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「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。
アレサ・フランクリンがモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演したのは、実力、人気ともにピークにあった1971年である。しかし、その音源はこれまで海賊盤でしか聴くことができなかった。当時FMラジオでオンエアされたそのライブ音源が、2023年にアナログ盤でリリースされた。名ライブ盤『ライヴ・アット・フィルモア・ウエスト』収録の3カ月後に、ほぼ同じメンバーで臨んだステージ。その記録を紹介する。
アトランティック初期の快進撃
長く活動を続けているバンドやシンガーには、それを超えることはついに叶わなかった、あるいは今後も叶わないと思われる絶頂期が必ずあって、その期間はほぼ例外なく数年間にとどまる。ローリング・ストーンズの場合は1968年から72年、アルバムで言えば『ベガーズ・バンケット』から『メイン・ストリートのならず者』までがその時期にあたるだろうし、プリンスの場合は82年から87年、すなわち『1999』から『サイン・オブ・ザ・タイムス』までをキャリアのピークと見なすことができる。
エリック・クラプトンのアルバムで最も売れたのは92年の『アンプラグド』だが、ミュージシャンとしてのピークはクリーム時代の67年くらいから、ソロとしての代表作『461オーシャン・ブールヴァード』をリリースした74年くらいまでだったと思う。特異なのはマイルス・デイヴィスで、彼の場合は50年代、60年代、70年代のそれぞれに異なる種類の頂があった。そのうちのどれを真の頂点と見るかは、聴き手の好みと音楽観による。
アレサ・フランクリンの絶頂期が1967年から72年までの6年間であったことに異論のあるアレサ・ファンはおそらくいないだろう。最初のレコード会社であったコロンビアを離れ、アトランティック・レコードから『貴方だけを愛して』をリリースした年が67年、生涯を通じて最大の売り上げを記録した『至上の愛~チャーチ・コンサート』を発表した年が72年である。
仔細に見れば、この6年の間にも2つのキャリアの山があった。1つ目が、『貴方だけを愛して』『アレサ・アライヴス』『レディ・ソウル』『アレサ・ナウ』と、ソウルの歴史に残る名盤を立て続けに生み出した67、68年の2年間である。アトランティックの副社長であり、アレサの才能を開花させた名プロデューサーであったジェリー・ウェクスラーは、自叙伝『私はリズム&ブルースを創った』にこう書いている。
最初の4作からポップ10ヒットが9つ、R&B1位が7つ生まれた。どのアルバムも50万枚近く売れ、どのシングルも100万枚を越えた。いや、売れただけじゃない。どの曲にも最新式のソウルが有する最先端の鋭さと、過去との強いつながりの双方が明確に現れていた。
キャリアの頂点をなす名ライブ盤
2つ目のキャリアの山は71、72年の2年間で、この時期にアレサは『ライヴ・アット・フィルモア・ウエスト』『ヤング、ギフテッド・アンド・ブラック』『至上の愛』の3枚のアルバムを録音・リリースしている。『ヤング、ギフテッド・アンド・ブラック』は、今で言うニュー・ソウルにアレサが足を踏み入れた名盤であり、ニーナ・シモンの表題曲のカバーや、ダニー・ハサウェイの参加で話題になった。ほかの2枚はライブ・アルバムである。この時期にこれらのライブ盤が残されたことによって、当時の彼女がどれほど圧倒的なステージ・パフォーマーであったかを知ることができる。
『ライヴ・アット・フィルモア・ウエスト』は、当時「ロックの殿堂」と呼ばれていたサンフランシスコのコンサート・ホール〈フィルモア・ウエスト〉での3日間のライブから10曲をセレクトしたものだ。ヒッピー文化の聖地でもあったフィルモアに乗り込むことにアレサは当初及び腰だったようだが、やはりこの会場で演奏して圧巻のライブ盤を残したマイルス同様、ジャズやR&Bから見れば新興勢力であったロックの勢いに負けまいとする頑強な意志と情熱によって、演奏は比類のないものとなった。
100万の教会、100万の荒れた場末のバー、100万のナイトクラブ、100万のコンサートホールで演ってきた。でも、あのフィルモアでのアレサのバックで演ったみたいな経験はほかに一度だってない、本当だよ。ヒッピーたちは彼女のことを気に入ったなんてもんじゃない。あれは正気の沙汰じゃなかった。
こう語るのは、バック・バンドに参加したキーボード奏者のビリー・プレストンである(『アレサ・フランクリン リスペクト』)。プレストンは、アレサのフィルモアでのライブをB・B・キングの『ライヴ・アット・リーガル』やジェイムズ・ブラウンの『ライブ・アット・ジ・アポロ』を凌ぐ名盤と言い、アレサ自身ものちに自分のキャリアの中で最も輝いた瞬間がフィルモアでのライブであったと振り返っている。2004年には、前座のキング・カーティスのバンドの演奏を含めたCD4枚組のコンプリート盤が通販専門アイテムとして発売された。現在は、一般商品として発売されていて、配信で聴くことも可能だ。
