投稿日 : 2017.12.13 更新日 : 2019.12.03
昔ながらの「カーキのトレンチ」を今こそ【ジャズマンのファッション/第5回 】
取材・文/川瀬拓郎
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トレンチコートが印象的な作品をもうひとつ。オーネット・コールマン・トリオによるライブ盤『At the Golden Circle Stockholm volume1/2』(1965年)である。こちらもホレス・シルバーと同じくブルーノート作品だが、録音された場所はスウェーデンのストックホルム。「volume 1」と「volume 2」の2枚に分けてリリースされたが、使用写真は同じ。ただし文字の色には差異がある。
いかにも北欧の冬景色といった風情の、雪に覆われた木立の中で撮影されており、「堅忍に立ち尽くす木々」と「飄々と立ち並ぶ男たち」の類比を見せているのだろう。モノクロの特性を活かした、いい写真だ。シリアスな表情が多いオーネットだが、ここではハットを被り、珍しくユーモラスな表情。トレンチコートのトップボタンだけを留めて、ウエストベルトで前合わせを締めている。こんな着方もラフでかっこいい。彼のトレンチもまた、ラグランスリーブでエポーレットが付いた、昔ながらのディテールだ。
どちらが元祖?トレンチ神学論争
トレンチコートが「イギリスの軍用品」であったことは先述の通りだが、好事家の間で“ある論争”が続いていることをご存知だろうか? その内容は「バーバリー(1856年創業)と、アクアスキュータム(1851年創業)のどちらが“トレンチの元祖”なのか」というもの。
まず、バーバリーを元祖とする説の根拠はこうだ。コットンを高密度に織り上げ耐久性と防水性を高めた布「ギャバジン」を1879年に開発し、特許を取得していること。加えて、ボーア戦争(1880年~)時に同社が製品化した「タイロッケンコート」を基に、修正を加えたものが、のちの「トレンチコート」であるとする主張。
●バーバリーのトレンチコート(プロモ映像)
一方、アクアスキュータムを元祖とする説はこんな内容。まず、ウールの糸に加工を施して織り上げた防水生地を、他社に先駆けて開発したこと。また、1854年に参戦したクリミア戦争において、トレンチの原型となるコートを英国軍に納入したこと。
●アクアスキュータムのトレンチコート(プロモ映像)
どちらの主張も説得力はあるが、それを証明する当時の現物が存在していない。あったとしても、軍支給品にはブランド名を示すラベルを付けないので立証できない。そのことが、論争を複雑化させている。なお、両社とも戦時下の資料がほとんど残っていないようなので、この結論は永遠に出ないだろう。ただ確かなのは、両社ともほぼ同時期に現在のトレンチコートを完成させ、英国軍へ正式採用され「英国王室御用達」となっていることだ。
そんな両社のトレンチに大きな違いがあるとすれば、裏地のチェック模様だ。アクアスキュータムが「ガンクラブチェック」で、バーバリーはおなじみの「バーバリー・チェック」である。どちらもいわゆるハウスチェックと呼ばれる独自の色柄の組み合わせであるが、知名度という点では圧倒的にバーバリー・チェックに軍配が上がる。じつはこの裏地こそ、両社の“その後”を決定的に分かつことになる。
“トレンチ不遇時代”を経た勝者
イギリス軍の高級士官に優先的に支給された軍服であり、戦後はハンフリー・ボガート(アクアスキュータム派を公言)など、ハードボイルドな映画スターに愛されたトレンチコートだが、70年代以降は不遇の時代を迎える。バーバリーとアクアスキュータムは高級紳士服の代表的ブランドであり、そのトレンチを着こなすことは上流階級のステイタスでもあった。が、やがて粗悪なコピー品が出回るようになり、中産階級の若者やフーリガンまでもがトレンチを着るようになったのである。
映画やテレビで(刑事や探偵よりも)ギャングやチンピラがトレンチコートを着るようになったのもこの頃からだ。また、ウディ・アレン主演のコメディ映画『ボギー!俺も男だ』(1972年)で、ハンフリー・ボガートが“笑いのネタ”にされたのも象徴的。『ピンクパンサー』シリーズでおなじみのクルーゾー警部や、『ルパン三世』の銭形警部もトレンチがトレードマークだが、どこか間抜けでコミカルなキャラ設定なのである。こうして、カーキのトレンチから“シリアスなカッコよさ”は消え去り、両ブランドは苦戦を余儀なくされるのだった。
この苦境を受けて、バーバリーは90年代の終わり頃からブランドイメージの刷新を図る。ライセンス製品(注2)の停止と、さまざまなサブブランドを廃止し「バーバリー=トレンチ=英国」というイメージを徹底したのだ。才気あふれるデザイナー、クリストファー・ベイリーの手腕もあって、バーバリーは見事に高級ファッションブランドとして返り咲く。
注2:ブランド名や商標権を他企業に貸与し(他社によって)生産された製品。日本の三陽商会は約40年におよんでバーバリーとライセンス契約をしていたが2015年に解消。
一方のアクアスキュータムはライセンス製品をやめず、デパートの紳士服売り場でしか売っていない“おじさんのコート”というイメージが定着。2000年以降に何度かリブランディング策を打ち出すも、時すでに遅し。2012年に経営破綻してしまう。なんとか現在もブランドは存続しているが、トレンチの元祖としての存在感は薄らいでしまった。
こうした両社の違いを決定づけたのはイメージ戦略であり、そのアイコンとなったのがバーバリー・チェックである。バーバリーは“あの模様”を急先鋒にして、ブランドのステイタスシンボル化をはかり、デジタルマーケティングも駆使しながら、見事な成功を収めた。ただ、僕個人としては、両者(社)に優劣をつける気はない。どちらもオリジナルたる出自があるし、ともに同等の歴史をほこり、どちらもコートとして一級品であることは間違いないのだから。
ホレス・シルバーとオーネット・コールマンも、ともに同時代(2歳ちがい)を生き、ともに一流をなすプレーヤーである。ただし、両者はそれぞれ「ファンキー」と「フリー」のシンボル的存在。音楽的には相容れることはない。そんな二人が、同じレーベルで、粋なトレンチコート姿を残したのは、数少ない暗合である。それからもうひとつ。ともに85歳で他界した、ふたりが生きた時間も、同じだった。