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【Taka Nawashiro インタビュー】NYと東京の人脈をつなぐレコーディング─“人生の景色” 描いた新アルバム発表


本邦ジャズシーンでいま最も注目すべきギタリスト。そんな呼び声も高いTaka Nawashiroが新アルバム『Lifescape』を発表。ギタリスト/作曲家としての才覚を存分に発揮した本作は、ニューヨークと東京、二拠点の人脈を混成して仕上げられた。

Taka Nawashiro『Lifescape』(ユニバーサルミュージック)

そもそも Taka Nawashiro とはどんな音楽家なのか──。彼が音楽に強く惹きつけられたのは10代のはじめ頃。それはギターでもジャズでもない、“歌唱” だったという。

3つの選択肢に揺れる10代

──最初に音楽に没頭したのは、いつでしたか?

中学生のときに合唱部に在籍していて、そこでパートリーダーをやっていました。その経験は自分にとって大きな出来事でした。幸運なことに、その合唱部の顧問が松井孝夫(※1)さんという先生で。

※1:まつい たかお(1961-)作詞・作曲家。中学校の教諭を経て、現在は聖徳大学音楽学部音楽学科教授。作曲家としては1987年に「マイバラード」でデビュー。以来、おもに合唱曲を多数手がける。

──教育者で、作詞・作曲家としても活躍されている方なんですね。

そうです。その松井先生が僕のクラスの担任で、合唱部の顧問でもあった。それがきっかけで歌唱の面白さを知り、漠然と「歌手になりたい」と思うようになりました。

──ギターではなく、歌唱から入ったんですね。

それとほぼ同時期にギターもはじめて、いつの間にかギターの方が楽しくなっていました。もちろん歌うことは好きだし楽しかったけど、声変わりを経て、自分が思うように歌えなくなったんですね。それでギターにシフトしていった感じです。

──そこからプロのギタリストになりたいと思うようになった?

いえ、じつは当時の僕は、医者になるつもりでいました。

──医者ですか?

はい。父親が脳外科医で、自宅には医学関連の書物とか研究書類がたくさんあって。幼い頃からそういうものに囲まれて育ちましたった。

──ミュージシャンのインタビューで、よく両親が音楽好きで、幼い頃からレコードに囲まれて育って…」みたいな話はよくありますが、その医者バージョンもあるんですね(笑)。

僕の場合は、幼い頃から頭部のMRI画像なんかをよく眺めていました(笑)。やがて本格的に興味が湧いてきて、中学生になると自分で医学書を買って読んだり。

合唱部に入って「歌手になりたいな…」と一度は思いましたが、歌はいつでも歌えるから、まずは医者になるために勉強しよう、と思い直しました。

──ということは、高校時代も医学の選択肢は残っていた?

そうですね。と言っても、高校生の頃には完全にギターにのめり込んでいて、ギターを弾くことに歯止めが効かなくなっていました。1日に何時間も弾き続けるから腱鞘炎になって、お茶碗も持てないくらいになって。だから腱鞘炎で弾けない間は勉強に没頭して、治るとまた弾いて。それを繰り返していました。

──そんな息子を、ご家族はどう見ていたのでしょうか。

父親は僕の音楽活動に対して前向きに応援してくれていました。むしろ母親の方が心配していましたね。母親は音大出身なので、音楽の世界の厳しさをリアルに知っているんです。だから「あなた、お医者さんになった方がいいんじゃないの?」と(笑)。

日米2拠点の人脈をマッチング

──留学を決意したのはいつですか?