この時期のもう一枚のライブ盤である『至上の愛』は、ゴスペルから出発したアレサがあらためて自身のルーツに真剣に向かい合った2日間のコンサートを録音したアルバムである。これものちに完全版がリリースされ、映画化もされた。先に述べたように、このライブ盤は累計200万部以上を売り上げ、彼女の最大のヒット作になった。評論家やアレサのコアなファンの中にも、このアルバムを最高傑作とする人が少なくない。未聴の人には、アルバム全体の流れを考えて曲順が整理された通常版を先に聴くことを勧めたい。
フィルモアのバンドで臨んだモントルー
『ライヴ・アット・フィルモア・ウエスト』の録音は71年の3月、『至上の愛』の録音は72年の1月である。アレサがモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演したのは、その2つの歴史的ライブの間にあたる71年6月であった。
フィルモアでのライブは当初からアルバム化が予定されていたために、プロデューサーのジェリー・ウェクスラーはトップ・クラスのセッション・メンバーを集めて鉄壁の布陣を整えた。音楽監督はテナー・サックスのキング・カーティスが務め、彼が率いるバンド、キングピンズには、ギターのコーネル・デュプリー、ドラムスのバーナード・パーディら先鋭が配された。さらにハモンド・オルガンのビリー・プレストン、5人編成のメンフィス・ホーンズ、3人のコーラス・グループ、スウィート・ハート・オブ・ソウルを含め総勢17人の大所帯であった。
アレサがモントルーに出演する際にあたって帯同したのは、メンフィス・ホーンズから1名を除き、プレストンに替えてキーボード奏者のトゥルーマン・トーマスを加えた16人である。フィルモアの3カ月後で、バンド・メンバーもほぼ同じであってみれば、まずいライブになるはずはない。モントルー・フェスの創設者でありプロデューサーであったクロード・ノブスは「あれぞまさしく栄光に輝くアレサ」であり、「あの日の“ドクター・フィールグッド”と“スピリッツ・イン・ザ・ダーク”は匠の業だった」と振り返っている。
もっとも、ソウル界のスーパー・スターの座にあったシンガーとの出演交渉はかなり難航したらしい。一度決まった出演がいくたびもキャンセルされ、そのつどアレサの要求の水準は上がっていった。
たとえばもっと広い楽屋が欲しいとか、もうひとつスイートが欲しいとか、でも私は毎回毎回、懇願した。花を、お菓子を、チョコレートを贈った。そのチョコレートが彼女のハートを勝ち取ったらしい。ついに来てくれることになったんだ!
(『アレサ・フランクリン リスペクト』)
アレサは生涯にわたって食欲への強いアディクションがあったと言われる。とはいえ、「ソウルの女王」がたかがチョコにつられて出演を決めたというノブスの証言を鵜呑みにしていいものかどうか。いずれにしても、女王が最終的に首を縦に振ってくれたことにノブスが大いに感激したのは確かで、彼は上等のスタインウェイのグランド・ピアノを用意し、「僕はあなたは世界一ファンキーなピアニストだと思っています」「どうかお願いですから、一晩中弾いてください」とアレサに伝えたのだった。
半世紀後にリリースされた「裏盤」
大成功と評価されたこのモントルーのステージは、しかし長い間正式にアルバム化されることはなく、FMラジオで放送された音源が海賊盤として流通するのみであった。ウェクスラーはフィルモアでのライブを超えるステージが実現するはずもないと考えたのか、あるいは同じ年に2枚ぶんのライブ音源を残す必要もないと判断したのか。真相はわからないが、アトランティックがこのステージのレコーディングに関与しなかったことは事実のようだ。ようやく2023年になって、ソウルやジャズのライブの発掘音源をリリースしているWHPというレーベルからアナログ盤がリリースされた。
ロックの殿堂に乗り込む格好になったフィルモアでは、ビートルズ、スティーヴン・スティルス、ブレッド、サイモン&ガーファンクルといったロック系ミュージシャンの曲を取り上げていたが、モントルーのセット・リストはすべて彼女の持ち歌で占められている。ジェリー・バトラーの「ブランド・ニュー・ミー」や、ボビー・ブランドの「シェア・ユア・ラヴ・ウィズ・ミー」といったカバーは過去にレコーディングしている曲であった。サイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」はフィルモアに続いてこちらでも取り上げられているが、これも当時の彼女のレパートリーだった。もともとポール・サイモンがゴスペル・カルテット、スワン・シルヴァートーンズが歌う黒人霊歌「マリアよ泣くなかれ」にインスパイアされてつくった曲を、再びゴスペル化したと言うべきバージョンがアレサの「明日にかける橋」である。アレサが歌う「マリアよ泣くなかれ」は、『至上の愛』の冒頭に収録されている。
