ ─ライブ盤で聴くモントルー Vol.52

文/二階堂尚

モントルー・ジャズフェスティバル_ブルース・ブラザーズ
「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

音楽をテーマにした映画は数限りなくあるが、黒人音楽へのオマージュの強烈さという点で『ブルース・ブラザース』を超える映画はないかもしれない。その破壊的ストーリー、ファッション、パフォーマンス、バンド・メンバーの演奏力は多くの人々の心を捉え、今なお名作として語り継がれている。ブルース・ブラザーズは、もともとテレビのバラエティ番組から生まれたユニットだった。そこから派生したブルース・ブラザーズ・バンドは、映画公開後もライブ活動を続け、1988年と89年にはモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演している。今回はオフィシャルなライブ盤としてリリースされている89年の音源を紹介する。

バラエティ番組から始まったR&Bデュオ

1980年の映画『ブルース・ブラザース』の印象があまりに強烈なために、ブルース・ブラザーズというユニットはこの映画に端を発していると考えられがちだが、ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドの2人が最初にこのアイデアを思いついたのは1976年のことだったという。ともにコメディアン兼俳優として活動していた2人は、アメリカで人気を集めていたバラエティ番組「サタデー・ナイト・ライヴ」の最初期の出演メンバーで、もともとブルースを愛好していたのはエイクロイドの方だった。ベルーシはまずエイクロイドからブルースの魅力を教わり、さらに友人であったカーティス・サルガドの影響によって比較的短時間でブルース・マニアとなったのだった。サルガドは、ロバート・クレイのバンドに参加していたハーピストである。

ジョン・ベルーシが「ジョリエット・ジェイク・ブルース」、ダン・エイクロイドが「エルウッド・ブルース」を名乗り、2人は義兄弟であるという設定で「サタデー・ナイト・ライヴ」に出演した。デュオのイメージはサム・&デイヴ、黒いハットにサングラスとスーツという揃いの装いは、ジョン・リー・フッカーと50年代のモダン・ジャズ・プレーヤーを真似たものである。ベルーシはすでに名の知れたエンターテイナーだったが、歌い手としては素人だったし、エイクロイドもハープを吹けたとはいえプロのミュージシャンではなかった。芸人の余技に終わる可能性のあったこのユニットが本格的なバンドとなったのは、ひとえにバックに腕利きのミュージシャンたちが参加したことによる。

ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドによるブルース・ブラザーズ

「サタデー・ナイト・ライヴ」出演時、バンドにはギターにスティーヴ・クロッパー、ベースにドナルド・ダック・ダン、ドラムスにスティーヴ・ジョーダンらが参加していた。クロッパーとダンはブッカー・T&ザ・MG’sのメンバーであり、60年代のR&Bにおける最重要レーベルの一つであるスタックスを支えたハウス・ミュージシャンであった。一方のジョーダンは数々のバンドに参加してきた第一線のセッション・ドラマーであり、現在はチャーリー・ワッツなきあとのローリング・ストーンズのツアー・メンバーとして活躍している。

1978年の大晦日、サンフランシスコでのライブ

黒人音楽への愛と破滅性が一体化した映画

ブルース・ブラザーズは基本的にブルースとR&Bのカバー・バンドで、主要なレパートリーには、サム&デイヴ、オーティス・レディング、ウィルソン・ピケットらがスタックスでレコーディングした曲が含まれていた。スタックスのサウンドをつくったミュージシャンをバックにスタックスの曲を歌うのだから水準の高い音楽が生まれるのは当然で、79年にはフロントの2人と上記3人を含む総勢11人のバンドによるライヴ・アルバムを発表して、ビルボードでトップを記録し、グラミー賞にもノミネートされている。

義兄弟という設定、ファッション、演奏力に加えて、一流のエンターテイナーであった2人のフロントマンのパフォーマンスによって、バラエティ番組から誕生した企画バンドは大いに人気を博し、その余勢を駆って映画は製作されたのだった。映画には、スティーヴ・クロッパー、ドナルド・ダック・ダンを始めとするブルース・ブラザーズ・バンドのメンバーが本人役でキャスティングされたほか、ジェームズ・ブラウンアレサ・フランクリンレイ・チャールズジョン・リー・フッカーキャブ・キャロウェイといったブラック・ミュージック界の大物が登場して話題を呼んだ。

レイ・チャールズとブルース・ブラザーズ

映画はほとんど破滅的と言っていいドタバタのアクション喜劇で、撮影で破壊した車の数が当時は映画史上最多であったという逸話も確かあったように思う。その破滅性とエネルギーがブラック・ミュージックへの愛と一体化しているのがこの映画の面白さで、ディスコ全盛の時代にあって、黒人音楽のプリミティブな力が解放される快感を観客の多くは感じたに違いない。