18歳くらいの時にジャズの魅力を知って「これを本格的にやりたい」と思いました。その時の選択肢として、日本の大学や専門学校などいくつかあったのですが、最終的に母が「ジャズってアメリカで生まれた音楽でしょう? だったらアメリカで学ぶのも選択肢の一つよね」という話をしてくれて。日本で学びながら、渡米の準備をはじめました。

──そうしてバークリーとニュースクールで学び、卒業後もしばらくアメリカで活動しますね。

卒業のタイミングが2020年の5月でしたが、その時期はまさにコロナ禍のロックダウンでほとんど動きが取れない状況。ミュージシャンとしての活動もままならない社会情勢でした。

それで10月に帰国することにしたのですが、帰る前に何かひとつ形にしたいと考えてアルバムを制作しました。現地でお世話になったミュージシャンと一緒に作ったのですが、僕が再びニューヨークに戻って来るときに、そのアルバムを材料にしてまた新しい作品づくりの計画を立てて行こうと考えていました。

──結果的にそのときのメンバーが、今回のアルバムの礎となった。

そうですね。E.J.ストリックランド(ドラムス)とジョン・カワード(ピアノ)、ベン・アリソン(ベース)は、もともと僕の先生だった人です。ニュースクールのプライベートレッスンで、ジョンは作曲の先生。E.J.にはドラム・ランゲージを教えてもらって、ベンには作曲やベースのアプローチを学びました。

──今回のアルバムの建て付けとして、まず(前出の)彼らで構成される2つのバンドを作って、べーシックとなる録音をニューヨークで行った。さらに、そのトラックに対して、日本のミュージシャンたちが東京でオーバーダブを施し、作品を完成させた。

はい。ニューヨークのメンバーは、先ほどの3名と、ヴィクター・グールド(ピアノ)、カノア・メンデンホール(ベース)です。

 

──そして日本のメンバーは、松村瑠璃(ボーカル)、石川紅奈(ボーカル)、馬場智章(サックス)、石若駿(ドラムス)。

この手法を採用した経緯を説明すると、まず、きっかけは石若駿でした。じつは以前から、駿くんとは「僕のアルバムで一緒に録ろう」という話をしていて。その時点ですでに僕の中では駿くんとジョン・カワードのコンビネーションを想定していたんです。

駿くんもジョン・カワードが大好きだし、みんなでアメリカで録ろうと思っていたのですが、両者のスケジュールがなかなか合わず、話し合った結果、「オーバーダブで、あとからドラムを録ってもいいかも」という結論になって。それを想定しながら、今回のアルバムの曲を作っていきました。

──石若さんとジョンの組み合わせは、きっといいものになる、という確信があった。

そうですね。馬場くんに関しても、本当は1作目に参加してもらう予定だったのですが、実現しなかったので今回こそは、と。さらに、松村瑠璃さんや石川紅奈さんも、以前に一緒に演奏したとき楽しかったな…という実感があって、ぜひ参加してもらいたかった。

それから今回のアルバムで特に重要だったのが、ベン・アリソンとE.J.ストリックランドのリズムセクション。そういう様々な要素をまとめ上げた結果、このアルバムができました。

“人の声” が持つ不思議な力

──このアルバムには特筆すべき点が数多くありますが、うたの存在感も、その一つだと思います。これは冒頭で語っていた中学時代の歌唱経験と関係がありますか?

ものすごく関係があります。やはり、僕の中で「うた」はすごく大切だし、大好きなものなんですよね。本当は自分で歌いたいくらい。

──自分で歌ってしまおう、とは思わなかった?

たまに歌うこともあります。ただ今回のアルバムに関しては、自分の頭の中で鳴っている歌に対して、自分の声がかけ離れすぎていた。あと、ジャズにおいて僕が惹かれるのは女性の声なんですよね。僕が声変わりする前のハイトーンボイスなら、歌っている可能性はあるかもしれませんが。

──なるほど。さっき歌は好きだったけど(中学生の時に)声変わりで、思うように歌えなくなったと仰っていましたが、それは理想の声で歌えなくなったということなんですね。

そう、歌うことが一番好きだった頃の「自分の声」って、声変わりする前のハイトーンボイスなんです。そのイメージのまま声変わりして歌えなくなってしまって…ギターにシフトしました。

それでも合唱そのものがやっぱり好きで、人の声にすごい魅力を感じるんですよね。好きな人の声とか、仲の良い友達の声を聞くだけで、気持ちが穏やかになったり元気になったりしますよね。歌というのは、そうした“声”を一種のアートに昇華したものだと思うんです。僕自身、歌を聴いて心が震えるのを感じますし、自分のギタープレイも、そんな歌のような味わいや性質を持てればいいな、と考えています。