3曲のカバー以外は、彼女のテーマ・ソングと言っていい「リスペクト」、ジェリー・ウェクスラーがアレサのために作曲してくれとキャロル・キングに依頼して生まれた「ナチュラル・ウーマン」、バート・バカラック作の「小さな願い」、アレサの自作「コール・ミー」「ドクター・フィールグッド」「スピリット・イン・ザ・ダーク」と、有名曲、ヒット曲が続く。
会場のPAに徹底的にこだわり、ウェクスラーの証言によれば、のちにスタジオでコーラスとホーン・パートの一部を録音し直した『アット・フィルモア・ウェスト』に比べて音質が劣るのは確かだが、アレサの唄も演奏も圧倒的に素晴らしい。とりわけ、冒頭の「リスペクト」と、ノブスが「匠の業」と表現した最後の「スピリット・イン・ザ・ダーク」の爆発力は、『アット・フィルモア・ウェスト』に引けを取っていない。
フィルモアは、米西海岸のヒッピーが集うロックの聖地であり、モントルーの会場は欧州の富裕層が避暑を目的に訪れるリゾートである。その雰囲気の違いが多少は感じられて、モントルーのアレサの演奏はいくぶん端正で上品に聞こえる。しかし、会場が違う以上演奏のフィーリングが異なるのは当然だろう。モントルーのライブ盤もまた、キャリアの絶頂期にあったアレサの演奏を味わえる優れたアルバムであり、『アット・フィルモア・ウェスト』の「裏盤」といった楽しみ方も可能である。
ステージで自己を解放した「悲しみの聖母」
本人未公認ながらアレサ評伝の決定版と言われる『アレサ・フランクリン リスペクト』(デヴィッド・リッツ著)を読む限り、アレサには明らかにうつ病の傾向があり、虚言癖によって周囲を惑わせることもしばしばであったことがわかる。しかし彼女にとって最も重篤だった病は、いわば「ヒット病」であった。キャリア初期のコロンビア時代にはヒットに恵まれず、25歳にしてアトランティックに移籍したのち、あまりにも急激な速度でヒットを続発した彼女は、おそらくヒットを出す自分こそが本当の自分であるという強固なイメージを自己のうちに固着させたのだと思う。
あの6年間の絶頂期を過ぎたのちも、彼女にとっての最大の価値はヒットであり、自他ともに認める天才シンガーである自分の曲がヒットしないとしたら、瑕疵は曲の選択かプロデュースにあるに違いないと彼女は考え、結果その不満は周囲のスタッフたちに向けられた。どれほどの天才シンガーでも、いつまでもヒットを出し続けられるはずはない。夢のように幸福な時期が人生の一時期にあったとしても、それはつかの間のことに過ぎない──。そんな達観が彼女の中に宿ることはついになかった。だからアレサの心の基調は常に不満と不安であり、その泥沼のような感情を共有できる他人がいるはずもない以上、彼女は孤独であるほかなかった。
ジェリー・ウェクスラーは、アレサを「得体の知れぬ悲しみの聖母」と呼んだ。「その瞳は信じられないほど美しいが、輝きの奥に名状しがたい悲痛が覆い隠されている。その憂うつはときに、真っ暗な大海ほどに深くなる」と彼は言う。また、「仕事を離れると、アレサはひとりを好む、超然とした、謎多き、計りしれない孤独を抱える女性だった」とも。
その「悲しみの聖母」が自己を解き放ったときにどれほどのパワーが生まれるか。70年代初期のアレサ・フランクリンのライブ盤を聴けば、誰もがその圧倒的な力を感じることができると思う。
※執筆にあたって、東京・吉祥寺のミュージックバー「Mojo Cafe」にご協力いただきました。
〈参考文献〉『アレサ・フランクリン リスペクト』デヴィッド・リッツ著/新井崇嗣訳(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『私はリズム&ブルースを創った』ジェリー・ウェクスラー、デヴィッド・リッツ著/新井崇嗣訳(みすず書房)、「ブルース&ソウル・レコーズ No.159」(トゥーヴァージンズ)
文/二階堂 尚
『Live at Montreux』(アナログ盤)
アレサ・フランクリン
■〈Side A〉1.Respet 2.(You Make Me Feel Like) A Natural Woman 3.I Say a Little Prayer 4.Call Me 5.Brand New Me 〈Side B〉1.Share Your Love with Me 2.Don’t Play That Song (You Lied) 3.Bridge Over Troubled Water 4.Dr. Feelgood 5. Spirit in the Dark
■アレサ・フランクリン(vo,p)、キング・カーティス&ザ・キングピンズ/キング・カーティス(sax)、 コーネル・デュプリー(g)、ジェリー・ジェモット(b)、バーナード・パーディ (ds)、 トゥルーマン・トーマス(org)、パンチョ・モラレス(perc)、 ザ・メンフィス・ホーンズ/アンドリュー・ラヴ(ts)、 ウェイン・ジャクソン(tp)、ロジャー・ホップス (tp)、ジャック・ヘイル (tb)、ジミー・ミッチェル(bs)、 ザ・スウィートハーツ・オブ・ソウル/マーガレット・ブランチ(vo)、ブレンダ・ブライアント(vo)、パット・スミス(vo)
■第5回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1971年6月12日