その破滅性はまた、ブラザーズの兄役ジョン・ベルーシの破滅性でもあった。ベルーシにはショー・ビジネスに賭ける過剰な情熱と欠落感が同居していて、自分のうちの魔物を諫めるために大量のドラッグを必要とした。映画の撮影前からコカイン中毒は重篤であったが、さらにヘロインを併用するに及んで、彼は33歳の若さで命を落としている。『ブルース・ブラザース』で盛りを極めてからまだ2年も経っていなかった。その自己破滅的な生き様は、2020年に公開されたドキュメンタリー『BELUSHI ベルーシ』に詳しい。

ジョリエット・ジェイク・ブルースを演じるジョン・べルーシ

総勢11人のバンドで再現されたスタックス・サウンド

ダン・エイクロイドは、ベルーシ死後もベルーシの実弟であるジェームズ・ベルーシなどを招いてブルース・ブラザーズを継続したが、それとは別に、フロントにさまざまなシンガーを擁した「ブルース・ブラザーズ・バンド」の活動もクロッパーとダンを中心に進められた。1988年にモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演したのは、その「ブルース・ブラザーズ抜きのブルース・ブラザーズ・バンド」である。

フロントを務めたのは、スタックス最初のスター・シンガーであるルーファス・トーマスや、サム&デイヴのサム・ムーアら4人で、それまでブルース・ブラザーズのアルバムや映画には関わってこなかったブッカー・T・ジョーンズもキーボードで参加している。スタックス・オール・スターズと呼んで差支えのない陣容は、少なくとも音楽的にはオリジナルのブルース・ブラザーズを凌いでいたと思われるが、この音源は正式にリリースされておらず、コレクターズ・アイテムとして流通しているのみである。

さらに翌89年にもブルース・ブラザーズ・バンドはモントルーのステージに立った。現在、正式盤として聴くことができるのはこちらの方である。ルーファス・トーマス、サム・ムーア、ブッカー・T・ジョーンズの3人は未参加だが、やはりスタックスのスター・シンガーであるエディ・フロイドが、前年にも参加していたラリー・サーストンとともにボーカルに抜擢されている。

記録によれば当日は全19曲が演奏されたようだが、アルバム化された音源はそこから14曲をセレクトし、かつ曲順を入れ替えた内容になっている。冒頭2曲は、サム&デイヴの「ホールド・オン」とウィルソン・ピケットの「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」というスタックスを代表するヒット・ナンバーで、タージ・マハールの「シー・コート・ザ・ケティ」、B・B・キングの「スリル・イズ・ゴーン」、オーティス・レディングの「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」、ロバート・ジョンソンの「スウィート・ホーム・シカゴ」とよく知られた曲が続く。

その次の「ノック・オン・ウッド」「レイズ・ユア・ハンド」の2曲はエディ・フロイドの大ヒット曲である。ここをアルバムのクライマックスにすることに曲順編集の主な意図があったと思われる。さらに、ヘンリー・マンシーニ作の「ピーター・ガン」、オーティス・レディングのバック・バンドであったバーケイズの「ソウルフィンガー」の2曲のインストルメンタル、フロイド・ディクソンの「ヘイ・バーテンダー」と続き、これもサム&デイヴの代表曲である「ソウル・マン」と、ソロモン・バークやウィルソン・ピケットが歌いローリング・ストーンズもカバーした「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」でいよいよ熱気が高まる。ここまで曲によってボーカルを分け合ってきたエディ・フロイドとラリー・サーストンがこの曲でともにマイクの前に立って、観客を大いに沸かせている。

最後はブッカー・T&ザ・MG’sのインストR&B「グリーン・オニオンズ」で、これは実際のステージではオープニングに演奏された曲だった。この曲を最後にもってくることでライブ全体を「スタックス・レヴュー」として締めくくろうというのもまたアルバム編集の一つのコンセプトであっただろう。よく考えられた流れである。

スタックス・サウンドにおいて重要な役割を担うホーン部隊は、「サタデイ・ナイト・ライヴ」、映画『ブルース・ブラザース』からのメンバーであるトム・マローン(トロンボーン)、アラン・ルービン(トランペット)、ルー・マリーニ(サックス)の3人が務めていて、息の合った切れ味鋭いプレイを聴かせている。