──そうした歌唱やギター演奏という、いわばフィジカルな表現手段があって、その一方で作詞作曲というメンタルな創作においても力を発揮している。今回のアルバムも例外ではありません。

そこも歌に繋がる部分なのですが、中学生の頃から合唱曲を自分で書いていました。わからないなりに、なんとか作っていた感じです。ボイスレコーダーを持ち歩いて、思い浮かんだメロディを口ずさんで。高校生になってギターに熱中してからも作曲をずっと続けていて、インストのバンドやったりしながら自分で曲を書いていました。

──高校生くらいの頃って、いろんな曲をやたらコピーしがちですよね。

もちろん、誰かの曲を弾くこともありましたけど、自分で作ることのほうが多かったです。今回のアルバムも8曲中7曲がオリジナルですが、特に「自作の楽曲でアルバムを作りたい」という気負いがあるわけじゃなく、(作曲は)自分の中でずっと自然にやってきたことなので、ギタープレイヤーとしての自分と、作曲者としての自分にあまり区分はないんです。だから今回のアルバム作りにおいても、ごく自然に同時進行でやっていました。

ただ、最近は「ギターヒーローってかっこいいなぁ」とか思ったりもして(笑)、その時々で、興味や趣向の比重は変わっていくのかもしれませんね。

──ギタリストとして、自分の最大の “持ち味” はどんなところだと思います?

変なところ。かなり変だと思います。プレーも変だし、ギターの音からして変です。今回のレコーディングに限らず、ライブでもエンジニアさんやPAさんを困らせてしまいます。どうやら彼らがこれまで聴いてきた音と違うらしくて、マイクの位置で悩んだり、セッティングでご苦労をかけてしまって。

──ちなみに今回のレコーディングで使ったギターは?

ソウレッツァ・ギターというメーカーのものです。

──ヘッドレスなんですね。ルックスも特徴的。

先ほどの(エンジニアやPA泣かせの)話は、このギターの特性によるところも大きいです。出音の周波数の面で、他のギターとはかなり違うというか個性的らしく。それに加えて、僕自身のプレーもちょっと極端だなと思いますし。

寝ても覚めても“名曲コピー”の日々

──たとえばジャズギターの歴史ってありますよね。その歴史的な文脈を踏まえていま自分はどんなプレイをすべきか?みたいなことを考えますか?

それを強く意識していた時期もありました。それこそニュースクールに在学中にピーター・バーンスタインのレッスンを受けていて、たとえばジム・ホールや、そのもっと前のチャーリー・クリスチャンなど、そういう先人たちが築いたものをそのまま受け継いで、自然な形で昇華させたいっていう気持ちはありました。

ただ、ピーターとのレッスンが進むにつれて、彼が今やっているような、いわばトラディショナルから派生した新しいサウンドを、はたして自分がやってみたいのか? と考えたときに、違うと思った。

もちろん彼のサウンドを否定しているのではないし、はっきり言って僕は彼のファンです。ただ、そのサウンドを僕がやることに違和感があった。それで、自分のサウンドって何だろう? と真剣に考えるきっかけにもなりましたね。

──やはり、トラディショナルなジャズギターを徹底的に学ぶわけですね。

そうですね。ピーターだけでなく、トラディショナルな音楽を大切にしているヨタム・シルバースタインにレッスンを受けていた時期もあって、とにかくひたすらジャズ・ジャイアンツのコピーをしていました。寝ても覚めてもずっとコピー。

あと毎日、フランク・シナトラや、ナット・キング・コールの歌い方やメロディの分析とか。他にも、チャーリー・パーカーはこのミュージカル曲をどうやってジャズという言語に昇華したんだろう? みたいなことも徹底的にやっていました。

──そんな日々の中で過去をトレースするのではなく、未来に目を向けたいという欲求に駆られたことは?

