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クインシー・ジョーンズとモントルー|MJFJ2024でクインシー・トリビュート/関連映画も上映決定

©2018 FFJM-Marc Ducrest


今年11月3日にクインシー・ジョーンズが死去した。20世紀のポピュラー音楽をいま改めて俯瞰すると、彼の偉大さと多才さを思い知る。もちろん今世紀に入っても活躍は衰えず、ごく最近まで音楽の現場で活躍し続けていたが、91歳で天寿を全うした。

彼の音楽活動は10代の半ばにはすでに本格化していたというから、70年以上も現役の音楽家であり続けたわけだ。記録をたどると、1951年にライオネル・ハンプトン楽団がリリースしたSP盤「Eli, Eli」にクインシーの名を確認できる。おそらくこれが最初期のレコーディングと思われるが、当時のクインシーは18歳である。

この楽曲に彼はトランペット奏者として参加しているのだが、同時にアレンジャーとしてもクレジットされている。すでにこの頃から “音楽の設計者”の資質を発揮していたようだ。その後も彼はジャズを起点に、多種多様なスタイルの音楽で才能を発揮する。ビッグバンドのリーダーを務めながら公演とレコーディングをこなし、トランペット奏者として、また作曲家、プロデューサーとしても活躍。60年代に入るとR&Bやポップスにも領域を広げ、レスリー・ゴア「It’s My Party」(1963年/全米チャート1位を記録)などヒット作を連発。

クインシー・ジョーンズ1957年に発表した初リーダー作『This Is How I Feel About Jazz』

70年代もこの流れは続き、自身のアルバムを発表しながら多様なアーティストをプロデュース。エンターテイメントの最先端に身を置き、時代の要請を鋭敏に察知しながら傑作を手がけていった。

史上最も売れたアルバム

なかでもクインシー最大の偉業としてよく挙げられるのが、マイケル・ジャクソンのアルバム・プロデュースである。1979年の『オフ・ザ・ウォール』から、次作『スリラー』(82年)、『バッド』(87年)と3作品続けてプロデュース。すべて大ヒットを記録し、『スリラー』は “史上最も売れた音楽アルバム”ともいわれている。

しかもこの3作品を手がける間、クインシー自身の名義で発表したアルバム『ザ・デュード』(81年)もヒットさせ、85年にはエチオピアの飢餓救済のためのチャリティソング「ウィー・アー・ザ・ワールド」をプロデュース。これら一連の作品は、シンセティックなファンクロックとディスコ、R&Bのはざまを華麗に往来し、時代を象徴する楽曲/サウンドとして今も強烈な存在感を放ち続けている。

 

マイルスの“最後のモントルー” を指揮

そうした巨大なレコード産業やポップミュージックと対峙しながら、クインシーは自身の“出身地”でもあるジャズのフィールドにおいても果敢だった。なかでも語り草になっている大仕事が、1991年のスイス「モントルー・ジャズ・フェスティバル」である。このときクインシーはマイルス・デイヴィスを説き伏せて、モントルーフェスのステージに上げた。しかも、「過去の曲なんかやりたくない」と嫌がるマイルスに、60年代の作品を再演させるという内容で。この公演はレコーディングされ、結果的にマイルス・デイビス(が亡くなる3か月前に録音された)最晩年のライブアルバムとなった。

 

また、この年(91年)にクインシーはモントルーフェスのプロデューサーに就任。これは同フェス創始者のクロード・ノブスが長年夢見た構想でもあった。以降クインシーは30年以上もモントルーフェスに深く携わり、ベテランから新人まで、数多くのアメリカ人ミュージシャンをブッキングしてきた。そして、いつの頃からか彼にとってモントルーは“第二の故郷と呼べるような場所となっていった。

2018年のモントルー・ジャズ・フェスティバルでクインシーの85歳を祝うイベントを実施。ロバート・グラスパーやネイト・スミス、リチャード・ボナ、ジェイコブ・コリアー、タリブ・クウェリなどがステージでライブを披露。客席の最前列中央にクインシーが鎮座する。©2018 FFJM-Marc Ducrest

モントルー・ジャズ・フェスティバルは “ジャズ” の名を冠しているが、ソウルやロック、ラテン音楽、R&B、ヒップホップなど多種多様な音楽を内包した “ジャズ・フェスティバル” だ。それはまるでクインシー・ジョーンズの音楽人生、つまりジャズを基軸にしながら多彩なスタイルの音楽を発表し続けた(しかも大衆の心をつかみ続けた)クインシーの作家性とよく似ている。クインシーとモントルーフェスが30年以上の蜜月を過ごせたのは、そうした相似によるものか、あるいは創始者のクロード・ノブスとの深い友情によるものか。