ノー・ギャラで出演した大物たち

映画『ブルース・ブラザース』の続編『ブルース・ブラザース2000』が公開されたのは、このライブからおよそ10年後の1998年だった。義兄を亡くしたブラザーズの弟が、旧バンドのメンバーに新しい相棒を加えバンドを結成してライブをするという、簡単にまとめればそれだけの筋の映画で、前作同様のドタバタ喜劇にさらにファンタジーの要素を加えた作品だった。見どころはやはり豪華なミュージシャンの出演で、バンド・メンバーはほぼ前作と同じ。ジェームズ・ブラウンアレサ・フランクリンが前作に引き続きキャスティングされているほか、サム・ムーアウィルソン・ピケットエディ・フロイドB・B・キングジュニア・ウェルズといった大御所や、当時はまだ若手だったエリカ・バドゥも招聘された。

さらに豪華だったのが、中古車店主から転身してニューオリンズでバンドを結成したという設定のB・B・キングがリーダーを務める「ルイジアナ・ゲーター・ボーイズ」のメンバーだった。ボーカルとギターがB・Bとボ・ディドリー、ギターがエリック・クラプトンジミー・ヴォーン、ドラムスがジャック・ディジョネット、キーボードがドクター・ジョンビリー・プレストンスティーヴ・ウィンウッド、コーラスがアイザック・ヘイズココ・テイラー、サックスがジョシュア・レッドマンクラレンス・クレモンズ、トランペットがジョン・ファディス──。これですべてではないが、十分だろう。ブルース、R&B、ジャズ、ロックなどの各ジャンルの先鋭たちが、みなノー・ギャラでの出演を承諾したと伝わる。

ブルース・ブラザーズと映画『ブルース・ブラザース』は、当時アメリカの大衆が忘れつつあった60年代のブラック・ミュージックの魅力を力技で見せつけ、その後のCD時代になってR&Bやブルースの名盤が次々にリイシューされるいわば土壌を整備したと言ってよいと思う。ブルース・ブラザーズの力のみによってR&Bの復興がなったとはもちろん言えないとしても、その流れの一部をつくったことは間違いない。大物たちの無償出演は、その功績に対する恩返しであった。

「白人のアメリカ」に対する批評性

映画『ブルース・ブラザース』『ブルース・ブラザース2000』の両作品には、白人至上主義のレイシスト集団が登場する。前者がネオ・ナチ、後者が「ホワイト・パワー」を標語とし、白人ナショナリズムの象徴である南部海軍旗を掲げた反共・反ユダヤ主義団体で、いずれのメンバーも物語の中で哀れで滑稽な最後を迎える。そこにこの作品の明確なメッセージがあると見るべきである。

ジョン・ベルーシはアルバニア移民の子、ダン・エイクロイドはカナダ人である。また映画では、2人には身寄りがなく孤児院で育ったという設定になっている。アメリカ社会における「辺境人」である2人が、アメリカ国内の「辺境の音楽」であるブラック・ミュージックに耽溺し、その魅力を伝導する。それがブルース・ブラザーズの裏のコンセプトだった。カントリーやブルーグラスといった白人音楽に対するあからさまな茶化しや、警察署長室に飾られているマーティン・ルーサー・キングの写真などもそのコンセプトの表現の一端であり、「ホワイト・アングロサクソンのアメリカ」に対する反逆の意思表示であっただろう。

ホワイト・パワーが支配するアメリカに対する批評性とアウトサイダーとしての矜持。それを虚実ないまぜに、破壊的に、祝祭的に描いてみせたところに『ブルース・ブラザース』の最大の魅力があると思う。映画と彼らの音楽が表現した批評性とプライドこそはまさしく黒人音楽の一つの本質であり、その本質は今日のラップやジャズにもはっきりと受け継がれている。

文/二階堂 尚


『Live in Montreux』ブルース・ブラザーズ・バンド

『Live in Montreux』
ブルース・ブラザーズ・バンド

■1.Hold On, I’m Comin’ 2.In the Midnight Hour 3.She Caught the Katy 4.The Thrill Is Gone 5.Can’t Turn You Loose 6.Sweet Home Chicago 7.Knock on Wood 8.Raise Your Hand 9.Peter Gunn 10.Soul Finger 11.Hey Bartender 12.Soul Man 13.Everybody Needs Somebody to Love 14.Green Onions
■エディ・フロイド(vo)、ラリー・サーストン(vo)、スティーヴ・クロッパー(g)、マット・マーフィー(g)、ドナルド・ダック・ダン(b)、ダニー・ゴットリーブ(ds)、レオン・ペンダーヴィス(org)、アラン・ルービン(tp)、トム・マローン(tb)、ルー・マリーニ(sax)
■第23回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1989年7月12日ほか

その他の連載・特集