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昨今、「新世代のジャズ」というワードでさまざまなミュージシャンが紹介されている。1983年生まれのクリスチャン・スコットもそのひとりだが、他の“新世代ジャズマン”と比較すると、誰よりも“ジャズ史における自分”を推究している人。そんな印象を受ける。
彼は今年、“The Centennial Trilogy”と銘打ち「ジャズ100年をテーマにした3部作」を制作した。3月に『ルーラー・レベル(Ruler Revel)』を発表し、次いで『ディアスポラ(Diaspora)』を6月にリリース。そしてこの10月に3部作の完結編となる『ザ・エマンシペーション・プロクラスティネーション(The Emancipation Procrastination)を発表した。同3部作の制作意図について質問すると、彼はこう切り出す。
「はじめから『3作品つくる』って決めていたわけじゃなかった。そのことは最初に言っておきたい」
——では、具体的にどんなプランで今回の作品群に取り組んだのですか?
「これまでのジャズの歴史のドキュメントとして、シリーズ化して出したいというのが、最初に思い浮かんだアイディアだった。まず、ジャズ100年の歴史の中で、それぞれ違った環境、違った次元、違った言葉を話している人たちが作り上げてきた音楽というものが、どんなふうに流れていったか? そして、未来の子供たちが、どのように音楽を作っていったらいいか。そういうテンプレートとして聴けるような作品を作りたかったんだ。新しいキャンバスを作り上げるというのが目的で、それを作り始めたら、結果的に3部作になったという感じだね」
——例えば、マイルス・デイヴィスはルイ・アームストロングを聴いて育ち、ウィントン・マルサリスはマイルスを聴いて育ち、といったジャズの歴史があります。同じく、これからの若い世代にこそ、今回の作品を聴いてもらいたい、と。
「誰かに影響を与えられるようなミュージシャンであると思ってもらえるのは、とても光栄なことだけど、今回ぼくがやりたかったのは、音楽だけではなくて、“勇気を持ってほしい”ということなんだ。現代は、とても辛い時代だよね。みんな、恐怖の中で生きていたり、不安だらけだったり。そういう生活をしている中で、勇気を持つひとつのきっかけになってほしいという願いも込めている。音楽を奏でることも同じだ。昔からあるようなアイディアやコンセプトに対して、新たにチャレンジして欲しい。昔の人たちが作り上げてきたものを押しつけるのではなくて、それを踏まえた上で、勇気を持って新しいものにチャレンジする姿勢。そのことを伝えたかったいんだ」
偉人に対する「敬意」とは何か
——確かにこの3部作では、いわゆるトラディショナルなジャズのスタイルをなぞるのではなく、あくまでもあなたの新しい音楽をクリエイトしようという意図を感じます。
「たとえば自分たちの祖父母に“敬意を表したい”と思ったとするよね。そのときにやるべきことは、彼らが着ていた昔の着物を着てみせることなのか、手紙を書いて愛情を伝えることなのか、やり方はいろいろあるし、それぞれ意味があるとは思う。でも、ぼくがやりたいことは、古い着物を着ることじゃない。1955年のクリフォード・ブラウンと同じことをやっても、それは彼の音楽に敬意を表しているとはいえないと思うんだ。彼のやったことを違う言葉で、違うパッケージで表現するということが、ミュージシャンとしてやるべきことだと思う」
——なるほど。「あなたのおかげで、こんな新しい音楽を創ることができた」という作品を提示することが、相手に対するリスペクトである、と。
「ロックの世界だったら、チャック・ベリーは素晴らしいけど、それとまったく同じように演奏することが、敬意を表していることじゃないし、逆に2017年にそれをやっても、つまらないものになってしまうと思う。ルイ・アームストロングはあれだけ素晴らしい功績を残してきたけど、もし今の時代も彼が生きていて、ぼくが彼とまったく同じような音を出していたら、逆にすごく怒ったり、悲しんだり、呆れたりするんじゃないかな」
——「おまえ、まだそんなことやってるのか? ジャズの進化を止めるなよ…」と。
「だからぼくたちとしては、歴史に敬意を払いながら、新しい言語や音楽、スペースを作り上げていって、若い世代の人たちが、またそこから新しいものを作り上げていく基盤を作っていかなきゃいけないと思う」
音楽と社会に促すべき“再検討”
——今年10月に、3部作の最終章となる『The Emancipation Procrastination』がリリースされました。この作品のコンセプトは?
「じつは今回の3作品は、5日間ですべてをレコーディングして、それをテーマ別に3枚に分けて収録している。作品ごとにレコーディングしたものではないんだ。だからそれぞれのアルバムで伝えたいのは、その音楽がどういったものかということよりも、それに込めた“思い”だね」
——それぞれのアルバムに込めた“思い”を教えてください。
「1作目の『ルーラー・レベル』は、自分が置かれている環境や歴史と、自分自身とが、どういう関係を持っているか、それを表現できた曲を選んでいる。2作目の『ディアスポラ』は、愛というものを伝えたかった。みんなにとって、愛への橋渡し的な作品になってほしいという思いで作ったんだ。
そして今回の3作目『ザ・エマンシペーション・プロクラスティネーション』は、音楽そのものというよりも、“思い”を伝えられる場所を提供したい。そんな気持ちで作った。人々が今抱えている問題は、ものすごく過酷なものだ。自分たちが何かを伝えようとしても、その声が届かない。アメリカでも、差別問題とか、虐待問題など、いろいろな問題が起きている。そんな状況下で、自分の声を聞いてもらえない環境にある人たちにも、そのスペースを提供して“自分たちの声を伝えるべきなんだ”ということを伝えたかったんだ」
——では、この3部作を包括して、あなたがいちばん伝えたかったことは何ですか?
「今回の3部作をひとことで表現するのはとても難しいけど、強いていうなら“探求”だね。もしくは“疑問を持つ”ということ。いや、Reevaluating(=再検討)という言葉の方が近いかな。つまり『新たに考え直そうよ』ということだな」