モントルーとクインシーの蜜月

そんなモントルー・ジャズ・フェスティバルを題材にしたドキュメンタリー映画『All They Came Out to Montreux』が制作され、昨年に公開された。本作のオープニングは、クインシーのこんな言葉で幕を開ける。

フェス界のロールス・ロイスだ

クインシーはあるインタビューでモントルーフェスをこう形容したのだ。作中にはさまざまなミュージシャンや音楽関係者が登場し、彼らの証言とともにモントルー・ジャズ・フェスティバル50年の歴史が紹介され、創始者のクロード・ノブスの生涯が綴られていく。作中に散りばめられた“伝説的なミュージシャンたち”のライブ映像も、本作の大きな見どころだ。

 

本作に登場するミュージシャンは、ジャズやソウル、ロックなど多様なジャンルのレジェンドたちだが、なかでも30年近くこのフェスに深く関与したクインシーのエピソードは多い。特にフェスの創始者であるクロード・ノブスが、クインシーを共同プロデューサーに迎えたときの喜びようは印象的だ。作中でハービー・ハンコックがこんなことを言っている。

クインシーはクロードと双子のような存在だったよ。二人の考えはピッタリ一致した。そして支え合った。クレイジーと思えることにも迷わず挑戦したんだ

ちなみに彼のいう「クレイジーと思えること」とは、まさに先述の “マイルスに60年代の再現をさせる” 企画のことだ。

日本開催の “モントルー・フェス” でもトリビュート

そんなフェスの舞台裏や人間模様まで克明に描かれた本作。日本でも、この12月に開催される「モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン2024(以下MJFJ)」の開催にあわせてオンラインで配信(※1)決定した。

※1:「ぴあライブストリーム」にて公開。配信期間は2014年12月8日〜11日。なお「MJFJ 2024」公演のVIP席購入者は特典として無料視聴できる。

さらに「MJFJ 2024」では今回、DJとして出演する松浦俊夫が “クインシー・ジョーンズ・トリビュート” を掲げた内容を予定。松浦は自身がパーソナリティを務めるラジオ番組「TOKYO MOON」でも、以前にクインシーを偲んだセレクト「Tribute to Quincy Jones -This Is How I Feel About Jazz Mix-」を披露しており、クインシー・ジョンズへの私淑をこう表明している。

1990年代初頭、UFOとして活動を始めた頃、私が目指していたのは、DJとして音楽を創造するなかで、クインシーのような表現者になることでした。その夢は、彼の音楽に触れる度に蘇ります

ちなみに、前出のハービー・ハンコックもワールドツアーのメンバーを従えて「MJFJ 2024」に出演する。そして今回の出演者の中には、クインシーと強い絆で結ばれた日本人ミュージシャンも登場。ピアニストの小曽根真である。クインシー・ジョーンズを失って、いま何を思うのか。小曽根が語る。

クインシーを天才と呼んでしまうことは簡単ですね。でもQは僕らからは想像もつかないほどの努力を一生涯続けられたスーパーヒーローです。世界一と呼ばれるプロデューサーになっても、僕が演奏しているハリウッドのジャズクラブに来て、最後のアンコールが終わるまで聞いてくれる。そんなことが出来てしまうQの強さ、愛の深さ、そして謙虚さは常に最高の音楽、最高の人間を目指して歩き続けていた人だったからだと確信しています

クインシーに近しい者は敬愛を込めて “Q” と呼ぶ。小曽根真とQの交流が始まるのは40年ほど前。小曽根がバークリー音大の卒業時に披露した演奏を聴いたクインシーは感銘を受け、自身のレコード会社からデビューすることを持ちかける。結局、小曽根は米CBSからデビューすることになるが、その後もずっと小曽根とQは心を通わせていた。

いろいろな事情があってQと一緒にプロジェクトを作ることはできませんでしたが、それでも常に僕の周りの音楽家やプロデューサーにマコトはどうしてる?と気にかけてくださっていました。今は、心からの感謝と共にゆっくり休んでいただきたいと祈っています

今回「MJFJ 2024」では、ハービー・ハンコック、小曽根真らのベテラン奏者を筆頭に、新世代の代表格としても知られる馬場智章がBIGYUKIをゲストに迎えて出演。同じく、小曽根真のバンドも、小川晋平、きたいくにと、松井秀太郎、陸悠といった、ジャズの次代を担う注目のプレイヤーによって構成されている。

さらに、YOKO KANNO SEATBELTS、WONK、Bialystocks、Shing02×THE EITHER with SPIN MASTER A-1 といったジャズやソウル、R&B、ロックなどを包括したクロスオーバーなサウンドを誇るアーティストたちも参画。

クインシーが己の人生で実践してきたオールジャンル指向。そしてスイスのモントルー・フェスが50年以上も積み上げてきたボーダレスな舞台。双方の “イズム”が、今回の日本開催のラインナップにも映し出されているようだ。

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