ありました。それである時、猛烈にオリジナル曲を作りたくなった。それで作りまくって、ヨタムに見せたら「あれ? スタンダード弾くの、興味なくなっちゃった?」って言うから「いや、興味はあるけれど、自分で表現したいことも増えてきた。だから、これから人生かけて何をやりたいのか模索していく」って答えたら、「おお! いいね!」と背中を押してくれました。

──作曲はギターで?

そうです。基本的にギター1本で曲を作ります。音楽ソフトは使いません。僕の作曲はけっこう余白が多くて、リードシート1枚でレコーディングに臨んだりします。オーケストレーションを最初から決め込んで曲を書くことはないですね。

──そこには意図があるのですか?

はい、良いハプニングが起こることを期待しているんです。だから共演者にもあえて曲の意味とか伝えずに渡します。それぞれのミュージシャンが勝手に「俺はこう思った」みたいな感じでアイディアを発展させてくれる。そういうものを取り入れながら作るのが楽しくて。もちろん、全てを採用すると誰の作品かわからなくなってしまうので、そこは自分で取捨選択をしながら作り上げていく。曲と演奏をコントロールしすぎないのが自分に合っているというか、好きですね。

──今回のアルバムも、そうした作法でつくり上げた?

たとえば「アクチュアル・プルーフ」という曲。アルバムに収録された8曲のうち7曲は僕の作曲で、この曲だけハービー・ハンコックの曲ですが、あるヒントをもとにバラードにアレンジしました。それで馬場(智章)くんに参加してもらったのですが、サックスのメロディーのハモとか、どこにソロを入れるかは全部その場で話し合いながら決めていきました。他の収録曲についてもそういう“コントロールしすぎない”という加減で完成させています。

──アルバムのタイトルにもなっているLifescape」(ライフスケープ)という曲について。これは、ご自身による造語ですね。

「サウンドスケープ」という概念を提唱したことでも有名な、マリー・シェーファー(※2)という音楽家がいまして。彼の考え方のひとつに「地球全体がシンフォニーであり、全ての音が楽曲だ」という、いわば環境音すべてを音楽と捉えるような考え方がすごく好きで。そのエッセンスを拝借しました。

※2:Raymond Murray Schafer(1933-2021)カナダ出身の作曲家。おもに現代音楽の分野で活躍。さまざまな“環境と共にある音“に着目し、「サウンドスケープ」という概念を提唱した。「Soundscape」という語は「Landscape(景観)」のLandをSoundに置き換えたもので“音の風景”と訳される。

──なるほど。シェーファーのサウンドスケープ(Soundscape)」という言葉は、ランドスケープ(Landscape=景観)」Land” を “Soundに変えた造語同様に、Land を Lifeに置換したわけですね。いわば人生の景色とか生命に息づく風景みたいな感じでしょうか。

そうです。この曲を書き始めたときは、「ひとりの人間が歩いている姿」が漠然と浮かんで、景色が流れていくイメージと結びついて。

僕はドキュメンタリー映画が好きでたまに観るのですが、そういう誰かの人生にフォーカスした物語のようなイメージも浮かべながら、未来に希望を持つことや、日々の出来事に前向きに取り組む気持ち、みたいなことを託して書きました。自分が、日々そういうことを忘れないように、という思いもあって。

──そんな日々の中で、ささやかな喜びを感じたり、愛おしく思うことって何ですか?

コーヒーと…、ドライブですかね(笑)。好きなコーヒー屋さんがあって、車で30分くらいかけて行って帰ってくるだけの話ですが。あと、たまに親や祖母に会いに行ったり…。すごくアクティブに遊んだりライブに行ったり、みたいな感じではないんですよ(笑)。

──車を運転してコーヒーを買いに行く、くらいの幸福が心地よい。車窓を流れる ランドスケープも含めて。

まさにそれです。さっき「Lifescape」を作曲したときの話に出た “景色が流れていくイメージ” は、ドライブで得たものなんです。ほかにも、小舟から見える景色ってどんな感じだろう? とか想像しながら「Kobune」を書いたり。乗り物から見える風景や、散歩しながら目に入る景色が作曲のモチーフになることもよくある。そういう何気ない日常の風景と、音楽は深く関わっていることを改めて実感します。

取材・文/楠元伸哉

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